月は美しく夜空に輝きます。その月を照らしているのは、日没後に地平線に隠れた太陽です。その時太陽は、地球の裏側を照らし、月をも照らしているわけです。
私と私の周りにいる人たちが、輝きを持ちたいと願うならば、まず自分が輝く太陽になろう。

月は美しく夜空に輝きます。その月を照らしているのは、日没後に地平線に隠れた太陽です。その時太陽は、地球の裏側を照らし、月をも照らしているわけです。
私と私の周りにいる人たちが、輝きを持ちたいと願うならば、まず自分が輝く太陽になろう。
一つ一つを丁寧に生きていたら、余計なことごちゃごちゃする暇ないよね。それが結果的にシンプルに生きるってことになります。
「豊かさ」をお金のことだと思っていると、通帳の残金だけを見て、「豊かではない」と思ってしまいます。お金は豊かさを助けるエネルギーのひとつに過ぎません。
「豊かさ」とは、空気と水が伝えるもの「すべて」です。
水は、飲むだけではなく、肺や、肌からも吸収されています。
昨日、桜を見に行った公園に、鉄棒がありました。大人がちょうどぶら下がれるくらいの高さの鉄棒に、手をかけて懸垂をやってみました。やば。1回もできない(・・;)
ぼくは今62歳。今年の10月には63歳になりますが、体力が衰えていますね。まあ、これくらいが普通かも知れませんが。でも、自分の体くらいは支えられるくらいには、なりたい。
そこで、早速今朝からダンベル運動を始めました。5キロのダンベルを片方ずつ、逆手で前に持って上げるだけ10回を2セットやります。最初の10回はゆっくり、バーズのクリアリングステイトメントを言いながらやります。残りの10回はカウントを数えながら。
今、この文章はタブレットで書いているので、写真がありません。のちほど、写真もつけようと思いますが、桜も空も近くの湖山池もきれいでした。オシドリがいましたよ。カップルが2組と、もう一羽、かな。ぼくが見たのは。
毎日、ステキです。幸せを感じながら生きています。
昨日の夜、ぼくのアメブロ「空と海とぼくへ」に「指先が感じることの意味と深さ」というタイトルの記事を書きました。
なんとなく、文章が途中で終わっているような感じがあったので、続きとして読めるものを書いてみようと思います。
アメブロの記事は、1,000分の1の精度が指先で、感覚としてわかるようになったことを書いています。
これは、決してぼくが特別な感覚を持っているということじゃなくて、誰にでも備わっているもので、ただ「意識のあり方」で、その感覚が感じられることがあるんじゃないかなと思います。
誰でも、視線を肌で感じたり、大切な人の思いが伝わったりする経験をしていると思います。
(視覚)目は見るけど、見るのは、目だけじゃない。
(聴覚)耳は聞くけど、聞くのは、耳だけじゃない。
(触覚)肌は触るけど、触るのは、肌だけじゃない。
(味覚)舌は味わうけど、味わうのは、舌だけじゃない。
(嗅覚)鼻は臭うけど、臭うのは、鼻だけじゃない。
根本にあるのは、「意識のあり方」であって、これは五感だけじゃないと思います。
たとえば、お金のこと。
財布に3万円入っていたとします。
「こんなにある。豊かだ。安心だ。」と思う人は、すでに豊かでしょう。
「月末の5万円の支払いがある。足りない。」と思う人は、まだ月の半ばだとしても、すでに貧しいと思います。
「意識のあり方」の一例です。
こんなわかりやすい例ばかりではなく、実際には多くの無意識の働きで、人はその人の世界を作り出しています。
30年も前に、ぼくは指先の感覚から、そういったものを感じるようになりました。