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スピリチュアル ブログ 挨拶

晴れてたのに やっぱり 雨になりました

今朝は、とてもよく晴れていました。久々にいい天気だなって思っていたんですが、やっぱり午後から雨が降ってきました。気温は9℃あるので、春の雨なのかなっていう感じはするけれど、でもこのあと天候は崩れていく模様です。もしかしたら天気予報のとおり、本当に雪が降って積もるのかもしれません。

こうやって、隙間隙間の合間時間にブログの文章を書いていくことで、何がしたいかっていうと、これからブログを書いていって本を作りたい。メッセージを残したいというのが目的です。

大雑把に文章を残しておいて、それを時たまパソコンやタブレットで整形をしていく。あるいは切り分け、推敲していくということでブログの体裁を整えていこうと思います。

なので、とんでもなく長い文章が残る時もあるし、非常に簡潔に1行だけというような日もあると思います。その幅が著しく大きくなるんじゃないかなと思います。テーマも徐々に絞っていけるんじゃないかなと思います。

毎日ブログを書く方法の1つとして、Craftのデイリーノートを利用するということをこれからやってみようと思います。Craftと言うのはMac, iPhone, iPadで共通して使えるアプリです。日記を書いたり、メモを取ったり、ノートを記録したり、割とシンプルで使いやすく、そして同じデータをMacOS、iOS間で共有できるソフトです。

第1ステップは、入力(インプット)するとき。iPhoneでCraftを開いて、話しかけます。ここで音声は文字に変換されます。

第2ステップはiPhoneかiPad、またはMacBookでCraftを開いて、入力された文章を編集します。どの端末で開いてもすぐに反映されるので、場所や状況に応じて端末を選びます。

第3ステップでは、MacBookで、ある程度まとまった文章をWordPressサイト(ホームページ)のほうにコピー&ペーストします。

タブレットのJetpackアプリで同じようなことができないだろうかと思ったんですが、やはりアップロードがうまくできないと言う現象が度々起きたので、このJetpack計画は頓挫してしまいました。

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彼岸花が咲きませんね

少々暑くても、寒くても、この時期になると、赤い花をつける彼岸花が、今年はほとんど見られません。これも何かしら大きな異変と言えなくもないかなと思います。

毎日のように「線状降水帯」というワードがニュースや天気予報で読み上げられて、道路が水で溢れている映像が流れます。

この世界の中で、確実に何かが変わったんだと思います。

これは、つまり、もっと何かが変わる可能性が今もこれからもあるということです。

変わらないことを前提に何かをするのではなく、今、起きていることを受け止めて、感じるままに生きていくことだと思います。

プレゼン、YouTubeに生かしましょう。今、そこに視点がひとつ向いています。こうやって、ブログも繋がっていきます。

9月の終わりに

気高(けたか)の方にレッスンに行きました。気高では、たくさん彼岸花が咲いています。向こうに見える山は鷲峰山(じゅうぼうやま)です。(9月21日追記)

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今年は、とても暑い夏でした。9月末でもところにより、30度を超える日があるようです。でも、そう言いつつも、冬がやってきます。こたつ、エアコンもいいですが、風やにおいがなく、じんわり温かくなるオイルヒーター&ヘリテイジヒーターがオススメです。

ユーレックスは、長野県茅野市に本社を置く、日本で唯一の国産オイルヒーター製造メーカーです。デザイン性も高く、火を使わない安心さがあります。

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新しい時代

うまくいかないことがあるとき、落ち込んだり、できていない、自分に価値がないんじゃないかと思ったりすることがあります。

ぼくもたびたびそう思うことがありました。

そういうときは、心を空っぽにしましょう。

今朝ぼくは、自分が空き地の草っ原の一本の雑草だというイメージを頭に描いてみました。

実際に俯瞰して見れば、人間も一人ひとりがただ生きている小さな存在でしかありません。

どんなにお金持ちでも、有名でも、地位が高いとみられる人でも、それは社会的な価値でしかありません。

一人ひとりの価値は、生きていることそのものであり、感じていることがすべて価値のあるものであるはずです。

深く息を吸い込み、酸素がじんわりと染み込む。太陽は輝き、雲が流れて一瞬たりとも同じ形に止まることがありません。風が吹き、肌を撫でて通ります。心地よかったり、寒かったり、暑かったりします。

すべてただ生きているだけで感じることであり、今ここにある世界は、その感性から作り出されたものです。

ぼくは小さな漁村で生まれました。幼い頃、海岸にある岩のてっぺんによじ登り、周囲を眺めたとき、今ここにある、自分が見ている世界は、目を閉じると消えて、目を開くと閉じる前と同じように見えました。

ふと、ずっと変わらないように見えるこの世界は、見ている人がいなければ存在しないんだと強く感じたとき、なんだか怖くなりました。世界とぼくは一対の存在で、ぼくはぼくだけの世界を見ているんだと思いました。

実際に、この世界は自分が感じられるようにしか作られていませんでした。虫のようにミクロの世界は見えないし、鳥のように遠くの山のカタチは見えません。

学校では、集団という社会の中での価値を教えられます。まるで価値ということばが社会のためにあるかのようでした。ただ感じたこと、ただ言ったこと、ただやったことは、何も評価されませんでした。

今は、もうその社会の価値から離れてもいいんじゃないかと思います。何もなくていいし、何もしなくても構いません。

ただ一人ひとりが感じることから生まれる何かを大切にしていけたら、新しい時代が始まるような気がします。

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まじで生きるかどうかだぜ

少子高齢化とか、マイナスに捉えられる事象ってあるけど、それってマイナスだけじゃないんじゃない?

少子高齢化だけじゃない、いろんなことが本当はプラスかもしれない。もたろん、そういうふうに無理矢理捉える必要はないんだけど、捉えることが可能なら、その時自分は何をどうしたらいいのか、考えたい。

少なくとも何歳だろうが、今ここにちゃんと生きてる。それってすごいじゃない。めちゃめちゃラッキーだと感じます。

まじで生きるかどうか。これからそれが問われているんだと思います。

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今後は、感覚をメインに生きます

なんかね。これまで、ずーっと頭で考えて生きてきた、というか、がんばってきた氣がしてて、7月の後半から、もう8月も後半なんですけど、必然的に、この1ヶ月強制終了みたいなことになった感じがします。

何があったかというと、まずコロナ陽性になりました。38度から39度の熱が3日続いて、生きてるんだけど生きてないような、寝てるんだけど寝てないような時間を過ごしました。

それで、4日目には少しづつ回復していったんだけど、だいぶ動けるようになって10日目くらいに、今度は腰をやられちゃった。

もともと持っていた持病の腰痛で、たまに発症するんだけど、ほんと久しぶりだった。

腰痛っていうのは、動こうとしても、動けないのね。痛いときには痛いしね。良くなったと思ったら、ギクッとなったりするし。

それで、暑い日があったり、お盆が来たりしてね。休んでばかりもいられないけど、もうあまり考えてないんですね。ゆっくり怠けながら人に頼って出来ることをやろうと。

腰もようやく落ち着いてきました。コロナ陽性から約3週間です。生まれ変わりましたね。感覚で生きる。これからのぼくはリセットされました。これからスタートです。