小さい頃、ただ小さい頃というと、漠然としていますね。どれくらい小さい頃かというと、18歳まで。いちばん身近にいたのは親なんですね。よく言われていたのは「器用貧乏」ということでした。
なんでも分解しては、もとに戻せない。プラモデルを夢中になって作るんだけど、完成しない。文字を書くと、鏡文字になる。
得意なことは、走ることと、海に潜ること、絵を描くことでした。あとは、わーって、わめきながら人とケンカすることですかね。なにしろ、漁師町、漁村です。昭和40年代、誰もが大声でワーワー言って通りを歩いていた時代でした。
今はオカリナの先生、パソコンの先生で名前を知られるようになったので、どっちなの?と聞かれることはあっても、どっちでも、初心を貫いて他のことに目もくれず、それだけをやってきたと人に思われている節があります。音楽だって、自分の中ではクラリネットだし、歌だし、ギターだよって思っています。ハーモニカを吹いていたり、サックスを吹いていたりもします。
パソコンに関しては、むしろ嫌いでした。一生こんな機械には触りたくないぐらいに思っていました。結局は低レベルのゲーム機ぐらいにしか思ってませんでしたから8。
たまたま簡易的なプリンタを内蔵したマイコンが家にあったので、Basic(ベーシック)はやっていたんですね。Basicわかりますかね。Gotoとかサブルーチンとか、イフとか覚えたのは、Basicです。それって何?っていうと、プログラミングなんですね。それしか知りませんでした。その後C言語とか、UNIXシェルとかHTMLもやるんですけど、Basicやっていなかったら、習得できていなかったと思います。それがなんの役に立つのかイメージはわかなかったんですけど、たまたま就職した会社でdBASE(ディーベース)でのアプリ開発をさせられました。
これは、在庫や発注の管理をするアプリでした。社内では「桐」という日本語データベースソフトを使っていたんですが、取引先との提携に合わせてdBASEでのアプリ開発が必要だったというわけです。
なんか話がどんどんそれていきそうなので、パソコン関係については、ここまでにしますね。
眠くなりましたので、続きはまた後日ということで。
この文章を書こうと思ったのは、迷いながら、いろいろやっていいんだでーってことを伝えたかったし、始めるのにいつってことはないし、続けようと思わなくても、続くものは続くってことだよね。ついつい、遅いとか無駄だとか、この歳でって思いがちだけど、そんなふうに思う必要はないんだってこと。やりたいことをやりたいようにやっていけば、何かにはなるし、少なくとも自分を生きていける。