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スピリチュアル ブログ

紙はカミサマにお返しする

 ぼく自身は、イベントのちらしなどの配布物をお渡しするような、どうしても必要なとき以外は、「紙」を使って、情報を誰かに伝えるということをなるべくやらないようにしています。

 身近にパソコンやタブレット、スマホがあります。メールやインターネットを通じて、さまざまなサービスを無料または格安で利用できます。

 情報を発信する、共有する方法としては、こうしてブログやSNSで文章を書いたり、クラウドを利用するなど、さまざまなツールを使うことができます。

今も「紙」が使われています

 今、AIが登場して、仕事がなくなるというような話題が時々出ていますが、ずいぶん昔も似たようなことがありました。FA、OAやインターネットの登場で、ペーパーレス社会が出現すると言われたこともありました。

 紙の原料は、木材や植物であり、資源です。ペーパーレス社会は本来、環境にやさしいはずですが、どうしてだか未だに実現されていません。

 このように社会の変化はゆるやかです。今はその中で、一人ひとりが何を選ぶのかが問われている時代なんだろうと思います。

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アクセスバーズ スピリチュアル ブログ

ぜんぶ止めてみる

「あれしなきゃ、これがまだだわ。」って思考がグルグル回っているときは、クルマのエンジンで例えれば、ギアが入っていないのに高速でグルグル回っている状態です。

こういうときは、単純に「冷ましましょう。」という状態です。そのためには、踏みっぱなしになっているアクセルを戻して、エンジンを徐々に冷やしていきます。安定した状態になったら、いったんキーをひねって、エンジンを止めましょう。

ここで止めるエンジンは、もちろん「思考」のエンジンです。瞑想をしたり、集中できる何か他のことをしましょう。私がやっている「アクセスバーズ」には、思考のエンジンを冷まして止める、余分な思考をクリアにする効果があります。

そして、睡眠が大切です。眠りましょう。ただ横になるだけでも構いません。5分、10分だけでもだいじょうぶです。目が覚めたら本を読む、掃除をする、ストレッチをする、そしてまた5分休みましょう。

目が覚めて、すっかりエンジンを冷ますことができたら、習慣になっている思考を手放しましょう。そのためには、自分が何を考えているのかを認識する必要があります。多くの場合、思考は無意識に動き出します。書いたり、声に出したりすることで、しっかりと思考が整い出します。

お手伝いが必要でしょうか。話すだけでも、ずいぶんと楽になります。アドバイスもできます。ぜひ、ご相談ください。

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同じ繰り返しというものは、存在しない

ひとつ歳をとった。

また、同じ失敗をした。

今年もまた雪が降る。

また、同じって、繰り返すって思ってしまう。

でも、本当は、ちょっとずつ違う。

まったく同じということは、一度もない。

空の雲を見てごらんよ

またか、と過去に引きずられるのか。

それとも、今を生きるのか。

同じ繰り返しに見えても、そこが違うと、

意識が変わる。

パンツの紐だって、洗濯するたびに伸びるじゃないか。

意識を変えていこう。

今の自分を見てやろう。

63歳。

つい先日、63歳になった。

おもしろい。生きている。

奇跡だ。ありがたい。

失敗を恐れなくて、いい。

本当に、どの失敗もいつか役に立つから。

鳥取砂丘タカハマカフェにて

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スピリチュアル ブログ

そこに水平線はあるか

 リスペクトしようとして、気がついたら、自分を下げていた。

 という経験がぼくにはあります。オオアリでした。

 それって、どっかにムリがあったからなんですね。

 次第にどツボにはまって、相手は機嫌を損ねます。ますます、自分を下げて、スイマセン、ゴメンナサイ、チャントシマスが口癖になって、さらにどツボにはまって・・・。

 何度それを繰り返していたでしょうね。自分ではなんとかしようと思っているんですが、思考が「対処」なので、人間関係はどんどん悪くなります。どちらにも非はないわけなので、そのときには思考がただ現実化していくという感じです。

 そのスパイラルから抜け出そうと思って、スピリチュアルに出会いました。なんとか抜けたかなって思えたのは、3年くらい経った頃でした。・・・5年かな?

 ぼくを導いてくれたのは、スピリチュアル関連の本だったし、石だったし、なにより出会った人でした。

 今、思えば、自分を下げていたのは、自分の中に水平線がなかったからなんですね。「現在地」と言っていいんでしょうか。今を見つめる目です。核となる地平です。

 オーラが見える方に初めてセッションを受けた時に、いきなり「自分がない」って言われたんです。自分軸という言葉がありますが、当時のぼくは、自分軸、他人軸という言葉の意味がわかりませんでした。「人に気を使っているのも自分だから、自分軸じゃないのか?」程度の屁理屈です。

 人一倍能力があると自負していたので、人より頑張ることでしか自分を表現できませんでした。

 自分が見えていない人が、他人のことを理解できるはずがないのです。その当たり前がわからないのですから、常にトラブルが生じます。その都度、自分を下げて「じゃあ、こうしよう。」と対処を繰り返し続けます。それでもトラブルが起きる。

 このままではいけない。当時はただそれだけでした。

 でも、どうしたらいいのかが、わからなかった。

 今は、感謝しかないですね。今があることを見つめるだけです。この経験を伝えたいなあと思っています。そのために自分が経験したのだと思っています。

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スピリチュアル ブログ

おいしい水

 ぼくにとっての「おいしい水」というと、20代の頃、中野区のアパートで飲んでいた水道水です。カルキ臭がほとんどなく、ごくごく飲める水でした。

 今、おいしい水、っていうと、「お酒」になるでしょう。

 日本酒、ビール、ワイン、焼酎の順になるでしょうか。

 20代の頃は、ブラジル産サトウキビの蒸留酒「ピンガ・ポンタル」はよく飲みました。ポーランドの「ズブロッカ」、ラム酒などもよく飲んでいました。

 飲むお酒によって、色や手のひらで受ける感覚が変わるので、それに合わせてグラスを変えていました。

 当時使っていたグラスのうち、残っていた貴重なグラスが、このワイングラスです。

 東京から鳥取に引っ越しをしたあと、ほとんどのグラスが行方不明になってしまい、新聞紙でくるんで、コーヒー粉の缶に入れていたこのグラスだけが残っていた今となっては大切なグラスです。この写真では、透明な日本酒が入っていますが、ぼくはロゼか渋みの強いカベルネが好きです。

 40年以上たった今でも、少し青みがかった透明で美しいグラスです。

 他のグラスで飲んでいたビールを、残り少なくなったところで、わざわざこのグラスに入れて、泡と光の色を楽しみながらちびちびを飲むことがあります。このグラスに入れると、ビールの泡が、小さな宝石に変わります。

 さあ、程よく酔ったところで眠りましょう。

 今日もいい一日でした。ありがとうございました。

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論理的ってなんすか

記憶の断片

 人間の思考は、論理的に考えるトレーニングをしないと、もともと断片的です。それは、記憶そのものが、断片的で、簡単に想像と結びついてしまうからです。この事実に反して、ぼくもそうですが、常に論理的な思考をしていると勘違いしがちです。

 ただなんとなく頭の中で考えているとき、感情に結びついた思考がその断片をつないでいます。

 「今月もお金が足りないなぁ。」「あの人に嫌な思いをさせているかなぁ。」「あのとき、失敗したなぁ。」こんなカンジで、その多くがマイナス感情につながるものです。

 お金そのものは、その時のエネルギーの状態を表す数字でしかありません。

 マイナス感情は思考に結びつく前に手放すほうが、より思考が整理されていきます。

すべての行動が現実をつくる

 人間は、思考をもとに行動します。お腹が空いていても「ダイエットしなくちゃ。」と考えて、我慢したりします。

 すべての行動が、現実を作っています。

 今、何を考えているのか。何を感じているのか。

 眠くなったので、続きは、あした書きます。

 でも、書かないかも(笑)

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スピリチュアル ブログ リコーダー 音楽

アルトリコーダー

 アウロスのアルトリコーダー(プラ管)を買ってきました。なんか、いい音がします。アルトが基本らしいので、練習用として購入しました。

 プラ管としては、最高級の「シンフォニー」です。アーチ型のウインドウェイになっています。

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アウロス アルトリコーダー 509B(E) シンフォニー バロック式 AULOS

価格:2558円
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感想(3件)

 さて、どうやら、これからリコーダーにシフトしていきそうな予感があります。サックス、ハーモニカ、ケーナ、パンフルートは、やりましたけど、つながっていません。リコーダーはけっこうきてますね。オカリナのときと同じような感覚があります。

 楽しいです。だんだん良くなる!未来は明るい!!

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スピリチュアル・信じる?信じない?

スピリチュアルについて、興味はあるんだけど、まわりに話せる人がいない。なんか変な人って思われそうで言えない。とか、あると思います。

ぼく自身、小さい頃からずっと霊体験をたくさんしてきながら、自分自身で「意味がわからない。」と長いあいだ否定してきました。家族にも友だちにも話すことは、あまりありませんでした。

でも、自分自身が感じていることというのは、もともと目に見えないことで、それって、まさにスピリチュアルな体験なわけです。

不思議なこと、奇妙に思えること、信じられないことだけがスピリチュアルな体験なのではなく、スピリチュアルというのは、誰もがふだん感じていることそのものです。

その自分自身の体験を否定することが、自分そのものを否定していたということに、ぼく自身が気づいたのが、5年前、2018年の10月のことでした。

水晶やヒーリングのお店を初めて訪れました。前日にネットを見ていて、気になる石を見つけて、その石を見に行くためでした。

お店に入ってすぐに、ショップの方が「はい。これ。」と言って、ぼくの手のひらにその石を乗せてくれました。そのあと「実は、この石、ネットで見て、気になっていました。」「はい。お待ちしていました。」という会話がありました。

こうして書いてみると、にわかに信じられないようなことです。びっくりもしたけれど、すぐに「この石はぼくにとって必要だ。」という強い思いが湧き上がり、購入して、今もそばにあります。

その店では、チャクラのリーディングとカウンセリングも受けました。

どこがどうだったのかは、詳しいことは忘れてしまいましたが、やはり「自分を否定している」ということが強く感じられたそうです。

(つづく)

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アクセスバーズ オカリナ ギター クラリネット スピリチュアル ブログ 挨拶 音楽

これから始めます

思ってても、ことばにしないと、本当に始められない氣がするので、ここにことばにします。

郷土史研究家になります

先日岩美町出身の音楽家田村虎蔵先生の講演を行いました。深掘りして調べて、自分なりの考えを発表したところ、ある郷土史研究家の方から「あなたも立派な郷土史研究家だよ。」との言葉をいただきました。ああ、そうか。自分で名乗ればいいんだと納得しました。確かにもっと知りたいし、今後のため、人のためになることです。伝えたいこともあります。

今回調べていく中で、田村虎蔵さんを中心に、村岡範為馳氏、永井幸次氏、石原和三郎氏、納所弁次郎氏、岡野貞一氏、滝廉太郎氏、東くめ氏など、有名な人物だけでも豪華キャスト陣が揃った印象でした。ふと、1冊の本ができそうだと思ったので、たぶん実現すると思います。

リコーダー演奏家になります

クラリネットに始まり、ギター、オカリナと演奏してきました。なぜか、今、リコーダーが来てるって感じています。情報として見るものに縁を感じます。シンクロしています。

まず、10月1日にグループでのプロの講習を受けようと思います。

Udemyで講師となります

まずは、オカリナについて、伝えたいことをまとめて、発表しようと思います。これからは、ここから収入も得られると思っています。

リラクゼーション、スピリチュアルをやります

今やっているのは、アクセスバーズです。もともとスピリチュアルは、特別なことをやっていたわけではなく、今までの人生がスピリチュアルそのものでした。

小さい頃は、霊が見えたし、虫や動物たちと交流がありました。人間が感じる音や光だけではない、違う音や光、感性があることを実感して生きてきました。

そこを隠すことなく、伝えていきたい。もともと「生きることに意味を探さなくていい。」生きていることそのものが意味だということを実感できるなら、社会そのものの在り方が根本から変わるという信念を持って、リラクゼーション、スピリチュアルに取り組んでいきます。

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スピリチュアル ブログ

新しい時代

うまくいかないことがあるとき、落ち込んだり、できていない、自分に価値がないんじゃないかと思ったりすることがあります。

ぼくもたびたびそう思うことがありました。

そういうときは、心を空っぽにしましょう。

今朝ぼくは、自分が空き地の草っ原の一本の雑草だというイメージを頭に描いてみました。

実際に俯瞰して見れば、人間も一人ひとりがただ生きている小さな存在でしかありません。

どんなにお金持ちでも、有名でも、地位が高いとみられる人でも、それは社会的な価値でしかありません。

一人ひとりの価値は、生きていることそのものであり、感じていることがすべて価値のあるものであるはずです。

深く息を吸い込み、酸素がじんわりと染み込む。太陽は輝き、雲が流れて一瞬たりとも同じ形に止まることがありません。風が吹き、肌を撫でて通ります。心地よかったり、寒かったり、暑かったりします。

すべてただ生きているだけで感じることであり、今ここにある世界は、その感性から作り出されたものです。

ぼくは小さな漁村で生まれました。幼い頃、海岸にある岩のてっぺんによじ登り、周囲を眺めたとき、今ここにある、自分が見ている世界は、目を閉じると消えて、目を開くと閉じる前と同じように見えました。

ふと、ずっと変わらないように見えるこの世界は、見ている人がいなければ存在しないんだと強く感じたとき、なんだか怖くなりました。世界とぼくは一対の存在で、ぼくはぼくだけの世界を見ているんだと思いました。

実際に、この世界は自分が感じられるようにしか作られていませんでした。虫のようにミクロの世界は見えないし、鳥のように遠くの山のカタチは見えません。

学校では、集団という社会の中での価値を教えられます。まるで価値ということばが社会のためにあるかのようでした。ただ感じたこと、ただ言ったこと、ただやったことは、何も評価されませんでした。

今は、もうその社会の価値から離れてもいいんじゃないかと思います。何もなくていいし、何もしなくても構いません。

ただ一人ひとりが感じることから生まれる何かを大切にしていけたら、新しい時代が始まるような気がします。