カテゴリー
オカリナ スピリチュアル ブログ 未分類 音楽

昨日の気付きにつながる本を見つけた

 昨日、入口と出口という話を書いて、自分でただ思ったこともマイナスなこともぜんぶ潜在意識に入るから、曖昧にしないで理解することが必要なんだと気づいた、というようなことを書きました。

 今日もいろんな奇跡が起きています。もう、奇跡は常に起きるものになっていますね。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

新品価格
¥1,321から
(2022/9/20 21:00時点)

 アマゾンで買えるこの本は、今キンドル・アンリミテッドで無料で読めます。この本をぼくは既に読み始めています。これも奇跡ですね。この本の内容は、そのまま昨日の気付きにつながる話です。

 この動画は、今朝の海の様子を撮影して、その後録音したものをミックスして映像したものです。鈴木英史さんの編曲した曲を演奏したのは今日が初めてでしたが、なんとついさきほど、この方と友人が並んで写っている写真がその友人のフェイスブックに載っているのを見かけました。

 偶然というには、あまりにもすごいことです。びっくりしました。きっと何かご縁があるのでしょう。

 これからもいろんなご縁をいただくと思います。ひとつひとつ大切にしていきます。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ

年齢は情報のひとつ

 長いこと使っていても、壊れないモノってありますね。およそ100年前の1920年代のメタルクラリネットが家にあります。ほとんど使っていないので、現役とは言えませんが、数年前にメンテナンスをしていただいて、演奏が可能な状態にはなっています。

メタルクラリネット

 ふだん使っているクラリネットは、1978年フランス製のセルマー10S(テンエス)です。44年前なんですね。これも今年メンテナンスをしていただいて、コンディションはとてもいい状態になっています。

 楽器って20年、30年たっても使えるのは当たり前ですね。コンディションを保って、時折ちゃんとメンテナンスを続けていれば、世代を超えて使うことができます。ネックが折れていて、長い間使っていなかった50年前のクラシック・ギターも再生されて復活しています。

ちょっとむずかしい話をしてみます

 ぼくは、時間を「次元の属性」というふうに考えてみました。実際に、1920年も1978年も、50年前も、こうしてみると、今、ここに確かに存在しています。

 ふだん、この時間という「次元の属性」を、人は記憶の中の「変化の過程」として捉えています。10時を指す時計を見たあと、11時を指す時計を見て、「ああ、1時間経った。」と思うわけです。

 この「次元」というものは、同時にいくつも無限に存在していると言われています。1920年が存在するように10時の時計も「今ここ」に存在しているわけです。

 ただ、ぼくたち三次元の存在は、すべてを認識することができないので、「今」という「属性」が与えられたものだけを物質として認識することが可能なのです。

 だから「こうなりたい。」というアファメーションは次元を否定することになり、「既になっている。」というアファメーションが現実となります。実際に今ある自分の姿というのは、繰り返しそうやって(たぶん)無意識にアファメーションしてきた自分が選んで具現化したものなのです。

40歳になったら体力ががくんと落ちる

 60歳になったら、思うように動かなくなる。そう言われて育ちました。今でもそういう声を聞くことがあります。

 ぼくの認識は、今のカラダにあった運動をすれば、必要な体力は保てるし、もうすぐ62歳になる今も、体調は上がったり下がったりを繰り返しています。それは、10代のときも、20代のときも経験してきたことでした。

 年齢は属性のひとつです。常に変化はあるし、違いはあります。

 この話が腑に落ちれば、なんでもないことなんですね。この世界を満たしたかったら、自分を満たせばいいし、そのままでいいのなら、そのままでいいわけです。この世界を変えたかったら、自分が変わればいい。それが真実です。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ

毎日誰もが生まれ変わっている

 楽しいか、どうかですね。

 毎日というか、この瞬間にもぼくのカラダの中で新しい細胞が生まれているわけです。それは過去を知らない細胞です。良くも悪くもその細胞は、記憶を持っていません。

 その細胞をゼロから育てるのは、自分自身です。

 ぼくは、そう考えると、ワクワクします。

 カラダを持って生きています。この体験をどうせなら楽しみたいと思います。また明日のためにこのカラダを休めます。

 おやすみなさい。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ

ぼくはもしかしたら本の虫を卒業していたのかも知れない。

 いや、実際とっくの昔に。

 子どもの頃は、割と本の虫でした。というか「活字を見ると全部読まないと気がすまない。」興味のある新聞記事とかあると、全部一言一句書き写していた少年でした。その頃というと昭和40年代です。手書きで、です。人に見られたくない文章は、ぜんぶ鏡文字でした。鏡に映さないと読めない文字をすらすらと「横書き」で書いていました。で、鏡に映すと「縦書き」だとか、ほぼほぼ変態です(笑)。

 保育園に行く前に新聞の記事のどこかにあった「全裸」という文字が読めなくて、親に聞いたことがあったそうです。

 二十代のときには、夏目漱石や太宰治などの古い文学に夢中でした。何を思ったか「徳川家康」全26巻を文庫本で買って読んだのも二十代でした。

 2000年頃、まだぼくの本棚はあふれていたと思います。ところが、ここ10年は本棚の本は増えていません。それどころか減っています。

 ぼくは、電子書籍を読み始めたからだと思っていました。

 でも、最近、koboにしても、kindleにしても、気がついたら充電が切れていたということがありました。

 それでも、koboやkindleではなくて、パソコンやタブレットのアプリで読んでいるからだと思っていましたが、いや、本そのものを読んでいないようだと気づいたのは、実は今日でした。

 ネットのニュースやブログはたくさん読みます。というか、既に「読書」というと、「ニュースやブログを読むこと」と同じになっていたんですね。紙の本はとっくに読まなくなっていたので、自分で気がついていませんでした。koboやkindle、電子書籍も、たまに読みたい本があるときしか読んでいないんです。

 そして、既に自分自身がこうして本を書く以上にネットで発信していることに気がついたんです。

 5年ほど前は、自分自身を常に「足りない」と責めていました。とても苦しく、どうしていいかわからなくて、最初に読んだのは池田晶子さんの哲学書でした。

 そして、その後は「宗教的」とか「スピリチュアル」とか、言われていた本をたくさん読んでいました。今では「カルト(宗教)」と騒がれるように人にも出会い、本を紹介されて読んだりもしました。もちろんぼくが出会った人の中には、悪い人、人を騙そうとする人はいませんでした。そもそもキリスト教だって、仏教だって、実は今でも関係ない人にとっては「カルト」そのものなんです。大切なのは、一人ひとりがどう感じて、何を信じて生きるかなんです。宗教よりも大事なのはそこなんです。そこをすっ飛ばして宗教を批判することは意味がありません。

 もっと書きたいことがありますが、今日は寝ます。おやすみなさい。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ

時間

時間の密度

時間には、あきらかに密度の違いが存在します。

速く感じられる時間は、実際に速く過ぎ、遅く感じられる時間は、実際に遅く過ぎています。そんなことはないと否定される方も多いと思いますが、数値の上でも時間の速度には違いがあることが証明されています。地上に於ける高度の違い、位置の違いによって時間に伸び縮みがあるのです。

もちろん、感覚的な問題を位置の問題にすり替えるつもりはありません。ただ、その違いは証明されているか否かの違いでしかありません。

未来

近年(この表現も奇妙ですが)、未来が今ここにあるということが、わかってきました。

どういうことかというと、未来は、単に選択されるのを順番に待っている、無限にある次元空間の重なりです。

その証拠に「不安」というものがあります。どの次元を選ぶかで、世界が変わります。潜在意識は、未来が今ここに存在することを知っていて、その選択が重要だと知っているので、不安を感じるのです。

今が安心であれば、不安は手放していいし、手放すことができます。

望む未来があるとすれば、その未来は掴み取るのではなく、自然に訪れます。

過去

過去は記憶としてのデータです。データは常に頻繁に書き換えられ、上書きされています。120分の映画を見たあとで、内容を鮮明に記憶して、その映画を見ていない誰かに正確に話せる人がどれくらいいるでしょうか。今、60歳の人が60年分の記憶を持つことが、もし可能だとしても、その記憶は、何度も書き換えられて、上書きされています。その記憶のデータは、今ここにあるだけです。「過ぎ去った時間」という意味での過去は幻想です。

未来の不安を手放すことが可能なように、過去の記憶に結びつけされた感情は、手放すことができます。もちろん、今の安心や喜びにつながるものであれば、何もしなくても記憶がそのように上書きしてくれるでしょう。

現在

こうした考え方を楽天主義と言う人もいることでしょう。それも選択です。そういう人にとっては、過去の重みも、未来への不安も、今まさに、ここにあるということは事実だということをお伝えしたいと思います。

この世界には、人類の現在の科学では証明できないことが無限に存在します。証明できないから「ない」ということは、科学そのものを否定していることにならないでしょうか。なぜなら、現在科学で証明されていることのほとんどすべてが、証明されていない次元(過去)を経ているからです。

最後に

ここに書いたのは、あくまで、個人の考え方だと捉えられると思います。そのように読んでいただければと思います。何か感じる方がいれば、その方の世界が変わる可能性があるものと思います。それを信じて書きました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

カテゴリー
オカリナ スピリチュアル ブログ 音楽

習慣が、望む世界をつくる

親指シフト

 昨日から、自宅のパソコンは「親指シフト・キーボード」になりました。あと数台あるパソコンは、すべてローマ字入力のままだけれど、新製品のキングジム「ポメラ」DM-250が親指シフトに対応しているという記事を見て、「いいなぁ。欲しいなぁ。」と、いったんは物欲が出たんだけど、なにしろ親指シフトのためだけに6万円というのは、ちょっと今手が出ないところです。

キングジム デジタルメモ ポメラ DM250 pomera Wifi / Bluetooth対応 KINGJIM 電子メモ スマホ対応 テキストエディター 文章入力ATOK 日本語入力 デジタルメモ帳

価格:60,280円
(2022/8/1 06:52時点)
感想(0件)

 それでふと自宅のパソコンを見て、今外付けで使っているJISキーボードが、もしかしたら親指シフトに使えるんじゃないかと思い、この YouTube動画を見て、「あ。このやり方なら、すぐに出来る。」と思い立ち、実行したというわけです。勝間さん、ありがとうございます。いいね、しました。

 ぼく自身、ずっと前に親指シフトを使ったことがありました。当時は、オアシスポケットという電池で動く携帯のワープロがあった時代でした。そのオアポケを使っていて、親指シフトでの入力がとても快適だった記憶があります。今、久しぶりなので、「ぼちぼち」と、ゆっくりなんだけど、でも割と指って覚えていて、キーボードを見ないで(といっても、表示が違うので、見てもあまり意味はない笑)打てています。

 調べてみると、オアポケを使っていたのは30年くらい前でした。その後30数年間、ローマ字でひたすら打って、なんならスマホでフリック入力、音声入力もしていて、親指シフトなんか忘れているだろうと思っていたら、いったん身につけたら久しぶりでも勝手に手が動くものなんですね。もちろん、ローマ字に比べて、めちゃ遅いんですけど。ただ、上の動画の中で勝間さんも言っているんですが、親指シフトは、頭の中で考えなくても、手の動きが楽で、勝手に動いている感覚があります。そういう意味で快適です。

やっと本題

 いきなり脱線して長くなりました。話を元に戻します。

 「習慣が望む世界を作る。」というのは、もちろん、今までも事実でした。それが今は、インターネットを通じて情報が速く広がることで、意識するしないに関わらず、以前より思いを共有できるようになってきています。

 そのため、よい習慣を持つことがより大事で、望む未来が、今を作っているということが、さらに実感できるようになってきたように思います。

ぼくの朝の習慣

 ぼくは、朝は、誰よりも早く起きて、自分の寝具を片付けたら、着替えをして、トイレに行きます。その後30分くらいかけてトイレ周りの掃除をします。

 そして、シャワーを浴びたり、新聞を読んだり、片付けをしたりしているうちに家族の誰かが起き出します。コーヒーメーカーに人数分のコーヒー粉と水とをセットして、コーヒーを作ります。誰かがテレビのスイッチを入れてからは、いつもの日常の風景が始まります。

 「快適に過ごす。」という未来が、すぐに現実になっていると感じられます。そして、心の中で感謝が生まれます。

空想の未来

 今までは、積み重ねて、努力をして、失敗したり成功したりを繰り返しながら、遠いところにある未来をつかみ取るといったイメージが多くの人の中にあったと思います。ぼく自身もそうでした。ただその未来は、やはり遠く感じられ、空想でしかありませんでした。今はっきり言えることは、望む未来が、今この瞬間、この世界を作っているということです。

 ぼくが空想で未来を追いかけていたときには、ぼくの心の中には不安しかありませんでした。不安な未来が現実を作っていたので、ぼくはずっと、そこに閉じ込められていて、実際に抜け出せませんでした。ぼくは空想ばかりしていた少年で、自分で空想が好きだと思っていました。だから、空想の中の不安に気づくまでは大人になっても、抜け出せずにいたわけです。

不安そのものが空想だと気づく

 未来に感じている不安は、現実には存在しません。もともと存在しないものですから、そのことにただ気づくだけで、その瞬間に消えていきます。

 すべての生命は、生きるために、安全を確かめる習慣を身につけています。不安を感じるという感覚は、この生命としての防衛本能から生まれています。

 感謝して生きること、安心することが、今この瞬間を変えていく力に変わります。

 今、心地よいオカリナ演奏を多くの人に届けたいとYouTube動画をはじめました。上のリンクをクリックして、ぜひ、聞いてください。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ 挨拶

Respect Rachel

The title “SpringBirds” of this site was named after Rachel Carson’s “Silent Spring”.

The land here in Tottori is still rich in nature.

I want birds to sing anytime, any year, or anywhere, in the spring.

I would like to take advantage of this abundant nature that I have now and leave it in the future. To that end, I want to convey the words.

Thank you for reading my text.

Miyuu Kishimoto

“Kikujiro” the Movie, by Takeshi Kitano. “Summer” is This Movie theme music.

カテゴリー
オカリナ スピリチュアル ブログ 音楽

心の安らぎを持って生きる

 昨日7月8日、気分が重苦しくなるようなとてもつらい事件がありました。そのことについては、ここにはそれ以上は、書かないでおこうと思います。

 どうして、この日本で、こういうことが起きてしまったのでしょうか。

 ぼく自身は、変わらず、ただ人々の心の安らぎを願うだけです。そのためには、自分自身が心の安らぎを持って生き、それを伝えられる存在になりたいと思っています。

 そして、そんなふうに一人ひとりが思えたなら、憎しみや怒りに振り回される必要はありませんし、争いや、戦争は起きないでしょう。

 日本で1945(昭和20)年の終戦後生まれた子どもたちも、既に77歳です。もう、ほとんどの日本人が戦争を知りません。このことは日本人として誇りに思います。

 「外国が攻めてきたら、身を守るため、国を守るために戦う。」その論理で、これまでこの地球で、この世界では、戦争が繰り返されてきました。その結果、犠牲になったのは、常に弱者であり、市民でした。

 身を守るため、国を守るために戦っていたはずなのに、戦争では、殺すために戦うことに変わります。殺さないと、殺されるからです。それは、戦いではなく、単なる殺し合いです。

同志少女よ、敵を撃て

新品価格
¥1,881から
(2022/7/9 19:12時点)

 この本も、ぜひ一人でも多くの人に読んでみてほしい一冊です。憎しみ、悲しみから狙撃手となった少女がどんな世界を見ることになったのか。そして、これが戦争の現実であるということを知ってほしい。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ

梅雨が明けました

今日も鳥取は気温が35度を超える猛暑日で、例年よりずいぶん早く各地で梅雨が明けました。

それにしても、6月末で35度を超える日が何日もあるというのは、異常のような気がします。

ある場所では、蚊が異常発生しているようです。

セミの声はまだほとんど聞いていません。例年なら、6月中旬のホタルの時期が過ぎたあたりから、時期によって、セミの種類が入れ代わり立ち代わり聞こえていたと思います。カエルもたんぼのあるところでは鳴いていますが、他のところでは、ほとんど聞こえません。

海では、ウニが大量発生したり、暑い時期には珍しいアニサキスによる食中毒が広がっていたりして、時折ニュースになっています。

最近では、飛行機雲ではない細い直線上の雲が無数に見られたりします。

地球は今も様々なサインを送り続けているんだなと感じます。

動画は、毎日絵日記のように配信し続けています。これは、今日の動画です。

35度を超えると

活動しない、あるいは死滅してしまう虫もいるようです。蚊やセミの仲間も、35度を超えると動けなくなるようです。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ

基本のこと、楽しむということ

基本はだいじ

 何をやるにしても「基本」って、ありますよね。たとえば野球だったらキャッチボールとか、音楽だったらロングトーンとか、音階とか、リズムとか。やっぱどんな天才でも、基本を身につけることは「だいじ」なんだと思っています。

 ただ、ぼくは、そういう「基本」だからこそ、楽しんでやった方が続けられるし、身につくんじゃないかって考えています。

根性論で身につくこと

 これまで、ぼくが通ってきた時代もありますけど、ど根性で、歯を食いしばってやっている場面を何度も見かけたことがあります。ぼくは、それはやりたくないなって思ってました。でも流れとかもあるし、人の影響もあるから、ある程度は、渋々でもやらざるを得ないこともありました。

 繰り返しやることって、身につけるためにやるわけです。で、しんどいと思いながらやると、身についたとしても、最終的に「しんどい。」も一緒に身につくわけです。

 それなりに、できるようにはなっていて、人からも「すごいね。」って褒められたりもするけど、やればやるほど、自分自身は、しんどいわけです。

 今でも、しんどいを繰り返す教育ってあるんじゃないかって思うんですね。それは、学校に限らず、会社でも、家庭でもですね。

本気で楽しむということ

 根性論ではなくて、何も考えないで、修行のように黙々とやるということもありますね。そういう場面も、もしかしたら必要なのかも知れませんが、これも、ぼくは、やりたくないなって思うんですね。

 たとえて言えば、バットの素振り千回で技術が身につく人は、1回1回をちゃんとやってる人なんだと思います。そうでなければ、やっぱり、結果として徒労に終わるんじゃないでしょうか。

 音楽の音階練習だって、機械的にやって出来たって、その「機械的」が、テクニックとして身につくだけです。聞く人は、びっくりするだけで、心に響きません。まぁ、びっくりしたというのを感動だと勘違いする人も、いるのかも知れませんが、次の日には忘れているようなことを感動とは言いません。その点、どうなんでしょうか。

 どうせなら、本気で楽しむことが大事なんじゃないでしょうか。力まかせでもなく、機械的でもなく、自分の心と向き合うことが。

 そうして、初めて、感動が生まれます。10年経っても、50年経っても、覚えていることってありますよね。その時は無理に「感動した。」って思わなくてもいいんです。本当に心に届いたことは、忘れません。

 ぼく自身、そうやって、自分の心にも、聞いてくださる人にも、届けたいなって思います。 

葵(タチアオイ)の花を見つけた

 道端に葵の群生が咲いていました。赤やピンク、紫の花と、緑葉が雨に濡れていました。

 よく見ると、左手前の低い位置にあるピンクの花は薔薇でした。この組み合わせも面白いと思い、写真を撮りました。今の季節、紫陽花もいいですが、葵のすくっとした立ち姿を見るのもいいものです。

 最近、きれいな景色を見ながら、ただしゃべっているという動画を撮っています。これもそのひとつで、今朝の小雨降る城原海岸です。

 YouTubeを見るだけっていう方もぜひ、登録してください。そうすると、また新しい情報が届きます。そして、気に入っていただければグッド・ボタン(いいね)をクリックしてください。今後の励みになります。