プラスチックとごみの問題

環境にそのまま捨てられ、どんどん蓄積しているプラスチックごみの問題。海洋を汚染しているマイクロプラスチック。気になります。

また、低温で焼却されたときに出るダイオキシンなどの有害な物質など、プラスチックとごみ、環境汚染の問題は、これまでも繰り返し語られてきた話題です。

じゃあ、プラスチック製品を買わない、使わないっていう選択ができるかっていうと、めっちゃムズカシイ。

食品の包装、飲料のパッケージ、電化製品、衣料や家具など、いたるところにプラスチックは使われていて、便利に利用されています。これを全部買わない、使わないというのは、どだい無理な話です。

ペットボトルをやめて紙パックにしたところで、紙パックも液体が漏れないように、内側に薄くコーティングされているのもプラスチックです。それを考えたら、紙ごみで捨てられる可能性のある紙パックよりも、リサイクル率が高いペットボトルの方が、もしかしたら、いいのかも知れません。

結局、一人の人間が考えることができるのは、「いらないものを持たない。」「大事に長く使う。」「きちんと捨てる。」ということに尽きるでしょう。

プラスチック製品の利点は「耐久性がある。」ってことです。長く使えるものは大事に長く使うに限るね。

台所や、お風呂で使うものなど、熱や水に強いのもプラスチックの特長です。10代の頃から50年近く使っている洗面器や石鹸入れ、表面に細かいキズがあるし、もともとのメーカーロゴのペイントなんかは消えてるけど、ぜんぜん使えます。

台所の計量カップなんかも、何十年も使ってると思う。

それでも割れたり、壊れたりすることはあるから、その時は、プラごみの日にごみに出す。日本って国は、高温で処理する施設があるから、ある程度は、分別して処理をすることができる。

それでも、全部が処理できているわけじゃないから、すぐ捨てるようなレジ袋とか、個包装の食品などは、なるべく使わない。その程度の選択はできると思う。

好奇心の距離感。

ぼくは、いつも未知のことに興味と好奇心を持っていたと思う。UFOとか心霊現象とか、なんとなくワクワクしてた。

UFOも心霊現象もぼく自身の体験があった。だからずっと身近に感じていたんだと思う。そもそも、まったく他人事だよねってことに、最近のぼくは特に、興味がない。

人ってどうなのかな。

人は、ほんのわずかな知識をもとにして、他人を批判したいっていうのがある。ぼくはずっとそう感じてた。そのうえで、自分に利害関係とか、まったく影響が及ばないところで好き勝手言う。ぼく自身そうだったと思う。

現代社会は、インターネットの時代だ。何かあると、井戸端会議のうわさ話で終わる時代じゃなくなってる。今までならスルーされていた話題が、大事(おおごと)になってたりする。そこのところは、ぼく自身「何か変だなぁ。」と、ただ違和感がある。

今はインターネットで距離感がない。たとえば、以前なら一生出会えないような海外の大スターとSNSでつながっちゃったりもする。そういう時代。

その分、「それは本当にそうかな。」と自分の胸に聞いてみることにしてる。そして、「何か自分に関係があるだろうか。」って確かめる。

1月仕込みのキウイ酒

いつも、11月の終わり~12月上旬くらいに仕込むのが例年です。

まだ少しキウイが残っていたのと、まだ果実に硬さが残っていたので、1月になって、新しく2リットルの広口瓶を買ってきて、ウォッカ2本分のキウイ酒を仕込んでみました。

数年前にホワイトリカーで始めて、いも焼酎でつけたこともあったし、昨年ウォッカ(スミノフ赤)で作ったのがおいしかったので、今年もスミノフ(赤)で作ってみました。

昨年はぜいたくに蜂蜜で甘み付けをしましたが、今回は普通に氷砂糖です。

スミノフそのものは、世界中に工場があって、いろんな場所で作られているようです。前回のは韓国産でした。日本で手に入るスミノフは韓国産が多いようです。今回のキリンブランドのスミノフは、ちょっとボトルデザインが変わっていたっぽいけど、やっぱり韓国産かなぁ。うかつにも、空ボトルを捨ててしまったので、また買ってコーラ割かなんかで飲んでみようと思う。おいしいですね。

ウオッカの思い出

ウォッカと言えば、サントリー樹氷というのがあって、今の樹氷と違って「マイルドウォッカ」として売られていました。これにウイスキーの「レッド」をブレンドして飲むと、手っ取り早く安く酔えるというので、20歳ころマイブームがありました。

ズブロッカやアブサンに似た薬臭い酒(名前を忘れました)もよく飲んでいた記憶があります。「ピンガ・ポンタル」というトウモロコシのブラジル産の焼酎もおいしかった記憶があります。

今はお酒を飲むのは、居酒屋やカラオケボックスだろうし、コンビニで缶に入ったお酒が買えます。

年齢のせいもあるけど、味わって飲むのは、日本酒かな、今は。

深夜過ぎて、風が吹く。

12月も終わり。この頃は、吹雪いて、凍えそうな夜を過ごしたことが多かったと思う。かつて玄関には長靴が並び、ピューピューと北風の吹く音がして、時折戸を揺らしていた。

2019年の年末は、ストーブこそ出てはいるが、これを消したところで、凍えるほどではない。

それでも、深夜1時を過ぎて、冬らしい風の音が聞こえ始めた。気圧配置は西高東低らしい。ただ、天気図を見ると、なんとなく等高線は隙間が空いていて、西の高気圧の勢力がゆるやかに広く見える。

幸せとは。幸せは、今ここにある。

幸せは探し求めて、未来に見つけるものではない。今ここにあること、見つめるもののすべてが幸せだ。

今持っている、心配だとか、不安だとか、悩みだとか、1年後には消えているものばかりだ。そのうち、代わりの新しい心配や不安、悩みを抱えてはいるだろうけれど。それも、今すぐに消すことができる。なぜなら、未来はすべて幻想であり、心配も、不安も、悩みも未来にあって、幻想でしかない。

ぼく自身、その幻想をずっと追いかけていた気がする。

「ただ何となく不安。」というのが、それだ。ある日、スピリチャルな人に「ハートチャクラに穴が開いている。」って言われたことがある。その時は「なんだそれ。」って思ったんだけど、心は知っていたと思う。

いつも、何かしら「不安」を抱えていなければ、いけなかった。そういう意識を育てていた。足らなくて、みっともない自分を責めて、人からそう見られないように努めていた。

「ぼくは、こんなにすごいんだよ。」そう自分で言い聞かせて「できること」に縛られてもいた。認められることが喜びになった。

ある日、今ここにすべてがあることに気がついた。

意識が世界を作っている。これほど明瞭で、はっきりした事実はない。その意識が不安な自分、認めれたい自分、かっこ悪いけど、それを見られたくない自分を作ってきたのだ。その自分から見えるのが、世界だ。手の届かない外国や、政府ばかりが世界ではない。

お酒を飲む、グラスや、北風の音。手に触れるもの、見えるもの。聞こえるもの、感じるもの。今、ここにすべての世界がある。

老人としての可能性

ぼくは、常に、今ここに生きているすべての人が「同時代人」だと思っている。「世代」というカテゴリーを「時代」に置き換えたら、1歳だろうが、100歳だろうが、同じだ。

一方で、個人のカラダというのは、年齢によって変化する。ぼくは今、59歳だが、社会制度的には「壮年」であって、65歳からが「高齢者」なのだそうだ。それに、近年「老人」という言い方はあまり聞かれない。「老人ホーム」は「高齢者施設」だ。

まあ、何歳が老人でも、高齢者でも、呼び方もどうでもいい。

ぼくが、鳥取に帰ってきたころ、父親は今のぼくと同じ、59歳だった。その父親はぼくから見れば老人であった。そうであるなら、子どもから見れば、ぼくも今、老人であっていい。

二十代のころ、可能性というのは、未知の世界にあって、手の届かないものだった。5年後や10年後を考えなさいなどと言われて、何も浮かばなかった。5歳年上、10歳年上の人を見て、何が違うのかが見えなかった。

今、ふと、あらゆる可能性がこの瞬間にも存在していることを知っている。

生きること、そのものが可能性だったりもする。

ひょっとすると、老人とは、すべてを可能性に変えることができる人を言うんじゃないだろうか。今後、ぼく自身、体の不調によっては、生死をさまよったり、苦しいこともあるだろう。それは不運ではなく、当然のこととして、ただ、すべてを可能性にして生きる。

お金は、エネルギー。

ぼくは、仕事柄、楽器の値段とか、パソコンの値段とか、よく訊かれたり、相談されたり、します。

パソコンの値段

たとえば、パソコン。「なるべく安く。」という人は、「10万円以内で。」とか言われます。極端な例ですと「2~3万円でないですか。」などと言われることもあります。

なるべく安い方がいい。その気持ちはわかるし、相場も知らないとなると、まあ、そうなるよね。という感じです。ただ、相場を知っていて、わざと値切ろうとして言っているとしたら、信用に値しない人だということになるでしょう。

ちなみに、今Windows7で、Windows10への買い替えを考えている方は、15~20万円くらいが相場です。オフィス製品がいらないとか、SSDじゃなくていい、ディスクドライブはなくていい、ひとつ前の製品でいいとか、条件を絞っていけば、7~8万円台までの製品に絞ることは可能です。そのあたりは、パソコン教室のエフセブンのホームページにも詳しく解説しようと考えています。

いるね、こんな人

たまに、5万円くらいでスクラップ寸前の中古のベンツを買って、そのままじゃ走れないんで、なんだかんだと70~80万円くらいかけて整備をして、1年もたたないうちに廃車にしてしまう。そんな人がいます。価値観は、人それぞれですから、それはぜんぜん構いません。ただ、あなたは、そんな人を信用しますか。そういう話です。

ギターの値段

たとえば、楽器。ぼくが「ギターを買うなら、どんなに安くても最低5万円くらいだね。」というと、90パーセントの確率で、どうして?って顔されます。

巷では、楽器店やリサイクルショップに数千円のギターが並んでいます。YouTubeやインスタで結構、ギターを弾けてそうな人が数千円のギターの紹介をしていたりします。

わかりやすい話

あなたがコンビニで丸一日働いて、1万円だとします。それくらいの賃金で、一人でギターを作れと言われたら、丸一日で作れますかってことです。

あなたが10日あれば、一人で、1本のギターを作れるとしましょう。金額はいくらになりますか。材料費は別です。

5万円どころか、10万円~20万円のギターは、ふつうなんです。職人さんなら、もっと早く作れるでしょうし、一度に数台作れるでしょう。ギター1本には、もともとそういうエネルギーが込められているんです。

それ以下の値段のギターというのは、工場での量産品だということです。木材の曲げも、プレスも、接着も、機械で作っているギターです。

モノの価値で値段を決めているのではなく、意識が値段を決めている。

人は自分で、高い、安いと正しく判断していると思っています。現実には、自分がどれだけエネルギーを注げるかということに、お金を使っています。

ぼくの知人で、1日3食、毎日カップラーメンを食べて、病気になりながら、スポーツカーに乗っていた方を知っています。それ相当のエネルギーが込められていたということです。

オカリーナ入門(本)

オカリーナ入門(本)を作りました。

めんどうなので、印刷はしません。タブレットで見ていただければと思って、上記はOneDriveのファイル共有リンクになっています(pdf)。

本当はこのサイトのメディアファイルとして保存したかったのですが、ファイルサイズの上限があって、保存できませんでした。

初出版?

上記のリンクが自分でも見えなくて、それならいっそ電子書籍にして出版してしまえ、と、以前登録しておいた電子出版Amazon Direct Publishingに本を登録しました。

いろいろやっていくうちに、登録できたみたいなんですが、審査が70時間くらいあるそうなので、通るかどうかわかりません。

「出版準備中」

夜7時半過ぎに見たら、「出版準備中」になってました。このまま本になっちゃうのかな? 意外と早い?

「販売中」になりました。

12時間経っていないんだけど、「販売中」となりました。703円でkindleストアから購入できることになります。

オカリーナ入門

現在「変更事項のレビュー中」

実際の本を見てみると、気になる点が出てきたので、早速改訂しました。アップロードすると販売中で、変更事項のレビュー中となりました。

鶏岩暖簾、すでにあちこちに行っています。

鶏岩の暖簾は、ふだんは、パソコン教室のエフセブンの入り口にかかっています。くぐって、出かけるし、帰ると、くぐってただいまです。

パソコン教室のエフセブンのエントランス暖簾

何かイベントがあると、持って行っています。披露する機会が今のところはありません。

クルマの中で、あるいは、控室でたたまれています。

お披露目する機会があれば、ぜひ、この暖簾をくぐっていただこうと思います。

この暖簾を連れていくのは、音楽を通じて、幸運を伝えたい。その一心です。

そのうち、トレードマークになって、たくさんの人に暖簾をくぐっていただける機会ができると思います。