モーニング・ページを書く

ジュリア・キャメロン氏の「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」という本を先日から読み始めた。

その本の最初の方に、「創造性の回復」のための重要なツールとして、「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」というものがある。

今の今まで、この二つを実践するのは、本を読み終えてから、まだ先のように考えていたのだけど、つい最近、掃除をしていて、ルーズリーフの用紙の束と、ルーズリーフと同じ穴を綴ることができるA4ファイルがあることに気がついた。そのことはその時だけで忘れていたのだが、ついさっき、そのルーズリーフのことを思い出して、ひらめいてしまった。

「モーニング・ページを書くことができる。」・・・やば!早起キシナケレバ。

「モーニング・ページ」というのは、「脳の排水」と説明されている。心に浮かんでくることを、どんなことでもそのまま書き留めるワークだ。日頃、「意地悪な批評家」であり、「検閲官」でもある左脳が、創造的な思考を妨げている。その検閲を免れるための訓練だ。

これは、人の目に晒すことなく、8週間は自分自身も読み返さない。朝起きて、すぐに書き始める3枚の文章。はて、ぼくは何を書くんだろう。

さ、寝よう(笑)

因幡和太鼓の祭典

今日は、友人にお誘いをいただいたので、因幡和太鼓の祭典を聞きに鳥取市尚徳町の鳥取市民会館に行った。

入口は正面入口から、ロビーに直接入るのではなく、検温や手指の消毒、記名などの一連の流れが必要なため、2列になって事務所の方をぐるっと回って入る。そして、マスク着用のまま席に着く。前列2列はあけてあり、席はひとつずつ離れて座る。

それぞれに特色があって、楽しい。子どもたちの熱演に元気をもらった。大人の太鼓は、迫力がある。パワーをもらった。照明にも凝っていて、見ごたえもあった。

今日もいい一日だ。

常に生まれ、去っていく。

ナタリー・ドロン(Nathalie Delon)さんが、つい数日前に亡くなられたそうです。映画『個人教授』は、ぼくがまだ10代ぐらいのときに、ドキドキしながら観たような気がします。もしかしたら、大人になって、ネットで見たのかも知れません。(ナタリー・ドロン – Wikipedia)ただただ、ご冥福をお祈りします。合掌。

有名な方が亡くなると、身近な方が亡くなるときとはまた違う、喪失感があります。昨年の志村けんさんや岡江久美子さんなどは、今も世間を賑わしている新型コロナで亡くなったため、多くの日本人にとって、センセーショナルでショッキングな出来事でした。

しかし、現実は、日々、たくさんの方々が亡くなります。自分自身も、意外な場面で死と直面するのかなぁと、時々思います。ひっそりと亡くなる方は報道されたとしても、目につかないこともあります。あとで、ずいぶん経ってから、ああ亡くなられたんだなという感じの方もおられます。

今日ナタリー・ドロンさんの訃報について話題が出た、あるグループで、元夫のアラン・ドロンさんは生きているのかとか、(別の関係ない女優さんだけど)カトリーヌ・ドヌーブさんはどうだっけというような話が出て、どちらも亡くなったんじゃないかとか言う人もいました。もちろん、お二人ともご健在です。カトリーヌ・ドヌーブさんに関しては、ぼくは昨年是枝監督の『真実』を映画館で観たばかりだったので、そのことをお話ししたら、驚いた方もおられました。

人々の記憶というものは、割とあいまいです。

覚書、いろいろ備忘録のようなもの

MuseScoreが3.6になりました。更新でアップデートをするより、インストールファイルをダウンロードして再セットアップ(上書きインストール)した方が早くて、確実という事実。これは、MuseScoreに限らず、他のアプリでも同じ。

コーヒーを淹れたあとのカスって、乾燥させておけば、消臭とかに使えるらしい。毎日、捨てていました。取っ手が取れて使えなくなった行平鍋に広げて、ストーブの上で数分温めて、湯気が立ち始めたら、ストーブから下ろして、しばらく置いておいて乾燥させます。出かける前に、ホコリが入らないように昨日使ったハンカチを広げてかぶせておこう。さて、出かける準備をしなくちゃ。

【重要!!】数分後には湯気が出始めるので、必ず目を離さず、すぐに下ろすこと!!

このまま公開するけど、あとで、またこの文章は書き直します。

iPhoneで撮った画像をGoogleフォトに保存すると、Hなんちゃらという独自の形式で保存されるため、Webページに使うためには、jpegやPNGなどの他の形式に保存しなおさなきゃなんない問題。このHなんちゃらって、Photoshopだと編集ができないという(できるようになったんだっけ?)。なので、もうGoogleフォト上で編集しちゃった方があとあと便利という、変な状況。

2021年、特別な年になる予感

ぼくが、パソコン教室を始めた年、2000年は、Windows Me(ウィンドウズ・ミー)とWindows2000。西暦の2000年問題が話題になっていた頃でした。巷ではWindows95、Windows98、98SE(セカンド・エディション)がまだ現役で、ワープロ通信や草の根ネットワークからインターネットへの移り変わりの時代を迎えていました。

あれから21年、22年目を迎えました。

この間に、さまざまなメディアで情報発信をしてきましたが、2021年が明けて、22日間ブログの更新が続いています。これは、これまでなかったことです。

以前は忙しかったから更新できなかったのだ。という言い訳をしていたと思いますが、今は、前よりもっと忙しいはずです。

今日も、朝から、走り回って、もう深夜です。

何かが動いているのでしょう。流石に眠くなったので、そのあたりの考察は明日書こうと思います。

おやすみなさい。

無題(とりとめなさすぎ)

時間が空いたときに、ブログを書くんですけど、ネットワーク環境によっては、投稿画面がなかなか出ないことがある。そういうときに、何を書こうとしていたのか、忘れてしまうことがあって、それなら、最初からテーマを決めないで書き始めることにした。

投稿画面が出るまでは、瞑想をしたり、ただ居眠りをしたりして、体も頭も休めるようにする。

それで、結局ボツになる投稿もあったりするんだけど、この方がスムースに書けそうだし、続くと思う。

今日は、午前中は、パソコンの設定をして、午後から、オカリナ教室を二つ、夜にもまた移動して、オカリナ教室があり、その夜に教室の前に時間があったので、書き始めています。

耳の中には、最近買ったノイキャンワイヤレスが突っ込まれていて、今は環境音の「せせらぎ」の音が絶え間なく流れています。

常に頭の中では、いろんな「おしゃべり」が流れているように思います。それは、流れては消え、流れては消えして、まとまることはありません。それをこうして出してやることによって、目で見て、読んで、読むことで、初めて消えるものは消え、形になるものは形になるんじゃないかと、始めたブログです。

家に帰って・・・。

ぼくはテレビが苦手だ。ぼくはテレビを見ないでも何日でも過ごすことができる。ビールを飲むのをやめる方が難しいくらいだ。都会の雑踏は苦にならなかった。絶えずひっきりなしに一方向からだけ流れるスピーカーの音が苦手なのだ。家族にとっては、テレビはなくてはならないものらしい。

これはこれ、この文章のまま、あまり推敲はしないでアップロードしてしまおうと思います。文体も書くタイミングでバラバラだし、文章同士の関連性もあまりありません。本当に思いつくままに書いています。

現代はテクノロジーの進化がめざましい時代です。インターネットや、パソコンも。一方で、生身の人間は、どうかな。むしろ退化してないかな。漢字が書けますか。こうして変換して活字を並べるだけで、紙に書くということがなくなりつつあります。あるいは、漢字が書けなければならないと思うかどうか。どうだろう。文字が道具であるなら、プログラムが出来なくても、パソコンは使えます。クルマの整備はクルマやさんに任せておけば、ドライブはできます。文字が読めないなら、困りますが、書くということは、キーボードに置き換えられます。

ぼくの頭の中は、とてもおしゃべりだし、とりとめがないですね。こうして文をつないでいくと、それがよく分ります。人にそう感じさせていないのは、左脳が頑張っているんです。頑張りすぎです。これまでは、本当にやり過ぎだった、です。もう、自分の言葉は断片のうちから、整理にかかっていて、古い引き出しを開けて、人に向けた言葉を並べていたわけです。

これを、やっと、出せるようになってきた。一切引き出しを開けないで、自分の言葉から取り出せるようになってきた。だから、整理しなくていい。まとまるときはまとまるのだから。

インスピレーションに従う

インスピレーションに従うためには、瞬間瞬間に、何を感じたのかを見逃さないことが大切だ。そのインスピレーションに従って、思ったことを今日はすぐに実行してみようと思う。もちろん、自分を含めて、人や物を傷つけることはしない。

時間がないとか、手持ちのお金がないとか、いつも何かしら理由を探して、やりたいことをやっていないということがある。その制約をできるだけ、取り除く努力をしてみる。

何気なく、YouTubeを見ていたら、いきなりこの動画が目に入ってきた。朝、イメージしていたことが、だいたいそのまま動画になっていたので、ビックリした。ぼくの場合は、年齢はあまり意識してはいなかった。

とりあえず電子書籍でジュリア・キャメロン氏の最初の1冊「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」を購入した。書店に行かなくても、すぐ読めるっていいわー。これを書いているのは、もう夜中だし。

こうした偶然は、シンクロニシティって言えると思うんだけど、午後、クルマのダッシュボードを見たら、温度表示が13度で、その隣がデジタル時計があって、13:13だった。そういえば、今日は、21年の1月21日で、シンクロニシティが、数字に現れることがある。こういうときは、思ったことを迷わず、確信を持っていいというサインなんだと、ぼくは都合よく解釈してる。

これも、シンクロニシティなのかな。スワンさんという方が、今日、本が出版されたという動画。内容もどんぴしゃり。電子書籍で出たら読みます。以前から、時々この方の動画は興味深くて、見ていました。

なんとなく、いろいろ、宇宙からなのか、神からなのか、わからないけど、タイムリーに教えられている気がします。これから、素直に、それを受け取ってみようと思います。

今がすべて、完成形

今朝はよく晴れました。鳥取県東部の東の端、岩美町から国道9号線を西にクルマを走らせると、らっきょう畑をくぐる新砂丘トンネルを抜けたところで、はるか遠くに、でも鮮明に、伯耆富士と呼ばれる大山の勇姿が見えました。年に何回あるでしょう。今日もいい日です。

オカリーナ教室のレッスンでは、伴奏にギターを弾きます。1日じゅう座ってギターを弾いていると、やはり、腰には負担になるようです。帰ったら入念にストレッチをしておこうと思います。

輪廻転生

「輪廻転生」というのは、ぼくは事実として知っている、というか、体感としてわかるような気はします。

人は現実に生まれ変わると思います。もちろん断言はできません。たぶん消滅する魂もあるのだろうと思います。

ぼく自身の体験は、詳しいことは言えませんが、死んだはずの人に過去に2度、現実に会っているんです。それぞれ、別の人なので、二人です。ぼくは、その二人の波動を今も感じて生きています。またどこかで会えるのかなぁ、という漠然とした淡い期待はありますが、確信はありません。会えるのなら、会いたいし、既に会っているのかも知れません。

二人との関係は、友人であり、肉親ではありませんし、テレビドラマで描かれそうな恋人とか、ドラマティックな出会いがあった人ではありません(ぼく自身にとっては十分にドラマティックな出会いではあるのですが)。

こうした経験をしてしまうと、一人の肉体に、ひとつの魂という概念が持てなくなります。たとえば、1本の木に、葉っぱそれぞれに魂があると、思えるでしょうか。もちろん、これをそのまま人間に当てはめることは出来ません。人間は、ひとつひとつの、一人ひとりの肉体を持ち、別々の意識を持っているからです。ただ、意識は、意識であり、魂とは別なのです。

この文章を書き始めた時「今が、100%であって、完成形なんだ。」ということを書こうとしたつもりでした。実際そのとおりだと思ったからです。ぼく自身、常に足りない、出来ていないを言い聞かせて生きてきた人間です。その足りない、出来ていないを埋める努力をしてきた。それも、今のすべてを認めないと、埋まらなかった。たまたま「今が100%」ということを気付かされたから、楽に生きていられるし、目の前にある困難も意味があるんだろうなと思います。

サンカンシオン。寒さの中で春を待つ。

シベリアの寒い地方では、冬季、高気圧が約7日間の周期で強くなったり、弱くなったりする現象が起こるらしい。日本では、冬から春にかけて、7日間の周期で寒くなったり、温かい日が交互に繰り返されることを「三寒四温」と言う。3日寒い日があれば、4日温かい日がある、そういう時期を繰り返して、だんだんと暖かくなる。そういうイメージだ。

現実には、そんなに計ったように7日間ということはないんだけど、この言葉を聞くと、春が待ち遠しい氣になる。

相変わらず、気温は低くて、今日も日中がずっと3度くらい。年末から、1月も下旬にさしかかり、寒い日が続いている。夕方はぼたん雪が舞った。大きな白い花びらがふわふわと空から落ちてくる。この季節だから見られる美しい風景だ。夜になるほど、雨まじりのみぞれになった。だんだんと気温は高くなっているようだ。

明日の朝も放射冷却で、路面が凍結するんだろうか。そこまでは気温が下がらないとは思うけど。

以前に比べると、ぼくの心はずっと穏やかだと思う。あまり人と比べてないなぁと思う。比べても意味はないってわかっていても、羨ましかったり、悔しかったり、いろんな感情が起こっていたように思う。細かいことを氣にして、怒ったり、泣いたりもしたと思う。

感情がなくなったわけじゃない。どちらかと言えば、楽しいこと、嬉しいことに焦点を合わせられている。だから、ぼたん雪を見て、美しい、嬉しいと素直に思える。

どうやら人生も、サンカンシオンを通ってきたように思う。これから、もっと良くなる。もっとシアワセを届けられる。

今、ネットの一住人として。

今、ネット上に自分で管理するサイト(ホームページ)が複数ある。その中心が、このスプリングバーズだ。ここがネット上の「自宅」だとすると、「職場」は「パソコン教室のエフセブンfseven)」だし、自分の部屋が「田後90」という感覚だ。

そこに、SNSなどのいろんな人やグループとのつながりがある、といった感じだ。

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去年は、「これからは動画だ!イェ~ッ!」って感じで、YouTubeなどの動画サイトに軸足を移そうとした時期もあったけど、動画をアップするには、もうひとつ環境が整っていない。編集に費やす時間が圧倒的に足りないし、高速なネット環境も必要だ。この辺は、だんだんと変わっていく可能性がある。今はその準備期間なんだろうな。

ここスプリングバーズが中心だといいながら、ここは、つながりの影に隠れている存在で、まだ、周知されていない。だからといって、積極的に宣伝しようとかは、思っていない。まあ、そのうち、だんだんと知られていけばいいかな。

問題は中身(コンテンツ)だ。中身がないのに、「見てみて。」って言っても、かえって敬遠されるだけだろう。しばらくは、雑談っぽく、アウトプットを続けていって、探っていこうと思う。2021年は、そういう1年になるんだろう。で、そのうち、気がついたら他のサイトも充実していって、まとまった文章が1冊の本になるくらいになれば、しめたもの。