プラ製の消耗品を買わない、使わない

今の日本で、プラスチック製品をまったく使わないで生活することは、難しいでしょう。

パソコンや家電製品に使われている部品の多くもプラスチックですし、マウスやプリンター、デジタルカメラなどの周辺機器にもプラスチックが使われています。

クルマやありとあらゆる生活用品まで、プラスチックが使われていないものの方が少ないと思います。

プラスチックは、成形、加工がしやすく、さまざまな色のものが作られます。軽く、製造コストも安く、木や鉄など、もともと違う素材で作られていたものの多くが、プラスチックに置き換えられています。

マイクロプラスチック汚染

こうしたプラスチックがゴミとして廃棄されたあと、適正に処理されずに自然環境に出てしまうと、次第に粉砕されて、細かい粒子となって、動物や魚がエサと一緒に食べてしまいます。これが「マイクロプラスチック汚染」として、最近よく話題に取り上げられています。

大きな動物になると、袋や破片など、そのままの形のものを飲み込んでしまうこともあります。

人間が食事でとる食材の中にもマイクロプラスチックは含まれていることがあり、世界保健機関(WHO)や、環境省、厚生労働省などの報告も多数ありますが、「現状では健康にリスクはないが、さらなる調査が必要」とされています。

ぼくがやっていること

既に多くの方が実践していることです。まず、レジ袋を使わない。それから、個包装のものをなるべく買わない、使わない。などです。

シロップやミルクなど、一人用として、使い捨ての小さなカップに入っているものがあります。瓶や紙パックで買ったほうが経済的です。

処分する際には、プラゴミとして分別する。適正に処理されれば、環境に取り残されることはありません。PETボトルなど、リサイクルされるものは、必ずリサイクル品として処分する。

「ワクワク」に沿って生きる

「わくわくする」って、誰もが同じことでそうなるってことではないですね。

ジェットコースターが好きな人は、乗っていることを想像するだけでわくわくします。嫌いな人は想像すらしません。

「わくわく」って、その人の心に直結する感覚です。

もう、その「わくわく」を我慢しなくていいんですね。

今は、そういう時代になったんだと思います。

人に合わせて、がんばって、無理をしなくていい。

「わくわく」に沿って生きたほうが、きっと、うまくいきます。

みんながそうなれば、平和になります。

努力することがダサいとか、言うつもりはありません。

ワクワクがあれば、人から見ると、がんばって見えることも、その人にとっては、努力ではなくなるってことです。

これ、田後90の方にも書きますね。田後90〜水平線の向こうに〜は、ぼくの個人サイトです。若干表現の違う文章になっています。

出張レッスンのパソコン教室のエフセブンは、ぼくの仕事サイトです。

「しあわせを はこぶ鶏」始動

このサイトを始めたときには、はっきりした意図(いと)や狙いのようなものは、まったくありませんでした。

2017年の夏まえくらいに、地元(鳥取県岩美町)のジャズバンドにメンバーとして加わったときに、バンド名をどうするかというような話題があって、別に頼まれたわけでもないけど「お名前ドットコム」で、適当なことばを検索していって、見つけたのが、このサイト名「スプリングバーズ(SpringBirds)」でした。

なんか、かっこいいかなってカンジで。

その後、 この名前は、 バンド名としては、メンバーに提案も何もしていなくて、サイトも、ほったらかしでした。そのジャズバンドも今は、やってません。

ちなみにぼくは、このバンドではクラリネットを吹いてました。

ドメインの更新の時期がきたときに、放っておいて、廃止にしてもよかったんだけど、なにげに更新してしまって、でもやっぱり、ほったらかしにしてたんですね。

鶏岩(とりいわ)との出会い

2019年11月7日の夕方、aponの練習のあと、ボーカルの谷口尚美さんと行ったcafeニジノキでその「鶏岩(とりいわ)」と出会いました。

この日は「くじらの型染め」として、谷口恵美子さんの作品が展示されていました。どの作品もひとつとして同じものがなく、デザインも色使いも美しいものでした。その中で「鶏岩」とタイトルのつけられた暖簾に目が止まりました。

鶏岩は、鳥取市福部町のたんぼの中にある、ニワトリのとさかのように三角形に突き出た岩のこと。その岩の中には鶏がいて、1年に1回くらい鳴くらしい。その鳴き声を聞いた人は、幸せになれるという言い伝えがあるというような話を、その日展示の初日でcafeニジノキにいらした谷口恵美子さんご本人から聞きました。

次の日も、その話とその暖簾「鶏岩」のことが頭から離れなくて、そのまた次の日9日の昼前に谷口尚美さんを誘ってcafeニジノキに行きました。

幸せの鳥

ここは、鳥取だし、オカリーナもバードです(ガチョウ)。今後は、幸せを運ぶ鶏と一緒に音楽をたくさんの人に届けたい。そう感じて、鶏岩の暖簾を購入する(いただく)ことにしました。

ふだんは、もちろん、今パソコンを使っている事務所の部屋の暖簾として入り口にかけようと思います。

そして、スプリングバード岸本みゆうとして、このデザインの名刺を作ろうと思います。「しあわせを はこぶ鶏」始動開始します。

出張のできるパソコン教室、パソコン教室のエフセブン、オカリーナ吹きのみゆうの「tajiri90.com」も今後ともよろしくお願いします。以下に主要なリンクを貼っておきます。

輪切りの私

なんだ、それは?バラバラ殺人事件か?

いや、単に『矢切の渡し』をもじってつけたオヤジ的なタイトルです。

人は成長します。歳をとります。

生まれて、死ぬまで、ずっとです。

いっぽうで、Aさんは、常にAさんです。ぼくは、ぼく。

人は「過去はもうここには存在しない。今だけがある。」って思ってます。

そうでしょうか。

あくまで「こういう考え方もあるよ。」というスタンスで話を読み進めてください。

実は、過去の自分も未来の自分も同時に存在していて、その中のこの瞬間に見える部分を人は「今」だと認識しているのだと。

だから、輪切りの私。今。

そして、その私は、パラレルワールドというところに同時にいくつも存在していて、その世界は選択できるのだと。

輪切りの私(今)は、過去にも未来にもアクセスできます。そして、選ぶこともできます。違う世界の自分は、同じ自分でも、ちょっとずつ違います。

同時に存在している過去の自分をインナーチャイルドと言ったりします。

やさぐれていたインナーチャイルドがいたとして、そのインナーチャイルドを癒やすことができれば、輪切りの私(今)が変わり始めます。選択が変わるということですね。

掃除って楽しいじゃん♪

私たちの住むこの世界のことは、すべてエネルギーで説明できます。

お金やモノがあるっていうのも、エネルギーだし、行動したり、何かに心動かされて、反応したりするのもエネルギーです。

だから、モノを持ったり、捨てたりすることも、エネルギーの交換です。

エネルギーを火にたとえてみる

エネルギーを火にたとえると、わかりやすいかも知れませんね。

焚き火。メラメラと炎が燃えています。これは、まさにエネルギーのカタマリのような存在です。

火力が弱くなりかけると、薪(たきぎ)を加減を見ながら、つぎ足します。

大き過ぎる薪や、多過ぎる薪を、くべてしまうと、かえって火が弱くなります。

身の回りを整理したり、掃除するときも、この感覚です。

一度に片付けたり、時間をかけて掃除をしたりするのでなく、焚き火を楽しむように、身の回りを楽しんで眺めながら、少しずつ、きれいにしていく感じです。

今を未完成だと思わない

掃除をするというのは、片付いた状態を理想として描いて、そこにたどり着くまで片付いていない状態を続けるということになります。

つまり、その理想にたどり着くまでは未完成ということになります。

これは、片付いていないという意識を常に持ち続けることになります。

その意識に終わりはありません。

なぜなら、片付こうが、何しようが、常に身の回りの状況は変わり続けるからです。

気がついたら、ホコリは積もってますし、本棚におさめたはずの本が積んであったりします。

今は、すべてオッケーです

未来にも実は存在しない理想を見るのではなく、今を見るだけです。

今が心地いいと感じられるか、どうかです。

ちらかっていても、落ち着くという人もいます。

高級ホテルのラウンジでは落ち着けないという人もいます。

自分が触れる世界は、自分が作っている世界です。

今の自分そのものが、触れる世界に存在しているだけだということが理解できたなら、自分の意識を変えるだけで世界は変わり始めます。

今目の前にある世界は自分そのものです。オッケーを出しにくい状況にある人も、オッケーを出す。自分そのものを味わうことでしか、世界は変えられません。

こんな雑然とした文章でも、自分が表現できていればオッケーなんですね。

ノーベル文学賞を取ろうとは思っていません。

読んだ方に何か伝われば幸いです。

掃除は、自分磨き。楽しいっていう話でした。

新しいステップに向けて

人のカラダの中には、毎日新しい細胞が生まれています。

ぼくは、まず朝、目が覚めたあと、瞑想をして、この細胞に意識を向けます。それがやがて新しいカラダをつくります。

いま現在のこの歳58歳にして未熟なところや、老いて衰えていくところを見ないわけではありません。でも、そればかりを見ることは、せっかく生まれた細胞も生かせないと考えます。

ぼくは、ぼくという人間を通じて、自身がパイプとなって、イメージする世界を届けたい。それは、音楽、言葉、何か他の伝わるもの。

もしそれが役に立つのなら、嬉しいと思う。新しいステップとして、このサイトをぼく自身のわくわくを伝える場に育てます。

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企画展「Our Collections!」

2019年2月16日、雨の土曜日。鳥取県立博物館で始まった企画展「Our Collections!」を見に行ってきました。

14時からのギャラリートークもたっぷりと楽しんできました。ここに掲載した写真はもちろん「撮影OK」の表示のついた作品です。

竹川宣彰氏「遊牧」
「遊牧」の牛の胴体の中を覗くと、解き放たれた牛の群れが見える。

2枚目は、一見すると何かわかりづらいのですが、1枚目の竹川宣彰氏の作品「遊牧」(巨大な牛のオブジェに見える作品)の「牛の体内」を映したものです。2011年の福島第一原子力発電所での事故のあと、帰還困難区域に取り残されて、柵から放たれた牛たちがテーマになっているそうです。

竹川宣彰氏「群落」

3枚目も同氏の作品「群落」。

オノ・ヨーコ氏「Play it by Trust」

4枚目はオノ・ヨーコ氏「Play it by Trust(信頼して駒を進めよ)」実際に座って、チェスができる作品です。

もちろん、伊谷賢蔵や前田寛治を始めとする鳥取県が所蔵する膨大なコレクションの一部を見ることができます。

ギュスターヴ・クールベの「まどろむ女(習作)」や佐伯祐三の「オーヴェールの教会」なども、同コレクションとして展示されています。

他にも、見どころがあり過ぎて語りつくせません。1時間じゃとても足りませんでした!また機会があれば見に行こうと思います。3月10日まで。

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謙遜って自分を落とすこと?

こんにちは!SpringBirdsです。春はもうすぐですね!このサイトでは、思考すること、クルマのこと、芸術や音楽のことなどを書いています。

「謙遜」って言葉を調べると、「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。」と出てきました(Google検索より)。

他の解説には「卑下することではない。」ともあります。

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わ! ぼくは気が付いてしまいました。

ぼくは、これまで謙遜するつもりで、自分を卑下していたんです。人に合わせて、相手を尊重したつもりで、それで何となく丸く収まるんじゃないかと勘違いしていました。これまでは、ずっと、そんなカンジだったかも。

それがぼくの習慣になっていて、ぼくは、自分自身に対しても自分を低く見て、人にも自分を低く見せるようになっていたんだと思う。

でも、それって結局ウソだね。自分に対してはもちろん、相手に対してもウソをついてるってことになるよね。

あっちゃあ・・・、と思ったハナシでした。

その都度やる。たらればは捨てる。

こんにちは!Springbirtdsです。寒い日が続きます。でも、春はもう目の前です!このサイトは、自然、環境のこと、クルマのこと、芸術・文化のことなどを書いています。

巷でよく言われている内容のことだと思うんだけど、これは、ぼく自身のために、確認のために書いておきます。

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しようと思ったことは、その都度やる。

重要でない、必要ない、忘れていい。

そう思ったこと「だけ」を、捨てる。

その都度やることが難しければ、最低限「声を出す」

声を出すのは、誰もいなければ、ひとりごとでも構わない。

それを、習慣にする。常にそうする。

これまでは、「こうしたら・・・。」「こうなれば・・・。」って考えて、重要なことでも、後回しにしていた。

あとからでも、できれば、それでいい、できると思っていた。

甘かった。

生きるって、そんな甘いもんじゃない。

それでもこれまで過ごせたのは、関わる人がガマンしていただけだった。

・・・ってことに58歳のおっさん(ぼく)が気がつくわけです。

まあ、年齢ではないとは言いますけどね。

恥ずかしいよね。

って、恥をさらすんですけど、それもこれも自分のため。

で、まあ、これを読んだ人が、今からでも遅くないって思ってもらえれば、・・・。そこは、オマケとして。

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もちろん、ここで言っているのは、人と関わることに関して。

このブログを書くとか、本を読むとか、買い物をしたり、洗濯や掃除をしたりするような日常のことを後回しにしてはイケマセンみたいなことでは、ありません。

そういうことは後回しにしてでも、意味のあること、押さえるべきところは押さえましょうという話です。

きのう使ったハンカチ

こんにちは!SpringBirdsです。このブログでは、生活のこと、環境のこと、クルマのこと、芸術や音楽のことなどを書いています。

きのう使ったハンカチを今日も使うために持ち歩いています。濡れたら、乾かせばいいし、汚れたら洗えばいい。少し汚れてもいい、そんな場面できのう使ったハンカチを使います。けっこう重宝します。

家では、タオルも数日いろいろな用途で使うことがあります。顔を拭いたあとは、身の回りの気がついたところを拭く。何度でも使えます。ティッシュペーパーは、くしゃみをしたときだけに使います。コンビニでもらうウェットティッシュなんかも、重宝しますね!

公衆トイレで手を洗うとき、鏡の前でまず自分の姿と向き合います。それから袖を捲り上げてブレスレットと時計をはずします。排水栓を閉めて、少しの水を貯めておいて、手のひらで水をすくってから、まず洗面台と蛇口を水で洗います。

それからようやく、石鹸で丹念に両手を洗うんです。その後、流水で石鹸を洗い流し、蛇口を閉め、排水栓を開けます。ハンカチで、手をていねいにしっかりと拭きます。

その後のぼくのやることは、もしそばに誰かいれば、ちょっと驚くことかも知れません。

ぼくは、いつも今日のハンカチの他に、きのう使ったハンカチをどこかのポケットに入れています。

そのハンカチで、洗面台のまわりの水しぶきなどを拭き取ります。汚くないのでしょうか? もちろん、そのために、最初に貯めた水で、洗面台の周りを洗っているわけなんですね。ハンカチは、あとでクルマのダッシュボードに広げておけば、走っている間に乾きます。

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