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クリアリング・ステイトメント

 アクセスバーズに、クリアリング・ステイトメントってあるんですね。これが、ぼくは「ちちんぷいぷい」とか「ビビデバビデブー」とかに似た、魔法の呪文、おまじないみたいで、おもしろいなって思ったんですね。

 もちろん、ふざけているわけではないんですよ。元はひとつひとつが意味があることばを、ギュッと凝縮してあるわけです。そういう意味で言えば、たとえば般若心経とか、ご真言、あるいは「なむあみだぶつ」みたいな宗教的なことばのようでもあるけれど、それともちょっと違うんですね。

 感覚として近いのは、ハワイのホ・オポノポノなのかなって思います。それって、何?って思った方は、調べてみてくださいね。「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」この4つのことばを繰り返し、感情を込めずに唱えるメソッドがあるんです。ハワイ語や英語じゃないといけないという人がいますが、ことばは、波動ですので、潜在意識に働きかける効果は何語でも変わりません。

 ぼく自身の体験もそうですが、いろんな人を見ていて、潜在意識のブロックって、かなり強力だということがわかります。

 いちばんわかりやすい例として、よく挙げられているのが、お金に対するブロックです。人は、まるで空気か水かのように渇望して、「お金がないと生きられない。」とさえ常に思っているんですね。

 でも、そう思っている人に「次にお金を支払うときはいつですか。」という質問をすると、明日だったり、1週間後だったり、わからなかったりするわけです。それは、とんでもなく巨額の借金を抱えている人ばかりではなくて、じゅうぶんにこれまでも生活できている人でも、まったく同じです。そういう、ぼく自身もそうでしたし、請求書をもらっていて、まだ支払っていないときなどは、気にはなります。だけど、払ってしまうと、その感覚は一瞬で消えてしまい、すぐに忘れます。

 本当になくて困る空気や水に対しては、そんなに思わないんですね。災害が起きて、水が不足すると、どうしようと思うけれど、それでも、人は生きています。空気や水は、何もしなくてもただ受け取るだけでいいわけです。日本人は特に、もともと常にあると思っています。

 お金ばかりではありませんが、そうしたブロックを外しましょうと、潜在意識に働きかけるのが、アクセスのクリアリング・ステイトメントです。「破壊(デストロイ)して、アンクリエイトしますか?」と実際に問いかけることもあります。

 そうなんです。潜在意識のブロックに対しては、「破壊する」くらいのインパクトが必要なんですね。そのあたりは、とても明確です。

 アクセスコンシャスネスの「あなたのハッピーを見つける #FINDYOURHAPPY」というページには、このクリアリング・ステイトメントについて、わかりやすく解説してくれる動画がたくさん載っています。

 ずっと囚われていた感覚がここにあります。実際に、ぼくの感覚は以前より、ずっとクリアになっています。だから、書けている文章なのかも知れません。

ご予約をお待ちしています

 アクセスバーズって何? とにかく体験をしたい! という方のメニューを、3,000円(通常は6,600円〜)で、ご用意いたしました。

 20〜30分の体験でもアクセスバーズのエッセンスを体感していただけるよう、最初にかんたんなカウンセリングを行います。ご遠慮なくお問い合わせ、ご予約ください。

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どうして人は、自分には足りないものがあると思ってしまうのだろう?

 現実に「足りないもの」は、あると思います。

 というか、誰もが「足りないもの」だらけで、探せば、すぐにたくさん見つかるんじゃないかと思います。

 たくさんの人が、お金に困れば足りないと思い、なにか満足できないことがあれば、人が足りない、愛が足りない、体力が足りない、知識が足りない、と枚挙にいとまがありません。

今、ここにすべてがある。

 よく言われますね。これが本当のことあり、「存在」の本質です。本当に、すべてがここにあります。

 でも、なぜ、人は「足らない」と思ってしまうのでしょう。

 それは足りないと「考える」からです。

 生まれたばかりの赤ちゃんは考えません。おっぱいが足りないと感じれば泣くだけです。考えているわけではありません。

 赤ちゃんのように、考えるのではなく、自分が何をどう感じているのかに意識を向ければ、生きているだけで満たされていることに気が付きます。

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夢レポート12月28日

夢の内容を鮮明に思い出せる

 ここ1週間か10日間くらい、朝目覚めたときに、寝ている間に夢の内容をほぼ正確に覚えていることが続いています。

 これには、何か意味があるんじゃないかと思い、夢リポートを不定期で書いてみようと思います。

今朝の夢のストーリー

 今回の登場人物は、ある女の子です。

 彼女は自撮りで動画を撮って、公開するという趣味がありました。とても明るく、はつらつとした動画です。とても楽しい動画で、ぼくはすっかり彼女のファンになってしまいました。

 ところが、その彼女に会ってみると、ふだんは、とてもおとなしく、ふさぎ込むこともありました。まわりに人がいても目立つ行動はまったくしません。不機嫌そうな顔でぽつりぽつりと話す姿は、動画に見られる彼女と同じ人物かと疑われるほどでした。

 でも動画を撮り始めたとたんに、見慣れた姿に変身します。

 ぼくは何かお手伝いをしたいと彼女に申し出て、ぼくが持っている携帯で動画を撮り始めます。

 最初、ぼくのお手伝いを喜んでいた彼女でしたが、なぜか乗り気になりません。自撮りで、つまり撮られている画像を自分で見ながらでないと、気分が出ないようです。

 そこで、彼女に背を向けて、自撮りスタイルで撮り始めます。その映像には、ぼくの姿はなぜか映りません。このあたりは夢ならではの現象なのでしょう。

 彼女はまた違ったノリを見せてくれるようで、とても魅力的な動画が撮れました。このスタイルが気に入ったようです。

 そのうち、自撮りではなく、最初に試そうとした、あとでモニターを見るという方法でも、動画が撮れるようになりました。モニターを見るたびにアイデアが湧くようで、内容もその都度フレッシュで、どんどん良くなっているのがわかります。

 だいたいこんな内容の夢でした。彼女はまったく知らない人物で、名前も年齢もわかりません。夢の中のぼくも、今のぼく自身ではないような気がします。夢の中の動画の内容は、なぜかまったく思い出せません。

ここから夢分析をしてみます

 ひとまず、出かける準備をしますので、夢分析はあとでやります。とにかく、何か意味があるような気がします。いつもなら、夢のことを覚えていても、数時間経つと、その内容も忘れてしまっています。

 昨日見た夢も印象的でした。名前が2つある女性の夢で、その名前も覚えていたのですが、もう今では忘れています。ひとつはごく一般的な名前で、もうひとつは、想像もできない読み方をする名前でした。芸名やペンネームにしては奇妙な感じがありました。

 その前には「遺言」をぼくに書いてほしいと依頼する女性の夢を見ています。まったく深刻な表情ではなく、気楽に買い物かなにかを頼むような感じで、ぼくに話しかけてきました。

 ここに登場するのは、3人ともまったく違う女性です。

 さて、出かけます。もしかしたら、何か別の世界があって、続きのストーリーがあるような気がしてきました。

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話す言葉の主語を考える

 ぼくは、・・・と、このように「ぼく」を主語として文章を書き始めることが多いようです。それがいいとか、悪いとかという話ではないのですが、それは、ぼく自身の過去の経験がそうさせているんじゃないかと、今、思いました。

 過去の経験というのは、「自分を犠牲にする」「正しく生きる」「人のため」という観念で、ずっと長い間生きてきたわけです。その思いは、自分で思っていたよりも強力だったみたいで、結果、自分を見失って、自分がわからなくなった、という経験がありました。

 その当時を振り返ると、そのために、ずいぶん苦しんでいた自分自身が見えてきます。

 なぜ苦しいのか、どうやったらこの状況を変えられるのかがわからなくて、ある時、ヒーリングができる方のカウンセリングを受けました。そのとき、ストレートにそのまま「みゆうさん、あなたには、自分がまったくありません。」と言われました。

 それが5年くらい前のことだったと思います。

 それから、自分を取り戻すために、ノートに書いたり、ブログを書くことで、アウトプットすることがずいぶん役に立ちました。声を録音して、アップロードしたりもしていました。

 この5年間に身についたのが、「ぼく」で始まる文章だったんだと思います。

 ぼくは、パソコンや音楽のレッスンを講師として、しています。そのときには「あなた」あるいは「皆さん」を主語にして話をしています。

 「あなた」がこういう状況で、こうしたらいいよ。こうしてみては、どうでしょう。といった感じです。

 「あなた」を主語にする場合には、イメージが必要です。何が伝わっているのか、何をどう感じているのか、「あなた」を見たときのイメージであり、「あなた」にとって必要だと思われるイメージです。

 ぼくが「ぼく」を主語にして話をする場合は、「あなた」のイメージに触れないように慎重になっているわけです。イメージの押し付けにならないようにと「忖度」しているわけです。

 押し付けにならないためには、訊ねればいいわけです。相手を理解することから始めないと、どんなに慎重でも、結局は伝わらないかも知れません。

 やっと、これから本当の自分自身を始められそうです。自分自身を取り戻したところから、相手の理解へと、今日、舵を切りました。

 話す言葉の主語を考えて、再スタート、アンクリエイトします。

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今を自分らしく生きることが、幸せ。

 自分というのは、この世界に現れている現象のひとつだと思います。同じ花でも、アスファルトの下で生まれる花もあれば、田んぼのあぜに咲く花もあります。

 自分では、黄色い花だと思っていたら、赤い花が咲いたりするでしょう。

 受け入れるしかない、変化ってありますね。何日も雨が降らなくて、枯れていくかも知れません。

 枯れる花が不幸でしょうか。田んぼのあぜに咲いたら幸せでしょうか。

 幸せか、不幸かを決めるのは、人間の思考です。

 不幸だと思ったら、なんでなんだろうと考えます。お金がないから不幸だと思ったら、お金持ちになろうとします。

 それって、意味があるでしょうか。

 今、生きている。そのまんまが幸せなことです。

 ぼくは、今、そう思っています。

 ほんで、めっちゃ幸せです。

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喜びは、いつも隣にある。

 苦しいときに考えることと言ったら、誰もが「苦しい、早く楽になりたい。」だろうと思う。「自分は、いったい何をやっているんだろう。」とか、「こんなはずじゃなかったのに。」とか。ぼくも本当にずっと、そう思っていました。

 年齢を重ねて振り返ったときに「あの経験があったから、今がある。」そう思えることが、これまでにたくさんあったとしても、苦しいときは「苦しい。」と思う。それを無理に「楽しい。」と思わなくてもいいでしょう。苦しいときは、苦しみとして認めて、味わうしかありません。

 それでも、今は喜びがいつも隣にあることを知っています。知っているだけで、そのままを味わうことができます。意識ってすごい力があるんですね。

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時間は、あります。

 時間という存在は、ありません。さまざまな変化を読み取るのに「存在する」ことにした方が都合がよく、便利なので「存在している」ことにしているだけです。ですので、ここで「時間がある。」というのは、あくまで概念上の話です。

 なぜ、こんなややこしい話をしているかというと、人があまりに「時間がない。」と考えることが多いからです。もともと存在しないものですから、ないと考える必要がないのです。

 一日というのは、地球の自転一回分です。それは、同じ場所に留まることで感じられるものであって、もし地球が自転する速さでまったく逆の方向に回り続けたら、どうでしょう。ずっと太陽が同じ位置にあって、昇ることも、沈むこともありません。時間は、もともと存在しないので、変化がなければ定義することもできません。

 そんな非日常を考えるまでもなく、時間が概念だということがわかれば、急いだり、焦ったりしなくてもいいんだということがわかると思います。

 眠ったり、瞑想したりすると、自分では、時間の長さは感じられずに、疲れが取れたり、思考が整ったりすることで、時間の経過を知ることがあります。8時間眠っていたとしても、それは、意味のある変化を経験した時間です。8時間を「浪費した。」と考える必要はありません。

 テレビを見たり、ゲームをしたり、ぼうっとしたり、そういう時間も意味があると思えば、大切な時間になります。

 結局、時間が概念であるなら、今をどう感じるかで、変わってくるということです。

 時間は、あります。無限です。

 今、ここに書いた文章の「時間」を「お金」に置き換えると、面白いことになると思います。時間もお金も、実体はなく、本質は波動であり、エネルギーだということが腑に落ちるのではないでしょうか。

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アクセスバーズ スピリチュアル ブログ 挨拶

体感があることは、伝えやすい。

 というよりも、言葉だけで伝えている、伝わっていると思っていても、実は体感を共有しているから、伝わっているということがあります。

 たとえば「赤いバラが咲いています。」と誰かが話したとします。匂いを知っている人は、匂いを共有できます。その鮮やかな色を知っている人は、その色を共有できます。

 中には、赤いバラを見た記憶がある季節を感じたり、赤いバラから連想される過去の出来事を思い出す方もいるでしょう。

 もし誰かが「北欧で見るオーロラは美しいね。」と言っても、日本人のほとんどの人が写真でしか見たことがありません。「そうなんだろうなぁ。」とは思っていても、体感がないので、伝わってきません。中には「たいしたことないかも。」と思っている人もいるでしょう。「寒いし、待つ時間が長い。」と思えば、実際に見に行こうとも思いません。

 「やっぱり升席で見る相撲は迫力あるね。」と誰かが言ったとしても、やはり見たことがない人には実感がありません。「ベンツ、最高だよね。」って言われても、ただ単に自慢されているようにしか思えません。

 人々が実感をもって感じるのは、体験を通して得た記憶です。人づてに聞いたことや、インターネットや本で見て、読んだものは、記憶や知識には残っていても、実感、体感はありません。

体験してほしいこと

 今、アクセスバーズのことを考えながら、この文章を書いているんですが、伝えようとしている人に「体感の共有」がない場合、どうやって伝えたらいいんだろうと、思っています。

 相撲の升席や、ベンツのことを伝えるみたいに、詳しく実況したらいいんだろうか。どうしたら升席に座れるのか、どうしたらベンツに乗れるのか、アクセスバーズで何が得られるのかとか。

ご予約をお待ちしています

 アクセスバーズって何? とにかく体験をしたい! という方のメニューを、3,000円(通常は6,600円〜)で、ご用意いたしました。

 20〜30分の体験でもアクセスバーズのエッセンスを体感していただけるよう、最初にかんたんなカウンセリングを行います。ご遠慮なくお問い合わせ、ご予約ください。

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オカリナ ブログ 挨拶 音楽

ナイス=オカリナ・ドットコムができました。

 YouTubeのチャンネルが@nice-ocarinaという名前になったことを先日書きました。

 そして、最近、ナイス=オカリナ・ドットコムというサイトを立ち上げました。

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花は、咲く。

 標題に点「、」と丸「。」を付けたので、曲のタイトルと間違われないでしょう。花は咲きますね。見事です。どうしてあんなにいろんな色がいっぱいなんでしょうか。下には土か水しかないはずなんですけど。花を見ると、生命の神秘を感じますし、癒されるし、エネルギーを感じます。束にして、ただの水道水に茎を切って漬けているだけで、何日も咲いているし、緑色のつぼみだったのが、色づいて開いてきます。

 ところで、善と悪の話をします。花が咲くことは善でしょうか、悪でしょうか。

 上に書いたようなことがあるから、ふつうは花が咲くことは善だと言うのでしょう。そして、花が枯れるとしたら、悪だというのでしょう。

 でも、よくよく考えてみれば、枯れなければ、新しい花は咲かないんですね。そうしたら、善も悪もないじゃないかって思うわけです。

 ついつい、人は善悪で判断しようとしますけれど、そのままを認めることの方が、大切なんじゃないかなって、ふと思ったのです。