ぼくは、・・・と、このように「ぼく」を主語として文章を書き始めることが多いようです。それがいいとか、悪いとかという話ではないのですが、それは、ぼく自身の過去の経験がそうさせているんじゃないかと、今、思いました。
過去の経験というのは、「自分を犠牲にする」「正しく生きる」「人のため」という観念で、ずっと長い間生きてきたわけです。その思いは、自分で思っていたよりも強力だったみたいで、結果、自分を見失って、自分がわからなくなった、という経験がありました。
その当時を振り返ると、そのために、ずいぶん苦しんでいた自分自身が見えてきます。
なぜ苦しいのか、どうやったらこの状況を変えられるのかがわからなくて、ある時、ヒーリングができる方のカウンセリングを受けました。そのとき、ストレートにそのまま「みゆうさん、あなたには、自分がまったくありません。」と言われました。
それが5年くらい前のことだったと思います。
それから、自分を取り戻すために、ノートに書いたり、ブログを書くことで、アウトプットすることがずいぶん役に立ちました。声を録音して、アップロードしたりもしていました。
この5年間に身についたのが、「ぼく」で始まる文章だったんだと思います。
ぼくは、パソコンや音楽のレッスンを講師として、しています。そのときには「あなた」あるいは「皆さん」を主語にして話をしています。
「あなた」がこういう状況で、こうしたらいいよ。こうしてみては、どうでしょう。といった感じです。
「あなた」を主語にする場合には、イメージが必要です。何が伝わっているのか、何をどう感じているのか、「あなた」を見たときのイメージであり、「あなた」にとって必要だと思われるイメージです。
ぼくが「ぼく」を主語にして話をする場合は、「あなた」のイメージに触れないように慎重になっているわけです。イメージの押し付けにならないようにと「忖度」しているわけです。
押し付けにならないためには、訊ねればいいわけです。相手を理解することから始めないと、どんなに慎重でも、結局は伝わらないかも知れません。
やっと、これから本当の自分自身を始められそうです。自分自身を取り戻したところから、相手の理解へと、今日、舵を切りました。
話す言葉の主語を考えて、再スタート、アンクリエイトします。
