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昨日のタオル、ハンカチがある

一日使った昨日のタオル、ハンカチで、ちょっとしたものを拭き取ることができる。ホコリ、汚れを拭き取るのに新しいタオル、ハンカチではためらわれるけれど、これから洗濯かごに行く予定のタオル、ハンカチなら迷わず使うことができる。

これが意外と活躍する。ちょっとしたホコリ、汚れというのは、身の回りにたくさん見られる。

何か机の上にこぼしちゃった。化粧品を使ったあとの容器。いつの間にか落ちていたコーヒーの粉、パンくず。洗う前のクリームのついた食器。食べたあとの口のまわり。指紋だらけのスマホの画面。

あれ?それ、ぜんぶティッシュで拭き取ってる?

ティッシュって便利です。ぼくも使っています。でもなるべくなら、昨日のタオル、ハンカチが使える場面では、ティッシュは使わないようにしています。ティッシュの空き箱がいくつも転がっていたりすると、いやだから。

この他にも

昨日使ったタオル、ハンカチは、つけ置き洗いをしたい洗濯物があるときにも、洗剤を染み込ませて一緒に置いておいて、あとで一緒に洗えます。このほうがどちらもきれいになるかも。

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スピリチュアル ブログ

紙はカミサマにお返しする

 ぼく自身は、イベントのちらしなどの配布物をお渡しするような、どうしても必要なとき以外は、「紙」を使って、情報を誰かに伝えるということをなるべくやらないようにしています。

 身近にパソコンやタブレット、スマホがあります。メールやインターネットを通じて、さまざまなサービスを無料または格安で利用できます。

 情報を発信する、共有する方法としては、こうしてブログやSNSで文章を書いたり、クラウドを利用するなど、さまざまなツールを使うことができます。

今も「紙」が使われています

 今、AIが登場して、仕事がなくなるというような話題が時々出ていますが、ずいぶん昔も似たようなことがありました。FA、OAやインターネットの登場で、ペーパーレス社会が出現すると言われたこともありました。

 紙の原料は、木材や植物であり、資源です。ペーパーレス社会は本来、環境にやさしいはずですが、どうしてだか未だに実現されていません。

 このように社会の変化はゆるやかです。今はその中で、一人ひとりが何を選ぶのかが問われている時代なんだろうと思います。

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ブログ 音楽

大人になって、音楽を始める方に伝えたいこと

 まず、最初に伝えたいのは、「できる人と比べないでいいですよ。」ということです。音楽家と言われる人の中には、「3歳からやっています。「5歳からバイオリンを、ピアノを習っています。」そんな人がたくさんいます。こういう人は、いわば、「レールが敷かれていた」人です。音楽に限らず、スポーツでも、こういう環境に恵まれていた方はたくさんいます。

 早くから音楽に触れていたほうが、有利なことはあります。ですが、音楽には物理学と数学と情操教育の3つの側面があります。音は物理であり、数学です。「へ?」ですよね。「そんな高度な知識は持っていないので、なおさら難しいです。」いやいや。音が物理であり、数学ってのは、事実であって、高度な知識は特に必要はありません。その事実を知っていればダイジョウブです。

 小さい頃から環境に恵まれていた人は情操教育の面で、有利ですが、マイナスの要素となっている人も見られます。人それぞれで、いろいろです。結局はその人自身が何をどう受け止めるのかが決め手になります。同じレッスンを受けていても、楽しいと感じるのか、嫌だと感じるのか。どちらであっても、伸びる人は勝手に伸びます。

ぼく自身のこと

 ぼく自身、クラリネットを吹き始めたのは12歳です。それまでは音楽とは無縁でした。昭和35年に生まれて、戦後十数年足らず、ぼくが生まれた漁村は、漁港の開発が始まり、混沌としていた時代でした。

 全体責任だと、廊下に子どもたちを並べてゲンコツで教える先生もいたし、子どもたちのケンカも“骨折程度”では事件にもならない環境でした(本当です)。具体的なことはこれ以上書けませんが、どこでもそれが当たり前だと誰もが思っていた時代だったのかも知れません。

 周りの勧めもあって、鳥取大学に願書を出したものの、受験せず、高校を卒業してすぐに上京しました。受け入れ先の都合もあって、実際には卒業式を目前に控えた2月に上京して、ずっと、学校の楽器を吹いていたので、クラリネットのマウスピースだけを持っていきました。

 渋谷の道玄坂の途中にあったヤマハ渋谷店で、電話を借りて親を騙して(汗)ローンを組んでセルマー10Sという当時発売されて間もないクラリネットを買いました。誤解のないよう記しておきますが、店員さんが強引にローンを勧めたということはありません。

 そのうち週末にはライブのできるお店でジャズを見様見真似で吹くようになります。

 自分のことを書くつもりはなかったのですが、それは、他でも書いていることでもあるし、主旨はまた、このあと書きます。今日は寝ることにします。

レールは要らない

 レールに乗って、音楽人生を歩んできた方も、いろんな経験を積んでから大人になって音楽を始めた人とたくさん出会います。「レールは要らない(要らなかった)。」と気づく人も多くいるでしょう。

 技術を身につけるなら、早くやったもん勝ちです。もちろん、勝ち負けじゃありません。同じことを、もう一度書きますが、伸びる人は勝手に伸びます。どんな環境であってもです。

 あなたの味を、今この瞬間の輝きを愛と感謝で感じられたら、それだけで、誰でも世界で一番になれます。

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 楽器をプレゼントってどういうこと?と、ぼくも思いました。レッスン用の楽器を自前で作っているようです。ちゃんと使えるレベルのものを作っているようですが、実物を見ていないので、なんとも言えません。

 レッスンそのものは、受けてみないとわからないので、オカリナを探してみましたが、ありませんでした。要望したら作ってもらえるのかな。・・・と思ったら、民族楽器ではなくて、管楽器のコーナーにありました。なんかすごい経歴のプロの方が講師でした。

 クラリネットの先生もいっぱいいるなぁ。

 どこでその無料プレゼントの楽器の費用を回収しているんでしょう。レッスン料金には上乗せしていないと書いてあります。

 気になる方は、上記バナーをクリックしてみてください。

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オカリナ ブログ 音楽

YouTubeチャンネルのプロモーションを200円分で、どうでしょう?

 クレジットカード決済で200円、使ってみました。

 何に?

 この動画のプロモーションに、です。

 完璧、なんちゃなことは、言えませんが(笑)

 いい演奏をしていると思います。(自画自賛^^;)

 たくさんの人に聞いてほしいなぁーっと思ったので、プロモーションはどうですかーとGoogleさんに聞かれて、イエスという回答が頭の中に浮かんだので、・・・200円です。

 効果があるとイイなぁ。。。

 ちなみにですが。

 サムネの写真のきれいな横顔のおねいさんは、たぶんモデルさんだと思います。Canvaというアプリの自由に使えるテンプレートをそのまま使っています。

※こっから下は、完璧広告だっちゃ(*^^*)

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これから始めます

思ってても、ことばにしないと、本当に始められない氣がするので、ここにことばにします。

郷土史研究家になります

先日岩美町出身の音楽家田村虎蔵先生の講演を行いました。深掘りして調べて、自分なりの考えを発表したところ、ある郷土史研究家の方から「あなたも立派な郷土史研究家だよ。」との言葉をいただきました。ああ、そうか。自分で名乗ればいいんだと納得しました。確かにもっと知りたいし、今後のため、人のためになることです。伝えたいこともあります。

今回調べていく中で、田村虎蔵さんを中心に、村岡範為馳氏、永井幸次氏、石原和三郎氏、納所弁次郎氏、岡野貞一氏、滝廉太郎氏、東くめ氏など、有名な人物だけでも豪華キャスト陣が揃った印象でした。ふと、1冊の本ができそうだと思ったので、たぶん実現すると思います。

リコーダー演奏家になります

クラリネットに始まり、ギター、オカリナと演奏してきました。なぜか、今、リコーダーが来てるって感じています。情報として見るものに縁を感じます。シンクロしています。

まず、10月1日にグループでのプロの講習を受けようと思います。

Udemyで講師となります

まずは、オカリナについて、伝えたいことをまとめて、発表しようと思います。これからは、ここから収入も得られると思っています。

リラクゼーション、スピリチュアルをやります

今やっているのは、アクセスバーズです。もともとスピリチュアルは、特別なことをやっていたわけではなく、今までの人生がスピリチュアルそのものでした。

小さい頃は、霊が見えたし、虫や動物たちと交流がありました。人間が感じる音や光だけではない、違う音や光、感性があることを実感して生きてきました。

そこを隠すことなく、伝えていきたい。もともと「生きることに意味を探さなくていい。」生きていることそのものが意味だということを実感できるなら、社会そのものの在り方が根本から変わるという信念を持って、リラクゼーション、スピリチュアルに取り組んでいきます。

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何かをする、決める

「こんなことをしたい。」という思いは、妄想なんですね。妄想は、たいがい実現しません。実行が伴わないのが妄想ですから。

 ぼく自身の体験では、えいやっと、がむしゃらに立ち向かうという時期もありました。それは実行しているようで、その中身がいい加減だったりします。これを人は「暴走」と言います。バイクには乗っていましたが、そういう意味ではありません。

 そのあと、考えて、ひとつひとつ行動をするようにはなりました。あくまで「頑張る」というスタンスです。時に自己犠牲が伴います。そして、やたら人ともめます。今の地球人類の国家間の状況がそうではないでしょうか。急に話が大きくなりましたけれども。

 考えることよりも、まず感謝なんだと気づいたのが最近です。

 そんなことは、思いもしませんでした。これは年齢のなせるわざでしょうか。これを共通の意識にできないものでしょうか。

 何をすればいいかは、自然と決まっていきます。

 年齢も、社会も、経済も、あまり関係ありません。

 愛と感謝です。

 そこから、自分が感じて、決めるだけです。

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いつもここにある「見えない世界」

 最近の原発処理水の海洋放出問題に対して、ぼくは特段の専門的な話ができるわけでもありません。ただ、不思議に思うのは、言論が真っ二つに分かれてしまっていること、です。

 右でも左でもないし、赤でも白でもない。本当は、そういう人のほうが多いはずです。

 ぼくが生まれ育ったのは、漁村です。漁業者が海洋放出に反対するのは目に見えています。獲った魚の価値が下がるからです。毎日セリをしている人は、それを一番恐れます。生活に直結するからです。

 漁業者に限らず、反対している人は、反対する理由を探します。危険だと言っている人を支持します。賛成している人も、同じように行動しています。

 この問題に日々取り組んでいる人にとっては、海洋放出はやりたくはなくても、やむなしと思っていると思います。一つ一つコストがかかっているからです。やむを得ないのであれば、できるだけ、自然に影響がないようにと、努力をされていると思います。

 放射能は、目に見えない「不安」です。トリチウムのβ線がいくら人体に影響がないと言っても、他にも放射能が残っているのではないかと疑います。自然に与える影響もわかっていません。

 目に見えない「不安」という意味では、電磁波、とくに携帯基地局の電磁波の影響を不安に思っている人は多いようです。

 携帯電話やPHSが出回った頃は、耳に直接電話機をつけて会話すると、脳に影響があるという人がいた記憶があります。実際にそういったデータもあったように思います。

 その後、出力を抑えて厳しく規制するようになりました。最初に話したように、ぼくは専門家ではありませんので、それ以上のことはわかりません。ただ、自分の調べた範囲で安全性は確保されていると信じています。

 放射能の話に戻りますが、2011年から数年、ぼくも空間線量を調べたことがあります。鳥取でも日によって、値が変わることがありました。天候や風向きによってもごくわずかに変化します。それは、もともとの自然放射線と同じようなものとしか言えません。

 この頃は、ぼく自身も目に見えない精神的な「不安」に苦しんでいた頃でした。

 スピリチュアルな世界も人によっては目に見えない世界です。何も感じない人はいないので、本当は誰もが「ある」ことを知っています。

 結局は、自分自身が感じたものを信じること、「愛と感謝」を基本にして、思いを伝え合うことが大切なんだということです。

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雲を切り裂いて飛び去った飛行機

 ふと見上げた空に、雲の切れ間があったんです。それも、スパッとナイフで切れ目を入れたかのような。

 その切れ目を眺めていると、その切れ目に沿って飛ぶ飛行機がありました。飛んだあとには、ひこうき雲が伸びています。

 目で追いかけていると、ずっと、その切れ目に沿って飛んでいるわけです。これだけなら、偶然そんなこともあるのかな(雲の切れ目の説明はできませんが)くらいに思うんですが、そのわずか数分後の空を見ると、もともとあった切れ目も、その後できたひこうき雲も消えているんです。

 まるで、何もなかったかのように、雲が広がっているんです。

 ぼくはいったい何を見たんでしょうか。あれは、ごく普通の飛行機だったし、ひこうき雲でした。そのひこうき雲も消えてしまい、切れ目も残らないってどういうことなんだろう。

 雲の切れ間の正体は「消滅飛行機雲」と呼ぶそうです。ぼくが見た飛行機の前に一機の飛行機が飛んだ時、エンジンの熱で雲が切り裂かれたように消えることがあるそうです。そして、たまたまその数分後に、同じルートを別の飛行機が飛んで、ひこうき雲がその空間を埋めて、にじんで見分けがつかなくなった。

 そういうことなのかな、とわかったつもりではいても、不思議なことには変わりはありません。そして、それを見かけることがあるとしても、すぐに消えたように見えるので、気がつかないのでしょう。見えたことが奇跡なんですね。

 奇跡に感謝します。ここまで読んでくれた方に、ありがとう。

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自分が輝く太陽になる

月は美しく夜空に輝きます。その月を照らしているのは、日没後に地平線に隠れた太陽です。その時太陽は、地球の裏側を照らし、月をも照らしているわけです。

私と私の周りにいる人たちが、輝きを持ちたいと願うならば、まず自分が輝く太陽になろう。

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一つひとつていねいに生きる。それがシンプルってこと。

一つ一つを丁寧に生きていたら、余計なことごちゃごちゃする暇ないよね。それが結果的にシンプルに生きるってことになります。