少子高齢化とか、マイナスに捉えられる事象ってあるけど、それってマイナスだけじゃないんじゃない?
少子高齢化だけじゃない、いろんなことが本当はプラスかもしれない。もたろん、そういうふうに無理矢理捉える必要はないんだけど、捉えることが可能なら、その時自分は何をどうしたらいいのか、考えたい。
少なくとも何歳だろうが、今ここにちゃんと生きてる。それってすごいじゃない。めちゃめちゃラッキーだと感じます。
まじで生きるかどうか。これからそれが問われているんだと思います。
少子高齢化とか、マイナスに捉えられる事象ってあるけど、それってマイナスだけじゃないんじゃない?
少子高齢化だけじゃない、いろんなことが本当はプラスかもしれない。もたろん、そういうふうに無理矢理捉える必要はないんだけど、捉えることが可能なら、その時自分は何をどうしたらいいのか、考えたい。
少なくとも何歳だろうが、今ここにちゃんと生きてる。それってすごいじゃない。めちゃめちゃラッキーだと感じます。
まじで生きるかどうか。これからそれが問われているんだと思います。
ぼくが20代だった40数年前、田舎では、夜9時を過ぎると、どこも静まり返った暗闇だった。夜中の零時を過ぎる頃になると、薄暗い街灯と公衆電話ボックスの明かりだけが、ぽつんと光っていて、何も生きている者がいないかのようで、薄気味悪かった。
東京から帰ってから、田舎で過ごすこの深夜の時間帯が特に薄気味悪く、一番恐ろしく感じられた。他の人たちはどうしているのだろう。本当にみんな眠っているのだろうか。何か明かりが漏れていたとしても、番組の無くなったテレビが暗闇にノイズを映していただけだったりした。
2023年、インターネットがつながった現代ですら、ますます人気が無くなった田舎は、全部の蓋を厳重に閉めて鍵をしてしまったような静けさしかない。この時代しか知らない今の20代はどんな幻想を見るのだろう。もはやリアルは存在するとしても、かつてのリアルではない。
月は美しく夜空に輝きます。その月を照らしているのは、日没後に地平線に隠れた太陽です。その時太陽は、地球の裏側を照らし、月をも照らしているわけです。
私と私の周りにいる人たちが、輝きを持ちたいと願うならば、まず自分が輝く太陽になろう。
一つ一つを丁寧に生きていたら、余計なことごちゃごちゃする暇ないよね。それが結果的にシンプルに生きるってことになります。
ドラえもんの世界では、ジャイアンが一人だから平和でいいんだけどさ。
この世界には、100人、200人のもっとそれ以上のあちらこちらに、それぞれのジャイアンがいて、あっちのスネ夫が「あいつがよー。」って言ってて、こっちのスネ夫は「おまえがー。」って言ってるんだよね。
そんでさ、それぞれののび太が涙目で「どーしよーどーしよー。」って言いながら、それぞれのドラえもんを頼ってて、それぞれのしずかちゃんに「がんばって。のび太さん!」って、応援されてたりする。
今までは、これを問題化して、どうするかって、話し合って、ジャイアンを押さえつけたり、それ以上の親分みたいな巨大ジャイアンを作ろうとしてたじゃん。
でも、その結果ジャイアン同士でケンカしちゃうのが現実だったよね。
もう、それやめようよ。
それぞれが、それぞれで認めあったらいいし、認め合えないのなら、干渉もしなくていいじゃない。押さえつけたり、巨大なジャイアンを作らなくていい。
もうこの世界も他人に影響を与え合う他人軸じゃなくて、自分軸にならないと。
ちょっと、そんなことを考えてたりする。