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大人になって、音楽を始める方に伝えたいこと

 まず、最初に伝えたいのは、「できる人と比べないでいいですよ。」ということです。音楽家と言われる人の中には、「3歳からやっています。「5歳からバイオリンを、ピアノを習っています。」そんな人がたくさんいます。こういう人は、いわば、「レールが敷かれていた」人です。音楽に限らず、スポーツでも、こういう環境に恵まれていた方はたくさんいます。

 早くから音楽に触れていたほうが、有利なことはあります。ですが、音楽には物理学と数学と情操教育の3つの側面があります。音は物理であり、数学です。「へ?」ですよね。「そんな高度な知識は持っていないので、なおさら難しいです。」いやいや。音が物理であり、数学ってのは、事実であって、高度な知識は特に必要はありません。その事実を知っていればダイジョウブです。

 小さい頃から環境に恵まれていた人は情操教育の面で、有利ですが、マイナスの要素となっている人も見られます。人それぞれで、いろいろです。結局はその人自身が何をどう受け止めるのかが決め手になります。同じレッスンを受けていても、楽しいと感じるのか、嫌だと感じるのか。どちらであっても、伸びる人は勝手に伸びます。

ぼく自身のこと

 ぼく自身、クラリネットを吹き始めたのは12歳です。それまでは音楽とは無縁でした。昭和35年に生まれて、戦後十数年足らず、ぼくが生まれた漁村は、漁港の開発が始まり、混沌としていた時代でした。

 全体責任だと、廊下に子どもたちを並べてゲンコツで教える先生もいたし、子どもたちのケンカも“骨折程度”では事件にもならない環境でした(本当です)。具体的なことはこれ以上書けませんが、どこでもそれが当たり前だと誰もが思っていた時代だったのかも知れません。

 周りの勧めもあって、鳥取大学に願書を出したものの、受験せず、高校を卒業してすぐに上京しました。受け入れ先の都合もあって、実際には卒業式を目前に控えた2月に上京して、ずっと、学校の楽器を吹いていたので、クラリネットのマウスピースだけを持っていきました。

 渋谷の道玄坂の途中にあったヤマハ渋谷店で、電話を借りて親を騙して(汗)ローンを組んでセルマー10Sという当時発売されて間もないクラリネットを買いました。誤解のないよう記しておきますが、店員さんが強引にローンを勧めたということはありません。

 そのうち週末にはライブのできるお店でジャズを見様見真似で吹くようになります。

 自分のことを書くつもりはなかったのですが、それは、他でも書いていることでもあるし、主旨はまた、このあと書きます。今日は寝ることにします。

レールは要らない

 レールに乗って、音楽人生を歩んできた方も、いろんな経験を積んでから大人になって音楽を始めた人とたくさん出会います。「レールは要らない(要らなかった)。」と気づく人も多くいるでしょう。

 技術を身につけるなら、早くやったもん勝ちです。もちろん、勝ち負けじゃありません。同じことを、もう一度書きますが、伸びる人は勝手に伸びます。どんな環境であってもです。

 あなたの味を、今この瞬間の輝きを愛と感謝で感じられたら、それだけで、誰でも世界で一番になれます。

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 楽器をプレゼントってどういうこと?と、ぼくも思いました。レッスン用の楽器を自前で作っているようです。ちゃんと使えるレベルのものを作っているようですが、実物を見ていないので、なんとも言えません。

 レッスンそのものは、受けてみないとわからないので、オカリナを探してみましたが、ありませんでした。要望したら作ってもらえるのかな。・・・と思ったら、民族楽器ではなくて、管楽器のコーナーにありました。なんかすごい経歴のプロの方が講師でした。

 クラリネットの先生もいっぱいいるなぁ。

 どこでその無料プレゼントの楽器の費用を回収しているんでしょう。レッスン料金には上乗せしていないと書いてあります。

 気になる方は、上記バナーをクリックしてみてください。

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スピリチュアル・信じる?信じない?

スピリチュアルについて、興味はあるんだけど、まわりに話せる人がいない。なんか変な人って思われそうで言えない。とか、あると思います。

ぼく自身、小さい頃からずっと霊体験をたくさんしてきながら、自分自身で「意味がわからない。」と長いあいだ否定してきました。家族にも友だちにも話すことは、あまりありませんでした。

でも、自分自身が感じていることというのは、もともと目に見えないことで、それって、まさにスピリチュアルな体験なわけです。

不思議なこと、奇妙に思えること、信じられないことだけがスピリチュアルな体験なのではなく、スピリチュアルというのは、誰もがふだん感じていることそのものです。

その自分自身の体験を否定することが、自分そのものを否定していたということに、ぼく自身が気づいたのが、5年前、2018年の10月のことでした。

水晶やヒーリングのお店を初めて訪れました。前日にネットを見ていて、気になる石を見つけて、その石を見に行くためでした。

お店に入ってすぐに、ショップの方が「はい。これ。」と言って、ぼくの手のひらにその石を乗せてくれました。そのあと「実は、この石、ネットで見て、気になっていました。」「はい。お待ちしていました。」という会話がありました。

こうして書いてみると、にわかに信じられないようなことです。びっくりもしたけれど、すぐに「この石はぼくにとって必要だ。」という強い思いが湧き上がり、購入して、今もそばにあります。

その店では、チャクラのリーディングとカウンセリングも受けました。

どこがどうだったのかは、詳しいことは忘れてしまいましたが、やはり「自分を否定している」ということが強く感じられたそうです。

(つづく)

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まじで生きるかどうかだぜ

少子高齢化とか、マイナスに捉えられる事象ってあるけど、それってマイナスだけじゃないんじゃない?

少子高齢化だけじゃない、いろんなことが本当はプラスかもしれない。もたろん、そういうふうに無理矢理捉える必要はないんだけど、捉えることが可能なら、その時自分は何をどうしたらいいのか、考えたい。

少なくとも何歳だろうが、今ここにちゃんと生きてる。それってすごいじゃない。めちゃめちゃラッキーだと感じます。

まじで生きるかどうか。これからそれが問われているんだと思います。

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いつもここにある「見えない世界」

 最近の原発処理水の海洋放出問題に対して、ぼくは特段の専門的な話ができるわけでもありません。ただ、不思議に思うのは、言論が真っ二つに分かれてしまっていること、です。

 右でも左でもないし、赤でも白でもない。本当は、そういう人のほうが多いはずです。

 ぼくが生まれ育ったのは、漁村です。漁業者が海洋放出に反対するのは目に見えています。獲った魚の価値が下がるからです。毎日セリをしている人は、それを一番恐れます。生活に直結するからです。

 漁業者に限らず、反対している人は、反対する理由を探します。危険だと言っている人を支持します。賛成している人も、同じように行動しています。

 この問題に日々取り組んでいる人にとっては、海洋放出はやりたくはなくても、やむなしと思っていると思います。一つ一つコストがかかっているからです。やむを得ないのであれば、できるだけ、自然に影響がないようにと、努力をされていると思います。

 放射能は、目に見えない「不安」です。トリチウムのβ線がいくら人体に影響がないと言っても、他にも放射能が残っているのではないかと疑います。自然に与える影響もわかっていません。

 目に見えない「不安」という意味では、電磁波、とくに携帯基地局の電磁波の影響を不安に思っている人は多いようです。

 携帯電話やPHSが出回った頃は、耳に直接電話機をつけて会話すると、脳に影響があるという人がいた記憶があります。実際にそういったデータもあったように思います。

 その後、出力を抑えて厳しく規制するようになりました。最初に話したように、ぼくは専門家ではありませんので、それ以上のことはわかりません。ただ、自分の調べた範囲で安全性は確保されていると信じています。

 放射能の話に戻りますが、2011年から数年、ぼくも空間線量を調べたことがあります。鳥取でも日によって、値が変わることがありました。天候や風向きによってもごくわずかに変化します。それは、もともとの自然放射線と同じようなものとしか言えません。

 この頃は、ぼく自身も目に見えない精神的な「不安」に苦しんでいた頃でした。

 スピリチュアルな世界も人によっては目に見えない世界です。何も感じない人はいないので、本当は誰もが「ある」ことを知っています。

 結局は、自分自身が感じたものを信じること、「愛と感謝」を基本にして、思いを伝え合うことが大切なんだということです。