昨日の夜、ぼくのアメブロ「空と海とぼくへ」に「指先が感じることの意味と深さ」というタイトルの記事を書きました。
なんとなく、文章が途中で終わっているような感じがあったので、続きとして読めるものを書いてみようと思います。
アメブロの記事は、1,000分の1の精度が指先で、感覚としてわかるようになったことを書いています。
これは、決してぼくが特別な感覚を持っているということじゃなくて、誰にでも備わっているもので、ただ「意識のあり方」で、その感覚が感じられることがあるんじゃないかなと思います。
誰でも、視線を肌で感じたり、大切な人の思いが伝わったりする経験をしていると思います。
(視覚)目は見るけど、見るのは、目だけじゃない。
(聴覚)耳は聞くけど、聞くのは、耳だけじゃない。
(触覚)肌は触るけど、触るのは、肌だけじゃない。
(味覚)舌は味わうけど、味わうのは、舌だけじゃない。
(嗅覚)鼻は臭うけど、臭うのは、鼻だけじゃない。
根本にあるのは、「意識のあり方」であって、これは五感だけじゃないと思います。
たとえば、お金のこと。
財布に3万円入っていたとします。
「こんなにある。豊かだ。安心だ。」と思う人は、すでに豊かでしょう。
「月末の5万円の支払いがある。足りない。」と思う人は、まだ月の半ばだとしても、すでに貧しいと思います。
「意識のあり方」の一例です。
こんなわかりやすい例ばかりではなく、実際には多くの無意識の働きで、人はその人の世界を作り出しています。
30年も前に、ぼくは指先の感覚から、そういったものを感じるようになりました。