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にじとりゅうの一日

 まず、朝日が差し込んで西の空に虹を架けました。

 そして、夕方は西日が東の空に虹を架けたのです。

 虹の上には、龍の横顔が見えました。

 「にじりゅう」のイベントの一日でした。

 子どもたちが遊び、歌や絵本があり、フラワーエッセンスに、アクセスバーズ、手のひら読みの方がおられ、食事を提供される方もありました。ぼくは、オカリナを吹き、「いのちの歌」をギターで弾き歌いしました。演奏曲目はこちら

 本番前に突然腰がきちゃいました。20代の頃からの持病で、お医者さんによると、腰骨が仙骨に落ち込んで引っかかってしまっちゃうっていう感じらしいです。

 今回は、「よし、そこまで。少しスローダウンしましょう。」というメッセージを感じました。なにしろ土曜日です。月曜まで医者には行けません。今日明日、このあとの予定をすべてキャンセルして、にじりゅうのイベントに最後までいることにしました(途中で抜けるはずでした)。本当に最後までいられて、アクセスバーズもできたし、いろんな人と話をする機会が持てました。

 あー、いい一日だった。

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これから年内に予定されているイベントごと走り書き

 新型コロナが落ち着いて、イベントが開催されるようになってきました。なんだか、忙しいような気がする(笑)と思ったので、書いてみました。

オカリーナシフォン、大山町オレンジカフェ(10/19)(終了)

どりぷるバーズ、にじりゅうイベント(10/21)(終了)

オカリーナふくふく、富桑地区公民館・公民館祭(10/21)(終了)

雅鳥クラブ、末恒地区公民館・公民館祭(10/22)(終了)

オカリーナシフォン、RUN伴(10/22)(終了)

どりぷるバーズ、道の駅かわはら(10/28)

グリーン・パラソル、美保南地区公民館・公民館祭(10/28)

岩美町フレッシュフェスティバル(11/3)

勝福寺「佛教婦人会・親睦の集い」(11/12)

ドリームバーズ、関金、癒やしご縁カフェ(11/19)

マルヒアライブ、出石、カフェふくろう(12/2)

倉吉でのイベント(12/10)

 ひゃあ、ちょっと今後調整を考えないといけないレベルですね。質を下げたくないですし。自前のイベントもやろうとしていますし。

 まあ、乗りかかった船じゃ、楽しんでいくべ!!

後日談

 10月21日の富桑地区公民館祭と、22日の末恒地区公民館祭は、どちらもぼくの体調不良(腰痛)のため、行けませんでした。富桑のほうは、生徒さんだけで、末恒のほうは、野外で天候のこともあり、出演辞退となりました。

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論理的ってなんすか

記憶の断片

 人間の思考は、論理的に考えるトレーニングをしないと、もともと断片的です。それは、記憶そのものが、断片的で、簡単に想像と結びついてしまうからです。この事実に反して、ぼくもそうですが、常に論理的な思考をしていると勘違いしがちです。

 ただなんとなく頭の中で考えているとき、感情に結びついた思考がその断片をつないでいます。

 「今月もお金が足りないなぁ。」「あの人に嫌な思いをさせているかなぁ。」「あのとき、失敗したなぁ。」こんなカンジで、その多くがマイナス感情につながるものです。

 お金そのものは、その時のエネルギーの状態を表す数字でしかありません。

 マイナス感情は思考に結びつく前に手放すほうが、より思考が整理されていきます。

すべての行動が現実をつくる

 人間は、思考をもとに行動します。お腹が空いていても「ダイエットしなくちゃ。」と考えて、我慢したりします。

 すべての行動が、現実を作っています。

 今、何を考えているのか。何を感じているのか。

 眠くなったので、続きは、あした書きます。

 でも、書かないかも(笑)

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大人になって、音楽を始める方に伝えたいこと

 まず、最初に伝えたいのは、「できる人と比べないでいいですよ。」ということです。音楽家と言われる人の中には、「3歳からやっています。「5歳からバイオリンを、ピアノを習っています。」そんな人がたくさんいます。こういう人は、いわば、「レールが敷かれていた」人です。音楽に限らず、スポーツでも、こういう環境に恵まれていた方はたくさんいます。

 早くから音楽に触れていたほうが、有利なことはあります。ですが、音楽には物理学と数学と情操教育の3つの側面があります。音は物理であり、数学です。「へ?」ですよね。「そんな高度な知識は持っていないので、なおさら難しいです。」いやいや。音が物理であり、数学ってのは、事実であって、高度な知識は特に必要はありません。その事実を知っていればダイジョウブです。

 小さい頃から環境に恵まれていた人は情操教育の面で、有利ですが、マイナスの要素となっている人も見られます。人それぞれで、いろいろです。結局はその人自身が何をどう受け止めるのかが決め手になります。同じレッスンを受けていても、楽しいと感じるのか、嫌だと感じるのか。どちらであっても、伸びる人は勝手に伸びます。

ぼく自身のこと

 ぼく自身、クラリネットを吹き始めたのは12歳です。それまでは音楽とは無縁でした。昭和35年に生まれて、戦後十数年足らず、ぼくが生まれた漁村は、漁港の開発が始まり、混沌としていた時代でした。

 全体責任だと、廊下に子どもたちを並べてゲンコツで教える先生もいたし、子どもたちのケンカも“骨折程度”では事件にもならない環境でした(本当です)。具体的なことはこれ以上書けませんが、どこでもそれが当たり前だと誰もが思っていた時代だったのかも知れません。

 周りの勧めもあって、鳥取大学に願書を出したものの、受験せず、高校を卒業してすぐに上京しました。受け入れ先の都合もあって、実際には卒業式を目前に控えた2月に上京して、ずっと、学校の楽器を吹いていたので、クラリネットのマウスピースだけを持っていきました。

 渋谷の道玄坂の途中にあったヤマハ渋谷店で、電話を借りて親を騙して(汗)ローンを組んでセルマー10Sという当時発売されて間もないクラリネットを買いました。誤解のないよう記しておきますが、店員さんが強引にローンを勧めたということはありません。

 そのうち週末にはライブのできるお店でジャズを見様見真似で吹くようになります。

 自分のことを書くつもりはなかったのですが、それは、他でも書いていることでもあるし、主旨はまた、このあと書きます。今日は寝ることにします。

レールは要らない

 レールに乗って、音楽人生を歩んできた方も、いろんな経験を積んでから大人になって音楽を始めた人とたくさん出会います。「レールは要らない(要らなかった)。」と気づく人も多くいるでしょう。

 技術を身につけるなら、早くやったもん勝ちです。もちろん、勝ち負けじゃありません。同じことを、もう一度書きますが、伸びる人は勝手に伸びます。どんな環境であってもです。

 あなたの味を、今この瞬間の輝きを愛と感謝で感じられたら、それだけで、誰でも世界で一番になれます。

※ここから先は広告です。

 楽器をプレゼントってどういうこと?と、ぼくも思いました。レッスン用の楽器を自前で作っているようです。ちゃんと使えるレベルのものを作っているようですが、実物を見ていないので、なんとも言えません。

 レッスンそのものは、受けてみないとわからないので、オカリナを探してみましたが、ありませんでした。要望したら作ってもらえるのかな。・・・と思ったら、民族楽器ではなくて、管楽器のコーナーにありました。なんかすごい経歴のプロの方が講師でした。

 クラリネットの先生もいっぱいいるなぁ。

 どこでその無料プレゼントの楽器の費用を回収しているんでしょう。レッスン料金には上乗せしていないと書いてあります。

 気になる方は、上記バナーをクリックしてみてください。

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ステマ規制はじまったよ

景品表示法

 2023年10月1日からステルスマーケティング(ステマ)を規制する「景品表示法」が発令しました。

 これは、広告であることを隠して、たとえばふつうのブログのように見せかけて、記事を書くことを規制するものです。

 なんでこんな規制が行われるかというと、ネット詐欺のようなものがあとを絶たないということと、広告であれば誇張された表現も「広告だから」仕方ないといえば変ですけど、「これが一番」「最高です。」って書いてあっても、一般的な広告表現として受け取りますよね。

 広告であることを隠して「これが一番」て書いてあると、友人、知人、有名な人に勧められたら「へぇー、そうなんだ。」って思ってしまうものです。そういうのは、紛らわしいので、ちゃんと「これは広告ですよ。」と書きましょうということです。

 中には、ちゃんとした製品をおとしめるような攻撃的な記事を書く人もいるわけです。「買ってみたら、粗悪品でした。」みたいなね。これを正しましょうという消費者庁が発令するもので、今はネット社会ですし、広告はあっていいものですから、より消費者が安全にネットを利用できるようにという取り組みです。

 ネット社会は、これからどんどん良くなりますね。未来は、明るい!!

ここにこの記事を書く理由

 ぼく自身は、パソコン教室、音楽レッスンをやっていて、エフセブン・ドットコム(クリックすると、リンク先が新しいタブで開きます)でも記事を書いています。ステマ規制のことは、もちろんこちらでも書こうと思いますが、わざわざ個人ブログのほうにこの記事を書いたのには理由があって、これまでどちらのサイトにもGoogle Adsenseの「アドセンス広告(クリック広告)」を貼っていました。

 これは、自動的に広告が貼られて、見た方がクリックするとサイトのほうに報酬が支払われるというものです。

 この広告は便利ですし、厳しい審査があるため、サイトの信頼性の証にもなります。

 でも、この広告については、あくまでぼく自身が今日、思ったこと個人的な考えなんですが、公共性が高くて、たくさんの人に見られているサイトのほうに表示してほしいもので、このブログには、合わないんじゃないかなと思ったのと、ステマ規制のこともあり、このサイトでは外そうと思い、外しました。エフセブン・ドットコムの方にはアドセンス広告は貼られています。

 「アドセンス広告をこのサイトで外したこと」について、誤解のないように伝えておきますが、アドセンス広告は、上にも書いたようにサイトの審査があり、年々厳しくなっています。ある程度の記事があって、有益性があるものとして認められたサイトといえます。アドセンス広告で表示される広告もとても優れたものです。

 でも、サイトの内容と一致するかどうかは、自動で貼られるため、必ずしもそうでもないものも見られます。また、全面に表示されて、記事が隠れてしまう(特にスマホで読むとき)ものがあります。

 そして、ステマ規制のこともあり、広告を表示していることを明示する必要があります。なので、このサイトでは、泣く泣く外す決断をしました。

スッキリした見た目に

 でも、これで、スッキリ記事を読んでもらえると思います。それから、アドセンス広告は外しましたが、A8.netのアフィリエイト広告は貼っています。例えば、以下のように。

(※このバナーは広告です。クリックすると広告記事が表示されます。)

 上の画像はクリックできます。ただ広告が表示されるだけなので、安心してクリックしてください(どの広告も)。

 広告の貼り方は、いろいろです。文字だけのものもありますが、ぼくは、なるべく一目で広告とわかるバナー画像を貼っています。

未来は明るい

 前に書いたことを繰り返しますが、ネット社会はどんどん良くなっています。いつもありがとうございます。今後とも、このサイト、どうぞよろしくお願いします!!

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YouTubeチャンネルのプロモーションを200円分で、どうでしょう?

 クレジットカード決済で200円、使ってみました。

 何に?

 この動画のプロモーションに、です。

 完璧、なんちゃなことは、言えませんが(笑)

 いい演奏をしていると思います。(自画自賛^^;)

 たくさんの人に聞いてほしいなぁーっと思ったので、プロモーションはどうですかーとGoogleさんに聞かれて、イエスという回答が頭の中に浮かんだので、・・・200円です。

 効果があるとイイなぁ。。。

 ちなみにですが。

 サムネの写真のきれいな横顔のおねいさんは、たぶんモデルさんだと思います。Canvaというアプリの自由に使えるテンプレートをそのまま使っています。

※こっから下は、完璧広告だっちゃ(*^^*)

(広告)
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やらなきゃいけないこと(そう思っていること)とやりたいことがあって、でも深夜眠い人。

寝ましょう(笑)

 今のぼくが、そうです。2023年10月1日になりました。

 頼まれていることもあるし、いろいろやりたいこともある。

 でも、夜、深夜。眠いとき。

 そういうときは、まず寝ましょう。きっと、起きてて頑張れた記憶がいつまでもあると思います。起きてて頑張ってて、良かったという記憶です。

 でも、その記憶、いつですか?

 ぼくの場合は、30代がギリギリです。

 40代、50代でもがんばれたよ。という方もあるでしょう。

 麻雀ならずっと起きていたなんて栄光のある方とか。

 年齢のことを言ったのは、体力があれば、頑張ったほうがいいということを言いたいわけではないんです。

 若いほうが頑張れるというのは、事実です。それは、単にそれだけのことで、若くても、「やりたいことを優先する。」ことが大切です。

 眠いときは、眠る。

 寝ましょう。おやすみなさい。

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スピリチュアル・信じる?信じない?

スピリチュアルについて、興味はあるんだけど、まわりに話せる人がいない。なんか変な人って思われそうで言えない。とか、あると思います。

ぼく自身、小さい頃からずっと霊体験をたくさんしてきながら、自分自身で「意味がわからない。」と長いあいだ否定してきました。家族にも友だちにも話すことは、あまりありませんでした。

でも、自分自身が感じていることというのは、もともと目に見えないことで、それって、まさにスピリチュアルな体験なわけです。

不思議なこと、奇妙に思えること、信じられないことだけがスピリチュアルな体験なのではなく、スピリチュアルというのは、誰もがふだん感じていることそのものです。

その自分自身の体験を否定することが、自分そのものを否定していたということに、ぼく自身が気づいたのが、5年前、2018年の10月のことでした。

水晶やヒーリングのお店を初めて訪れました。前日にネットを見ていて、気になる石を見つけて、その石を見に行くためでした。

お店に入ってすぐに、ショップの方が「はい。これ。」と言って、ぼくの手のひらにその石を乗せてくれました。そのあと「実は、この石、ネットで見て、気になっていました。」「はい。お待ちしていました。」という会話がありました。

こうして書いてみると、にわかに信じられないようなことです。びっくりもしたけれど、すぐに「この石はぼくにとって必要だ。」という強い思いが湧き上がり、購入して、今もそばにあります。

その店では、チャクラのリーディングとカウンセリングも受けました。

どこがどうだったのかは、詳しいことは忘れてしまいましたが、やはり「自分を否定している」ということが強く感じられたそうです。

(つづく)

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これから始めます

思ってても、ことばにしないと、本当に始められない氣がするので、ここにことばにします。

郷土史研究家になります

先日岩美町出身の音楽家田村虎蔵先生の講演を行いました。深掘りして調べて、自分なりの考えを発表したところ、ある郷土史研究家の方から「あなたも立派な郷土史研究家だよ。」との言葉をいただきました。ああ、そうか。自分で名乗ればいいんだと納得しました。確かにもっと知りたいし、今後のため、人のためになることです。伝えたいこともあります。

今回調べていく中で、田村虎蔵さんを中心に、村岡範為馳氏、永井幸次氏、石原和三郎氏、納所弁次郎氏、岡野貞一氏、滝廉太郎氏、東くめ氏など、有名な人物だけでも豪華キャスト陣が揃った印象でした。ふと、1冊の本ができそうだと思ったので、たぶん実現すると思います。

リコーダー演奏家になります

クラリネットに始まり、ギター、オカリナと演奏してきました。なぜか、今、リコーダーが来てるって感じています。情報として見るものに縁を感じます。シンクロしています。

まず、10月1日にグループでのプロの講習を受けようと思います。

Udemyで講師となります

まずは、オカリナについて、伝えたいことをまとめて、発表しようと思います。これからは、ここから収入も得られると思っています。

リラクゼーション、スピリチュアルをやります

今やっているのは、アクセスバーズです。もともとスピリチュアルは、特別なことをやっていたわけではなく、今までの人生がスピリチュアルそのものでした。

小さい頃は、霊が見えたし、虫や動物たちと交流がありました。人間が感じる音や光だけではない、違う音や光、感性があることを実感して生きてきました。

そこを隠すことなく、伝えていきたい。もともと「生きることに意味を探さなくていい。」生きていることそのものが意味だということを実感できるなら、社会そのものの在り方が根本から変わるという信念を持って、リラクゼーション、スピリチュアルに取り組んでいきます。

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新しい時代

うまくいかないことがあるとき、落ち込んだり、できていない、自分に価値がないんじゃないかと思ったりすることがあります。

ぼくもたびたびそう思うことがありました。

そういうときは、心を空っぽにしましょう。

今朝ぼくは、自分が空き地の草っ原の一本の雑草だというイメージを頭に描いてみました。

実際に俯瞰して見れば、人間も一人ひとりがただ生きている小さな存在でしかありません。

どんなにお金持ちでも、有名でも、地位が高いとみられる人でも、それは社会的な価値でしかありません。

一人ひとりの価値は、生きていることそのものであり、感じていることがすべて価値のあるものであるはずです。

深く息を吸い込み、酸素がじんわりと染み込む。太陽は輝き、雲が流れて一瞬たりとも同じ形に止まることがありません。風が吹き、肌を撫でて通ります。心地よかったり、寒かったり、暑かったりします。

すべてただ生きているだけで感じることであり、今ここにある世界は、その感性から作り出されたものです。

ぼくは小さな漁村で生まれました。幼い頃、海岸にある岩のてっぺんによじ登り、周囲を眺めたとき、今ここにある、自分が見ている世界は、目を閉じると消えて、目を開くと閉じる前と同じように見えました。

ふと、ずっと変わらないように見えるこの世界は、見ている人がいなければ存在しないんだと強く感じたとき、なんだか怖くなりました。世界とぼくは一対の存在で、ぼくはぼくだけの世界を見ているんだと思いました。

実際に、この世界は自分が感じられるようにしか作られていませんでした。虫のようにミクロの世界は見えないし、鳥のように遠くの山のカタチは見えません。

学校では、集団という社会の中での価値を教えられます。まるで価値ということばが社会のためにあるかのようでした。ただ感じたこと、ただ言ったこと、ただやったことは、何も評価されませんでした。

今は、もうその社会の価値から離れてもいいんじゃないかと思います。何もなくていいし、何もしなくても構いません。

ただ一人ひとりが感じることから生まれる何かを大切にしていけたら、新しい時代が始まるような気がします。