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花は、咲く。

 標題に点「、」と丸「。」を付けたので、曲のタイトルと間違われないでしょう。花は咲きますね。見事です。どうしてあんなにいろんな色がいっぱいなんでしょうか。下には土か水しかないはずなんですけど。花を見ると、生命の神秘を感じますし、癒されるし、エネルギーを感じます。束にして、ただの水道水に茎を切って漬けているだけで、何日も咲いているし、緑色のつぼみだったのが、色づいて開いてきます。

 ところで、善と悪の話をします。花が咲くことは善でしょうか、悪でしょうか。

 上に書いたようなことがあるから、ふつうは花が咲くことは善だと言うのでしょう。そして、花が枯れるとしたら、悪だというのでしょう。

 でも、よくよく考えてみれば、枯れなければ、新しい花は咲かないんですね。そうしたら、善も悪もないじゃないかって思うわけです。

 ついつい、人は善悪で判断しようとしますけれど、そのままを認めることの方が、大切なんじゃないかなって、ふと思ったのです。

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地球という命

 地球は、生きています。地球全体として、循環があり、成長し、活動しています。そして、地球と地球外環境とは、明確に区別することができます。間違いなく、地球は生命体です。

 子孫を残せないから、生物とは言えない。と言うかも知れません。それは、地球から見れば、ミクロの存在である人間の言い分に過ぎません。宇宙にある天体は、長い年月の間に「破壊と創造」という「細胞分裂」を繰り返しています。

 地球がひとつの命だとしたら、私たちは、その細胞のひとつひとつです。どの細胞にも役割があります。それを運命と言うのかもしれません。ただ、役割は運命かもしれないけれども、束縛ではありません。

 地球は、一人ひとりがそれぞれの世界を作っていけるパラダイスです。

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この人だけは、別格。「特別な人だ。」と思う人が、もし本当にいるとして。

 会社や団体の創始者と言われる人って、だいたい「特別な人」って思われていますね。もちろん、素晴らしい才能を持った人なんだろうし、ぼくもその功績には、敬意を払いたいと思っています。

 ただ一方でその人が、その周りにいる人の中で「唯一の」「絶対的存在」として崇められるようになってしまった場合、それはその中にいる周りにいる人が「信者(のよう)」であり、外側から見たら「宗教的」と感じられたりしないでしょうか。

 もしそういう状況があって、その中にぼくがいたとしても、その人を一人の人として見る視点(ポイント・オブ・ビュー)を忘れたくないし、できるならその人と同じ次元で見る視点も持ちたいなと思っています。

 というのは、「特別な人」と見てしまうと、そこにあるのは上下関係だけで、視点が固まってしまいます。

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アクセスバーズ スピリチュアル ブログ

何も足さない、何も引かない。でも、心地いい。

 ekuboさんと共同で、スピリチュアルなメッセージを中心にお届けしているサイト(ホームページ)があります。–>ekubodream.com

 こちらに「新しい世界が始まりました」という記事を書きました。どういう内容かというと「アクセスバーズ」の施術をする「プラクティショナー」の資格を得ることができました。ということです。

 人間って、エネルギーがぎっしり詰まっている生命体なんですね。特に脳では、常にいろいろと考え、記憶して、想像したりしています。気がつくと、次から次へと思考が流れ、ときにぐるぐると回っていたりします。

 そして、いろんな情報が頭の中で溢れていきます。それも、細胞の中のDNAでは、生まれる前の情報も実はずっと引き継いでいます。いきなりお母さんのお腹の中で新しいまっさらなDNAが作られるわけではないんですね。そうした情報が、ときに記憶として再生され「前世の記憶を持っている」と認められる人が現れたりもします。これは、現実にたくさんの事例があります。その情報量は、300年とも言われたり、1,000年とも言われたりしますが、その長さの違いは経験の違いによるのだろうと思います。

 思想的、宗教的に輪廻転生を認めない方もおられるとは思いますが、すべての生命が引き継がれて、今ここに存在することは、まぎれもない事実です。

 そんなこんなで、頭の中は、すでに必要のなくなった情報や思い込みや習慣に縛られた情報であふれています。その情報を整理して、クリアにするための方法が、アクセスバーズです。

 アクセスバーズの施術は、頭のまわりの32のポイントを軽く指先でタッチするというものです。微弱な電気信号に乗って、エネルギーが流れます。

 「本当に?」そう思いますよね。ぼくも最初は「何それ?」と思いました。ですが、施術を受けて、その都度確実に思考がクリアになって、楽になる感覚がありました。

 もちろん、効果については、個人差、タイミングなど、いろいろだろうと思います。少なくとも、すっきりします。中には、ぼくのように人生が変わるくらいの感覚を得る人もいます。

 それでいて、体に対しての負担はありません。何も足さない、薬も使わないし、そもそも医療行為ではありません。リラクゼーションのひとつという認識でもかまわないと思います。何も引かない、失われるものは何もありません。

ご予約をお待ちしています

 アクセスバーズって何? とにかく体験をしたい! という方のメニューを、3,000円(通常は6,600円〜)で、ご用意いたしました。

 20〜30分の体験でもアクセスバーズのエッセンスを体感していただけるよう、最初にかんたんなカウンセリングを行います。ご遠慮なくお問い合わせ、ご予約ください。

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今を見(まみ)える

不思議な夢を見た。

 そこでは、時間はランダムに進んでいました。過去や未来や、時計がずっと止まっているように感じられたりします。ぼくが不思議に思っていると、誰かが「ここでは、今に塗(まみ)れるんだよ。」と言う声が聞こえました。

 「ただ、今を感じるんだ。」とも。

 「そう。(今を感じる)それだけで、いい。」

 不思議と意識は連続していて、時間だけが変わっていきます。ここでは、今をどう感じているかで時間が変わっていくんだと思いました。

 「今に塗(まみ)れる。」と聞こえたのは、「今を見(まみ)える。」という言葉だったのかも知れません。

時間を選択しているという感覚

 朝、起きてみると、不思議な感覚が残っていました。それは、一瞬一瞬の時間を選択しているという感覚です。当たり前のことのようですけど、ふだんぼくは、時間が一定の間隔で過去から未来へ流れていくという感覚で生きています。

 今、感じているのは、その流れではなくて、一瞬一瞬が自分の選択だということです。

 たとえば、順番とか、仮にとか、そういう思考が重要だと感じられなくなりました。ひとつひとつが「今」なんです。すべてが「一期一会」になる感覚といったらいいでしょうか。

 これって、なんだか気持ちいいですよ。

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オカリナ スピリチュアル ブログ 未分類 音楽

昨日の気付きにつながる本を見つけた

 昨日、入口と出口という話を書いて、自分でただ思ったこともマイナスなこともぜんぶ潜在意識に入るから、曖昧にしないで理解することが必要なんだと気づいた、というようなことを書きました。

 今日もいろんな奇跡が起きています。もう、奇跡は常に起きるものになっていますね。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

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 アマゾンで買えるこの本は、今キンドル・アンリミテッドで無料で読めます。この本をぼくは既に読み始めています。これも奇跡ですね。この本の内容は、そのまま昨日の気付きにつながる話です。

 この動画は、今朝の海の様子を撮影して、その後録音したものをミックスして映像したものです。鈴木英史さんの編曲した曲を演奏したのは今日が初めてでしたが、なんとついさきほど、この方と友人が並んで写っている写真がその友人のフェイスブックに載っているのを見かけました。

 偶然というには、あまりにもすごいことです。びっくりしました。きっと何かご縁があるのでしょう。

 これからもいろんなご縁をいただくと思います。ひとつひとつ大切にしていきます。

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年齢は情報のひとつ

 長いこと使っていても、壊れないモノってありますね。およそ100年前の1920年代のメタルクラリネットが家にあります。ほとんど使っていないので、現役とは言えませんが、数年前にメンテナンスをしていただいて、演奏が可能な状態にはなっています。

メタルクラリネット

 ふだん使っているクラリネットは、1978年フランス製のセルマー10S(テンエス)です。44年前なんですね。これも今年メンテナンスをしていただいて、コンディションはとてもいい状態になっています。

 楽器って20年、30年たっても使えるのは当たり前ですね。コンディションを保って、時折ちゃんとメンテナンスを続けていれば、世代を超えて使うことができます。ネックが折れていて、長い間使っていなかった50年前のクラシック・ギターも再生されて復活しています。

ちょっとむずかしい話をしてみます

 ぼくは、時間を「次元の属性」というふうに考えてみました。実際に、1920年も1978年も、50年前も、こうしてみると、今、ここに確かに存在しています。

 ふだん、この時間という「次元の属性」を、人は記憶の中の「変化の過程」として捉えています。10時を指す時計を見たあと、11時を指す時計を見て、「ああ、1時間経った。」と思うわけです。

 この「次元」というものは、同時にいくつも無限に存在していると言われています。1920年が存在するように10時の時計も「今ここ」に存在しているわけです。

 ただ、ぼくたち三次元の存在は、すべてを認識することができないので、「今」という「属性」が与えられたものだけを物質として認識することが可能なのです。

 だから「こうなりたい。」というアファメーションは次元を否定することになり、「既になっている。」というアファメーションが現実となります。実際に今ある自分の姿というのは、繰り返しそうやって(たぶん)無意識にアファメーションしてきた自分が選んで具現化したものなのです。

40歳になったら体力ががくんと落ちる

 60歳になったら、思うように動かなくなる。そう言われて育ちました。今でもそういう声を聞くことがあります。

 ぼくの認識は、今のカラダにあった運動をすれば、必要な体力は保てるし、もうすぐ62歳になる今も、体調は上がったり下がったりを繰り返しています。それは、10代のときも、20代のときも経験してきたことでした。

 年齢は属性のひとつです。常に変化はあるし、違いはあります。

 この話が腑に落ちれば、なんでもないことなんですね。この世界を満たしたかったら、自分を満たせばいいし、そのままでいいのなら、そのままでいいわけです。この世界を変えたかったら、自分が変わればいい。それが真実です。

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毎日誰もが生まれ変わっている

 楽しいか、どうかですね。

 毎日というか、この瞬間にもぼくのカラダの中で新しい細胞が生まれているわけです。それは過去を知らない細胞です。良くも悪くもその細胞は、記憶を持っていません。

 その細胞をゼロから育てるのは、自分自身です。

 ぼくは、そう考えると、ワクワクします。

 カラダを持って生きています。この体験をどうせなら楽しみたいと思います。また明日のためにこのカラダを休めます。

 おやすみなさい。

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ぼくはもしかしたら本の虫を卒業していたのかも知れない。

 いや、実際とっくの昔に。

 子どもの頃は、割と本の虫でした。というか「活字を見ると全部読まないと気がすまない。」興味のある新聞記事とかあると、全部一言一句書き写していた少年でした。その頃というと昭和40年代です。手書きで、です。人に見られたくない文章は、ぜんぶ鏡文字でした。鏡に映さないと読めない文字をすらすらと「横書き」で書いていました。で、鏡に映すと「縦書き」だとか、ほぼほぼ変態です(笑)。

 保育園に行く前に新聞の記事のどこかにあった「全裸」という文字が読めなくて、親に聞いたことがあったそうです。

 二十代のときには、夏目漱石や太宰治などの古い文学に夢中でした。何を思ったか「徳川家康」全26巻を文庫本で買って読んだのも二十代でした。

 2000年頃、まだぼくの本棚はあふれていたと思います。ところが、ここ10年は本棚の本は増えていません。それどころか減っています。

 ぼくは、電子書籍を読み始めたからだと思っていました。

 でも、最近、koboにしても、kindleにしても、気がついたら充電が切れていたということがありました。

 それでも、koboやkindleではなくて、パソコンやタブレットのアプリで読んでいるからだと思っていましたが、いや、本そのものを読んでいないようだと気づいたのは、実は今日でした。

 ネットのニュースやブログはたくさん読みます。というか、既に「読書」というと、「ニュースやブログを読むこと」と同じになっていたんですね。紙の本はとっくに読まなくなっていたので、自分で気がついていませんでした。koboやkindle、電子書籍も、たまに読みたい本があるときしか読んでいないんです。

 そして、既に自分自身がこうして本を書く以上にネットで発信していることに気がついたんです。

 5年ほど前は、自分自身を常に「足りない」と責めていました。とても苦しく、どうしていいかわからなくて、最初に読んだのは池田晶子さんの哲学書でした。

 そして、その後は「宗教的」とか「スピリチュアル」とか、言われていた本をたくさん読んでいました。今では「カルト(宗教)」と騒がれるように人にも出会い、本を紹介されて読んだりもしました。もちろんぼくが出会った人の中には、悪い人、人を騙そうとする人はいませんでした。そもそもキリスト教だって、仏教だって、実は今でも関係ない人にとっては「カルト」そのものなんです。大切なのは、一人ひとりがどう感じて、何を信じて生きるかなんです。宗教よりも大事なのはそこなんです。そこをすっ飛ばして宗教を批判することは意味がありません。

 もっと書きたいことがありますが、今日は寝ます。おやすみなさい。

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時間

時間の密度

時間には、あきらかに密度の違いが存在します。

速く感じられる時間は、実際に速く過ぎ、遅く感じられる時間は、実際に遅く過ぎています。そんなことはないと否定される方も多いと思いますが、数値の上でも時間の速度には違いがあることが証明されています。地上に於ける高度の違い、位置の違いによって時間に伸び縮みがあるのです。

もちろん、感覚的な問題を位置の問題にすり替えるつもりはありません。ただ、その違いは証明されているか否かの違いでしかありません。

未来

近年(この表現も奇妙ですが)、未来が今ここにあるということが、わかってきました。

どういうことかというと、未来は、単に選択されるのを順番に待っている、無限にある次元空間の重なりです。

その証拠に「不安」というものがあります。どの次元を選ぶかで、世界が変わります。潜在意識は、未来が今ここに存在することを知っていて、その選択が重要だと知っているので、不安を感じるのです。

今が安心であれば、不安は手放していいし、手放すことができます。

望む未来があるとすれば、その未来は掴み取るのではなく、自然に訪れます。

過去

過去は記憶としてのデータです。データは常に頻繁に書き換えられ、上書きされています。120分の映画を見たあとで、内容を鮮明に記憶して、その映画を見ていない誰かに正確に話せる人がどれくらいいるでしょうか。今、60歳の人が60年分の記憶を持つことが、もし可能だとしても、その記憶は、何度も書き換えられて、上書きされています。その記憶のデータは、今ここにあるだけです。「過ぎ去った時間」という意味での過去は幻想です。

未来の不安を手放すことが可能なように、過去の記憶に結びつけされた感情は、手放すことができます。もちろん、今の安心や喜びにつながるものであれば、何もしなくても記憶がそのように上書きしてくれるでしょう。

現在

こうした考え方を楽天主義と言う人もいることでしょう。それも選択です。そういう人にとっては、過去の重みも、未来への不安も、今まさに、ここにあるということは事実だということをお伝えしたいと思います。

この世界には、人類の現在の科学では証明できないことが無限に存在します。証明できないから「ない」ということは、科学そのものを否定していることにならないでしょうか。なぜなら、現在科学で証明されていることのほとんどすべてが、証明されていない次元(過去)を経ているからです。

最後に

ここに書いたのは、あくまで、個人の考え方だと捉えられると思います。そのように読んでいただければと思います。何か感じる方がいれば、その方の世界が変わる可能性があるものと思います。それを信じて書きました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。