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昨日の気付きにつながる本を見つけた

 昨日、入口と出口という話を書いて、自分でただ思ったこともマイナスなこともぜんぶ潜在意識に入るから、曖昧にしないで理解することが必要なんだと気づいた、というようなことを書きました。

 今日もいろんな奇跡が起きています。もう、奇跡は常に起きるものになっていますね。

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 アマゾンで買えるこの本は、今キンドル・アンリミテッドで無料で読めます。この本をぼくは既に読み始めています。これも奇跡ですね。この本の内容は、そのまま昨日の気付きにつながる話です。

 この動画は、今朝の海の様子を撮影して、その後録音したものをミックスして映像したものです。鈴木英史さんの編曲した曲を演奏したのは今日が初めてでしたが、なんとついさきほど、この方と友人が並んで写っている写真がその友人のフェイスブックに載っているのを見かけました。

 偶然というには、あまりにもすごいことです。びっくりしました。きっと何かご縁があるのでしょう。

 これからもいろんなご縁をいただくと思います。ひとつひとつ大切にしていきます。

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年齢は情報のひとつ

 長いこと使っていても、壊れないモノってありますね。およそ100年前の1920年代のメタルクラリネットが家にあります。ほとんど使っていないので、現役とは言えませんが、数年前にメンテナンスをしていただいて、演奏が可能な状態にはなっています。

メタルクラリネット

 ふだん使っているクラリネットは、1978年フランス製のセルマー10S(テンエス)です。44年前なんですね。これも今年メンテナンスをしていただいて、コンディションはとてもいい状態になっています。

 楽器って20年、30年たっても使えるのは当たり前ですね。コンディションを保って、時折ちゃんとメンテナンスを続けていれば、世代を超えて使うことができます。ネックが折れていて、長い間使っていなかった50年前のクラシック・ギターも再生されて復活しています。

ちょっとむずかしい話をしてみます

 ぼくは、時間を「次元の属性」というふうに考えてみました。実際に、1920年も1978年も、50年前も、こうしてみると、今、ここに確かに存在しています。

 ふだん、この時間という「次元の属性」を、人は記憶の中の「変化の過程」として捉えています。10時を指す時計を見たあと、11時を指す時計を見て、「ああ、1時間経った。」と思うわけです。

 この「次元」というものは、同時にいくつも無限に存在していると言われています。1920年が存在するように10時の時計も「今ここ」に存在しているわけです。

 ただ、ぼくたち三次元の存在は、すべてを認識することができないので、「今」という「属性」が与えられたものだけを物質として認識することが可能なのです。

 だから「こうなりたい。」というアファメーションは次元を否定することになり、「既になっている。」というアファメーションが現実となります。実際に今ある自分の姿というのは、繰り返しそうやって(たぶん)無意識にアファメーションしてきた自分が選んで具現化したものなのです。

40歳になったら体力ががくんと落ちる

 60歳になったら、思うように動かなくなる。そう言われて育ちました。今でもそういう声を聞くことがあります。

 ぼくの認識は、今のカラダにあった運動をすれば、必要な体力は保てるし、もうすぐ62歳になる今も、体調は上がったり下がったりを繰り返しています。それは、10代のときも、20代のときも経験してきたことでした。

 年齢は属性のひとつです。常に変化はあるし、違いはあります。

 この話が腑に落ちれば、なんでもないことなんですね。この世界を満たしたかったら、自分を満たせばいいし、そのままでいいのなら、そのままでいいわけです。この世界を変えたかったら、自分が変わればいい。それが真実です。

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年内にどこかでライブをやりませんか。

テケト(teket)に登録

 「アーティストの応援もできる電子チケットサービス」teket(テケト)に登録をしました。

 登録したのは団体名ではなく、個人名で、このサイトのメールアドレスです。実際にイベントをする際には団体の名前とメールアドレス(メーリングリスト)で登録をしようと思います。

teketのホーム画面

開催時期

 開催時期については、冒頭に「年内に」と書きましたが、参加される方のご都合が重要です。年末年始は何かとお忙しいかと思いますので、その時期を外すと、2022年内は難しいかも知れません。

 時期にこだわりはありません。今は、「もし年内に何かできたら楽しいだろうな。」ぐらいの感覚です。

開催場所(候補)

 ぼくが代表をしている岩美オカリーナ・クラブで開催するとすれば、場所は岩美町中央公民館いわみんホールになると思います。

 また、鳥取県東部地域のオカリーナ教室の皆さんが共同して何かやりたいということであれば、いわみんホールの他に鳥取市のわらべ館イベントホール、鳥取県立生涯学習センター県民ふれあい会館ホール、とりぎん文化会館なども開催場所として候補に挙げられると思います。

 いわみんホールは、340席と適度な大きさで音響も設備も良く、岩美オカリーナ・クラブが主催ということになれば、代表者であるぼくが岩美町在住なので、費用負担がほとんど(たぶんゼロ)ありません。

費用について

 最初に紹介したteketは、ネットで集客PRやチケット販売もでき、無料で開催するイベントについては、利用料もかかりません。もちろん、無料にこだわっているわけではありません。チケットを有料で販売してとしても、これまでよりも費用は抑えられると思います。

 それに開催するなら、できれば同時に(あるいは録画で)YouTube配信をしたいと思います。

 テケト(teket)について、わかりやすい動画が見つかりました。

teketで演奏家が自分でコンサートをつくる時代に|ヴァイオリニスト 石上真由子

引き続き更新します

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さんぽセル

ああ、これいいねー。

今、注文して届くのに4ヶ月待ちなんだそうな。

悟空のきもちTHE LABOのホームページ

いつも小学生の登下校を見るたびに「ランドセル重そうだなぁ。あれ、なんとかならないのかなぁ。」と思っていました。

今ごろ、中学校でもリュックになっている学校があって、それも、かなりパンパンに膨れているんですよね。

昔に比べると、教材が多くなっているのか、タブレットが入っているのかわからないけど、見るからに重そうです。

ぼくが小学校に通っていた頃は、50年以上、かなり昔ですから、ズックカバンでした。わかる人いるかなぁ。ペロッとフタをする布が一枚外側にあるようなカバンで、「ど根性ガエル」というアニメの主人公ひろしが肩にかけているカバンです。

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入っているのは、その日の教科書とノート、筆箱くらいです。遊ぶときは、どこかの木にひょいと引っ掛けて、遊ぶ、そんな時代でした。

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感想(256件)

中学校、高校は手提げの黒い学生カバンを持っていて、真面目な学生はツヤツヤでパンパンにふくれていましたが、だいたい悪ガキはツヤがなく、ぺっちゃんこです。

ぼくは自称「真面目な学生」でしたが、カバンはぺっちゃんこでした。学校に全部教科書を置いておいて、宿題だけ(いちおう)持って帰るというカンジです。

さんぽセルに対する大人の反応

ところで、このさんぽセルが発売されたときに、大人の批判が多かったそうです。え?なんで?って思いますが、「そもそもランドセルは背負うように作られている」「階段や歩道橋はどうするの」「学校の教室の床や廊下が汚れる」「子どもが楽をしてはいけない」「荷物を手で持つと危険」「転倒した時にクッションになる」といった、少しピントが外れたような意見が多かったそうで、すぐに子どもたちに的確に反論されていました。

そもそも、革製の重いカバンじゃなくても、手提げにもなる布製のリュックでいいし、持って帰る必要のないものは学校に置けばいいわけです。

体重の1割くらいが適当

体重80キロの大人が10キロのダンベルを持っても、かなりずしっときます。約20キロの灯油缶を持って、100メートル歩くのはかなり重労働です。

ランドセル自体が1~1.5キロあって、中身が小学一年生で5キロくらいだそうです。それに水筒とか、いろいろ合わせると、7キロを超えるランドセルもあるようです。

体重25キロの子どもが7キロの荷物を背負って歩くというのは、先程の80キロの大人が灯油缶より重い22キロを背負って歩くのに相当します。

ビジネスマンがふだん持つ荷物は、ノートパソコンと書類としても、10キロもないでしょう。それでも、かなりずしっと重み感じている方は多いと思います。

子どもの荷物は小学一年生で2~3キロくらいが適正なのではないでしょうか。何か基準があるといいんじゃないかなと思います。小学生の持ち物は、年々重みが増しているような気がします。

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スピリチュアル ブログ 挨拶

Respect Rachel

The title “SpringBirds” of this site was named after Rachel Carson’s “Silent Spring”.

The land here in Tottori is still rich in nature.

I want birds to sing anytime, any year, or anywhere, in the spring.

I would like to take advantage of this abundant nature that I have now and leave it in the future. To that end, I want to convey the words.

Thank you for reading my text.

Miyuu Kishimoto

“Kikujiro” the Movie, by Takeshi Kitano. “Summer” is This Movie theme music.

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完璧に完成させない・・・っていうか、それ意味ない。

 いつも「まだまだ・・・。」っていう気持ちを持っている人って、そういう癖なんですよね。なんか、昨日の話の続きのようになっていますが。

 「ここまでやったらオッケー。」というハードルがめちゃめちゃ高いわけです。

 それで、いつも「あれやってない。これがまだだった。」ってことを常に「癖のように」考えています。

 それ、ぼくでした(笑)

 現実問題。「完成」なんて意味ないわけです。

 単に、出来が良かったら、あとで「完成した。」って思うだけなんですから。

 もう、思い立った時に好きなことをする。それでいいんですね。もちろんわがままではなく、人のことも大切にして。それ、基本ですから。

 で、今、そういうことを書こうと思って書き始めたんじゃなくて、何を書こうとしていたのか、忘れちゃいました(笑)

 それも、アリ・・・ですね。

 思い出した。

昨日のハンカチ

 これも、習慣なんですけど、誰もそうだと思うんですが、毎日下着を換えると思うんですけど、昨日使ったハンカチをそのまま洗濯するんじゃなくて、いろいろ使ってるよっていう話をしようと思っていたのでした。

 テーブルの上の水気を拭いたり、ちょっとしたホコリを払ったり、ディスプレイやキーボードを拭いたりもしますね。

 昨日のハンカチって重宝します。

 家族はみんな、すぐになんでもティッシュ使いますけど、汚れものは雑巾、そうじゃなかったら、昨日のハンカチを使うもアリ。もちろん、サッと拭けるティッシュも使う!

 短い、お話でした(*^^*)

 ちょうど、お財布が目の前にあったので、お財布も昨日使ったハンカチで拭きました。

 毎回、ロベルタの財布を買っていますね。これは、去年の6月に買った財布です。だんだんいい味わいになってきました。

 昨日一日使ったハンカチは、ヒロミチナカノでした(ロゴは財布で隠れています)。

 夕陽の写真や動画をアップしておいて、なんだけど、今、朝で、これから出かけます。今日も元気で出発!!

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心の安らぎを持って生きる

 昨日7月8日、気分が重苦しくなるようなとてもつらい事件がありました。そのことについては、ここにはそれ以上は、書かないでおこうと思います。

 どうして、この日本で、こういうことが起きてしまったのでしょうか。

 ぼく自身は、変わらず、ただ人々の心の安らぎを願うだけです。そのためには、自分自身が心の安らぎを持って生き、それを伝えられる存在になりたいと思っています。

 そして、そんなふうに一人ひとりが思えたなら、憎しみや怒りに振り回される必要はありませんし、争いや、戦争は起きないでしょう。

 日本で1945(昭和20)年の終戦後生まれた子どもたちも、既に77歳です。もう、ほとんどの日本人が戦争を知りません。このことは日本人として誇りに思います。

 「外国が攻めてきたら、身を守るため、国を守るために戦う。」その論理で、これまでこの地球で、この世界では、戦争が繰り返されてきました。その結果、犠牲になったのは、常に弱者であり、市民でした。

 身を守るため、国を守るために戦っていたはずなのに、戦争では、殺すために戦うことに変わります。殺さないと、殺されるからです。それは、戦いではなく、単なる殺し合いです。

同志少女よ、敵を撃て

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 この本も、ぜひ一人でも多くの人に読んでみてほしい一冊です。憎しみ、悲しみから狙撃手となった少女がどんな世界を見ることになったのか。そして、これが戦争の現実であるということを知ってほしい。

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壊れて再生して、生まれて成長する。

 物質中心の世界、この次元にあるものは、自分自身のカラダを含めて、どんなものでも、すべて、そのサイクルを持っています。

 そのサイクルが長いか、短いかの違いはあります。

 たとえば、さっき、ずいぶん長い間自宅で使っていたお気に入りのグラスが割れました。そういうときって、変化するときです。これまでも、似たようなことが幾度となく、ありました。

 20年以上前、初めて、オカリナを落として、木っ端みじんに割ってしまったときも、出演するコンサートの控室での出来事でした。

 そのとき、オカリナに対して、曖昧だった気持ちが、スッとはっきりしたことを覚えています。まわりにいた人が、「うわ~っ!!」と叫び、青ざめ、息を飲むのがわかりました。一瞬、部屋が静寂に包まれ、声にならない悲鳴も聞こえたと思います。

 それでも、ぼくの心の中は案外晴れやかでした。代わりの楽器に持ち替えて本番では演奏しました。

 どんなことでも、どんな人でも、現実に、まったく支障がなく、すくすくと育つ、成長するということは有りえません。人を見て、羨んだり妬んだり、そう思うことはあっても、それこそが他人軸であって、恵まれているから、お金があるからと、都合よく、人のことを見ているわけです。当然それぞれに見えない部分が、いろいろあって、そこは見ることはないでしょう。

 こうしている今、戸棚の奥に使っていなかった古いグラスでお酒を飲んでいます。これも、これから大切なグラスの一つになるでしょう。これまで楽しませてくれた壊れたグラスを眺めながら、感謝の気持ちも込めて。

 ありがとう。

 今日の夕陽は、とても美しく、きれいでした。

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基本のこと、楽しむということ

基本はだいじ

 何をやるにしても「基本」って、ありますよね。たとえば野球だったらキャッチボールとか、音楽だったらロングトーンとか、音階とか、リズムとか。やっぱどんな天才でも、基本を身につけることは「だいじ」なんだと思っています。

 ただ、ぼくは、そういう「基本」だからこそ、楽しんでやった方が続けられるし、身につくんじゃないかって考えています。

根性論で身につくこと

 これまで、ぼくが通ってきた時代もありますけど、ど根性で、歯を食いしばってやっている場面を何度も見かけたことがあります。ぼくは、それはやりたくないなって思ってました。でも流れとかもあるし、人の影響もあるから、ある程度は、渋々でもやらざるを得ないこともありました。

 繰り返しやることって、身につけるためにやるわけです。で、しんどいと思いながらやると、身についたとしても、最終的に「しんどい。」も一緒に身につくわけです。

 それなりに、できるようにはなっていて、人からも「すごいね。」って褒められたりもするけど、やればやるほど、自分自身は、しんどいわけです。

 今でも、しんどいを繰り返す教育ってあるんじゃないかって思うんですね。それは、学校に限らず、会社でも、家庭でもですね。

本気で楽しむということ

 根性論ではなくて、何も考えないで、修行のように黙々とやるということもありますね。そういう場面も、もしかしたら必要なのかも知れませんが、これも、ぼくは、やりたくないなって思うんですね。

 たとえて言えば、バットの素振り千回で技術が身につく人は、1回1回をちゃんとやってる人なんだと思います。そうでなければ、やっぱり、結果として徒労に終わるんじゃないでしょうか。

 音楽の音階練習だって、機械的にやって出来たって、その「機械的」が、テクニックとして身につくだけです。聞く人は、びっくりするだけで、心に響きません。まぁ、びっくりしたというのを感動だと勘違いする人も、いるのかも知れませんが、次の日には忘れているようなことを感動とは言いません。その点、どうなんでしょうか。

 どうせなら、本気で楽しむことが大事なんじゃないでしょうか。力まかせでもなく、機械的でもなく、自分の心と向き合うことが。

 そうして、初めて、感動が生まれます。10年経っても、50年経っても、覚えていることってありますよね。その時は無理に「感動した。」って思わなくてもいいんです。本当に心に届いたことは、忘れません。

 ぼく自身、そうやって、自分の心にも、聞いてくださる人にも、届けたいなって思います。 

葵(タチアオイ)の花を見つけた

 道端に葵の群生が咲いていました。赤やピンク、紫の花と、緑葉が雨に濡れていました。

 よく見ると、左手前の低い位置にあるピンクの花は薔薇でした。この組み合わせも面白いと思い、写真を撮りました。今の季節、紫陽花もいいですが、葵のすくっとした立ち姿を見るのもいいものです。

 最近、きれいな景色を見ながら、ただしゃべっているという動画を撮っています。これもそのひとつで、今朝の小雨降る城原海岸です。

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指先から感じるもの、見えるもの

昨日の夜、ぼくのアメブロ「空と海とぼくへ」に「指先が感じることの意味と深さ」というタイトルの記事を書きました。

なんとなく、文章が途中で終わっているような感じがあったので、続きとして読めるものを書いてみようと思います。

アメブロの記事は、1,000分の1の精度が指先で、感覚としてわかるようになったことを書いています。

これは、決してぼくが特別な感覚を持っているということじゃなくて、誰にでも備わっているもので、ただ「意識のあり方」で、その感覚が感じられることがあるんじゃないかなと思います。

誰でも、視線を肌で感じたり、大切な人の思いが伝わったりする経験をしていると思います。

(視覚)目は見るけど、見るのは、目だけじゃない。
(聴覚)耳は聞くけど、聞くのは、耳だけじゃない。
(触覚)肌は触るけど、触るのは、肌だけじゃない。
(味覚)舌は味わうけど、味わうのは、舌だけじゃない。
(嗅覚)鼻は臭うけど、臭うのは、鼻だけじゃない。

根本にあるのは、「意識のあり方」であって、これは五感だけじゃないと思います。

たとえば、お金のこと。

財布に3万円入っていたとします。

「こんなにある。豊かだ。安心だ。」と思う人は、すでに豊かでしょう。

「月末の5万円の支払いがある。足りない。」と思う人は、まだ月の半ばだとしても、すでに貧しいと思います。

「意識のあり方」の一例です。

こんなわかりやすい例ばかりではなく、実際には多くの無意識の働きで、人はその人の世界を作り出しています。

30年も前に、ぼくは指先の感覚から、そういったものを感じるようになりました。