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すべての物質が、いのちを持っています

 ぼくはクルマの運転が好きで、よくクルマを走らせているんですけど、トンネルに入るとき「山の胎内に入る」というイメージがどうしても浮かぶんです。これはわかる人にはわかるし、理解してもらえると思うんですが、山にはタマシイが宿っています。トンネルに入ったとき、ぼくは安全にクルマを運転しながら、山のタマシイを感じるんです。

 石ころや、日常使っている道具なんかにも、いのちを感じたりすることってありませんか。宝石とか、ネックレスとか、どうでしょうか。それは、人間がいのちを与えているんだ、吹き込むんだっていうかも知れませんが、もともと、いのちを持っているって感じるときがあります。

 考えてみれば、人間のカラダもほとんど多くが「水」です。水は単なる構成する物質で、媒体だっていうんでしょうが、脳みそだって、ほとんど水だし、人間は、水がないと生きられないいのちなわけです。

 結局のところ、いのちって何だって考えたら、存在そのもの、感じるものすべてがいのちだって思うんですよね。そこにあるのは、波動なんですね。水晶の原石とかって、すごいじゃないですか。波動を感じますよ。

 すべてがいのちだとしたら、すべてが大切な存在なんだってことですよね。意識が変わると思いませんか。

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なんだよー!が、いきなり感謝!!に変わるわけじゃない。

 なんだよー!ってことが、人生には起きます。ほんとにね。たとえばクルマを運転してるときとかさ、アブナイ場面に出会ったりして。

 それに、くやしー!とか、かなしー!とか、そういうことが人生には起きます。それでもありがとうって言おうとか、ついてるって言おうとか、どんなときでも感謝だよって言われたりします。そんなの嘘だよって思ったりもしました。

 無理やりありがとうって言っても、心がそう思ってなかったら、意味ないし、意味もなく笑うこともできないじゃないですか。

 でも、そうじゃないんだよってことですよね。無理やりそう思えって、無理やり笑えっていうことを言ってるんじゃないんですよね。なんだよでいいし、くやしいでいいし、かなしいでいい。それをまず味わうことなんだね。悲しいときには、しっかり悲しんで、これで味わったって思ったら、手放すってことだね。そして、起こったことの意味を考えます。なんでも意味があるんだね。意味のないことは起こらないんだわ。そうやって、意味を知って、味わったときに初めて、感謝が生まれるってことだね。

 ほんと、今日もいろんなことがありました。感謝ですね。ありがとうございます。

感謝の波動

 信じない人は信じないでいい話なんだけど、感謝の波動ってすごいです。一瞬で、この世界の隅々に届きます。宇宙に届くって言ってもいいね。一人でも多くの人が、このことに気づいたとき、感謝の波動が地球を包み込みます。その瞬間から世界が大きく動くよ。楽しみにしています。

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オカリナ ギター クラリネット ブログ 挨拶 音楽

イベント、するだでぇ〜。

 まだ、今思いついたところ(ほやほや)ですが、2023年4月1日(土)か、2日(日)のどちらかにイベントをやります。今のところは、オカリナやクラリネット、歌、ギターなど音楽レッスンを岸本みゆうから受けている個人、グループを対象にしていますが、それ以外に何か発表したいことがある方、一人7分以内ならオッケーです。

 場所は岩美町の渚交流館を予定しています。出演する方の参加費は一人1,000円、入場料は無料です。

告知ページを作りました

 イベントのタイトルを「音愛2023(おとあい2023)」とします!!

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新しい命に祝福を

 何も人間の赤ちゃんのことだけを言うのではありません。あなたの体にも、新しい命が、この瞬間にも生まれています。

 どんな生き物でも、年齢が何歳でも、生きている限り、この生命の仕組みは変わりません。

 細胞が生まれ、消滅し、吸収されていく。

 満たされないこと、衰えること、死に近づくことを嘆く前に、まずこの命に感謝することが大切です。(本当に感謝できたとき、死はいつもその一部として、命のうしろに隠れていることに気づきます。)

 この目に見えない小さな細胞のひとつひとつは、無限のパワーのもとになっています。地球や、天体、宇宙の営みとシンクロしています。

 ぼくはいつも感謝しています。

 読んでくれて、ありがとうございます。

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開かれた世界につながる無限の感覚

プロローグ

 ぼくが、10歳くらいまでの幼い頃、たびたびイメージに現れたのは、球体と自分自身の意識が一体となって、落ちていく感覚でした。

 その球体は、巨大で地球の大きさを超えて、とても永遠のように重みがあるように感じられたと思った瞬間に、手のひらに吸い込まれるくらいに小さく、軽く、消えていきそうになることがありました。

 落ちていくさまは、それが始まって、目を閉じている間は、ずっとずっと感じられていて、その行きつく先を見てみたいという衝動に駆られるのだけれど、どうしても我慢できなくて目を開けてしまいます。そして、目を開けてしまうと、もうその感覚はしばらくは戻ってくることはありませんでした。

霊が見える

 ものごころついた頃から、割と大人になっても、ずっと霊を見ることがありました。その一方では、理性が否定をし続けていました。「見える意味がわからない。」「脳が勝手に映しているだけ。」「単なる幻影だ。」「自分がどこかで怖がっているから、見えるのだ。」

 誰に言われたわけでもなく、自分でそう言い聞かせることで、割と最近まで、霊が見えることを人に言うことはありませんでした。無意識に人と違う自分を認めたくなかったのかもしれません。

 50歳半ばを過ぎるくらいになって、ようやくこの世界での自分を取り戻しつつある頃から、霊は自然と見えなくなりました。

 霊がどんなふうに見えていたのかというと、ぼくの場合は、完全に人間のカタチで見えることは稀で、火の玉だったり、オーブであったり、靴を履いた足だけだったり、壁から首だけが見えるというような感じでした。それも、昼夜問わず、どちらかといえば、昼間見ることの方が多かったように思います。

 それは、今思えば、サインのようなもので、既に霊界にいる方が、なにかを伝えようとしていたと考えられていて、友人の死や、東京で暮らしているときに郷里鳥取で起こった地震を知らせる夢のようなものも現実にありました。

 霊が見えると言ったときに、よく聞かれるのは「怖くないのですか。」ということですが、深夜に部屋の壁から首が見えたときには流石にギョッとしましたが、不思議と、怖くてブルブル震えるというようなことはありませんでした。

 よほど、テレビで怖い番組をやっているのが、想像を刺激されて怖い感じがします。

幽体離脱

 10歳か、それくらいのときに、幽体離脱をした経験があります。なんとなく眠れずにいると、気がつくと、その寝姿を上から見ていました。意識がはっきりしていて、その場所を離れるとまずいことになりそうだと思った瞬間、もとの体に戻っていました。

 その後、意図してやろうと試みたことがありますが、それっきり、幽体離脱はできていません。

イメージを読み取る

 霊体を見ることはなくなりましたが、そのイメージを否定していたのは、自分自身だったことに気づきました。本来「意味がわからない。」と否定しないで、感じたことをそのまま受け取ればよかったわけです。

 今でも、イメージを受け取ることはあります。それが、夢だったり、ふとした感覚だったりします。そして、すべてに意味があると思っています。


 アクセスバーズをやっています。お申し込み・問い合わせは、こちらからどうぞ→アクセスバーズ60分(6,600円)

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アクセスバーズ スピリチュアル ブログ

クリアリング・ステイトメント

 アクセスバーズに、クリアリング・ステイトメントってあるんですね。これが、ぼくは「ちちんぷいぷい」とか「ビビデバビデブー」とかに似た、魔法の呪文、おまじないみたいで、おもしろいなって思ったんですね。

 もちろん、ふざけているわけではないんですよ。元はひとつひとつが意味があることばを、ギュッと凝縮してあるわけです。そういう意味で言えば、たとえば般若心経とか、ご真言、あるいは「なむあみだぶつ」みたいな宗教的なことばのようでもあるけれど、それともちょっと違うんですね。

 感覚として近いのは、ハワイのホ・オポノポノなのかなって思います。それって、何?って思った方は、調べてみてくださいね。「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」この4つのことばを繰り返し、感情を込めずに唱えるメソッドがあるんです。ハワイ語や英語じゃないといけないという人がいますが、ことばは、波動ですので、潜在意識に働きかける効果は何語でも変わりません。

 ぼく自身の体験もそうですが、いろんな人を見ていて、潜在意識のブロックって、かなり強力だということがわかります。

 いちばんわかりやすい例として、よく挙げられているのが、お金に対するブロックです。人は、まるで空気か水かのように渇望して、「お金がないと生きられない。」とさえ常に思っているんですね。

 でも、そう思っている人に「次にお金を支払うときはいつですか。」という質問をすると、明日だったり、1週間後だったり、わからなかったりするわけです。それは、とんでもなく巨額の借金を抱えている人ばかりではなくて、じゅうぶんにこれまでも生活できている人でも、まったく同じです。そういう、ぼく自身もそうでしたし、請求書をもらっていて、まだ支払っていないときなどは、気にはなります。だけど、払ってしまうと、その感覚は一瞬で消えてしまい、すぐに忘れます。

 本当になくて困る空気や水に対しては、そんなに思わないんですね。災害が起きて、水が不足すると、どうしようと思うけれど、それでも、人は生きています。空気や水は、何もしなくてもただ受け取るだけでいいわけです。日本人は特に、もともと常にあると思っています。

 お金ばかりではありませんが、そうしたブロックを外しましょうと、潜在意識に働きかけるのが、アクセスのクリアリング・ステイトメントです。「破壊(デストロイ)して、アンクリエイトしますか?」と実際に問いかけることもあります。

 そうなんです。潜在意識のブロックに対しては、「破壊する」くらいのインパクトが必要なんですね。そのあたりは、とても明確です。

 クリアリング・ステイトメントについては、英語ですが、ドクター・デーン・ヒアによる解説を参考にしてください。

 ずっと囚われていた感覚がここにあります。実際に、ぼくの感覚は以前より、ずっとクリアになっています。だから、書けている文章なのかも知れません。

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どうして人は、自分には足りないものがあると思ってしまうのだろう?

 現実に「足りないもの」は、あると思います。

 というか、誰もが「足りないもの」だらけで、探せば、すぐにたくさん見つかるんじゃないかと思います。

 たくさんの人が、お金に困れば足りないと思い、なにか満足できないことがあれば、人が足りない、愛が足りない、体力が足りない、知識が足りない、と枚挙にいとまがありません。

今、ここにすべてがある。

 よく言われますね。これが本当のことあり、「存在」の本質です。本当に、すべてがここにあります。

 でも、なぜ、人は「足らない」と思ってしまうのでしょう。

 それは足りないと「考える」からです。

 生まれたばかりの赤ちゃんは考えません。おっぱいが足りないと感じれば泣くだけです。考えているわけではありません。

 赤ちゃんのように、考えるのではなく、自分が何をどう感じているのかに意識を向ければ、生きているだけで満たされていることに気が付きます。

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話す言葉の主語を考える

 ぼくは、・・・と、このように「ぼく」を主語として文章を書き始めることが多いようです。それがいいとか、悪いとかという話ではないのですが、それは、ぼく自身の過去の経験がそうさせているんじゃないかと、今、思いました。

 過去の経験というのは、「自分を犠牲にする」「正しく生きる」「人のため」という観念で、ずっと長い間生きてきたわけです。その思いは、自分で思っていたよりも強力だったみたいで、結果、自分を見失って、自分がわからなくなった、という経験がありました。

 その当時を振り返ると、そのために、ずいぶん苦しんでいた自分自身が見えてきます。

 なぜ苦しいのか、どうやったらこの状況を変えられるのかがわからなくて、ある時、ヒーリングができる方のカウンセリングを受けました。そのとき、ストレートにそのまま「みゆうさん、あなたには、自分がまったくありません。」と言われました。

 それが5年くらい前のことだったと思います。

 それから、自分を取り戻すために、ノートに書いたり、ブログを書くことで、アウトプットすることがずいぶん役に立ちました。声を録音して、アップロードしたりもしていました。

 この5年間に身についたのが、「ぼく」で始まる文章だったんだと思います。

 ぼくは、パソコンや音楽のレッスンを講師として、しています。そのときには「あなた」あるいは「皆さん」を主語にして話をしています。

 「あなた」がこういう状況で、こうしたらいいよ。こうしてみては、どうでしょう。といった感じです。

 「あなた」を主語にする場合には、イメージが必要です。何が伝わっているのか、何をどう感じているのか、「あなた」を見たときのイメージであり、「あなた」にとって必要だと思われるイメージです。

 ぼくが「ぼく」を主語にして話をする場合は、「あなた」のイメージに触れないように慎重になっているわけです。イメージの押し付けにならないようにと「忖度」しているわけです。

 押し付けにならないためには、訊ねればいいわけです。相手を理解することから始めないと、どんなに慎重でも、結局は伝わらないかも知れません。

 やっと、これから本当の自分自身を始められそうです。自分自身を取り戻したところから、相手の理解へと、今日、舵を切りました。

 話す言葉の主語を考えて、再スタート、アンクリエイトします。

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今を自分らしく生きることが、幸せ。

 自分というのは、この世界に現れている現象のひとつだと思います。同じ花でも、アスファルトの下で生まれる花もあれば、田んぼのあぜに咲く花もあります。

 自分では、黄色い花だと思っていたら、赤い花が咲いたりするでしょう。

 受け入れるしかない、変化ってありますね。何日も雨が降らなくて、枯れていくかも知れません。

 枯れる花が不幸でしょうか。田んぼのあぜに咲いたら幸せでしょうか。

 幸せか、不幸かを決めるのは、人間の思考です。

 不幸だと思ったら、なんでなんだろうと考えます。お金がないから不幸だと思ったら、お金持ちになろうとします。

 それって、意味があるでしょうか。

 今、生きている。そのまんまが幸せなことです。

 ぼくは、今、そう思っています。

 ほんで、めっちゃ幸せです。

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喜びは、いつも隣にある。

 苦しいときに考えることと言ったら、誰もが「苦しい、早く楽になりたい。」だろうと思う。「自分は、いったい何をやっているんだろう。」とか、「こんなはずじゃなかったのに。」とか。ぼくも本当にずっと、そう思っていました。

 年齢を重ねて振り返ったときに「あの経験があったから、今がある。」そう思えることが、これまでにたくさんあったとしても、苦しいときは「苦しい。」と思う。それを無理に「楽しい。」と思わなくてもいいでしょう。苦しいときは、苦しみとして認めて、味わうしかありません。

 それでも、今は喜びがいつも隣にあることを知っています。知っているだけで、そのままを味わうことができます。意識ってすごい力があるんですね。