時間という存在は、ありません。さまざまな変化を読み取るのに「存在する」ことにした方が都合がよく、便利なので「存在している」ことにしているだけです。ですので、ここで「時間がある。」というのは、あくまで概念上の話です。
なぜ、こんなややこしい話をしているかというと、人があまりに「時間がない。」と考えることが多いからです。もともと存在しないものですから、ないと考える必要がないのです。
一日というのは、地球の自転一回分です。それは、同じ場所に留まることで感じられるものであって、もし地球が自転する速さでまったく逆の方向に回り続けたら、どうでしょう。ずっと太陽が同じ位置にあって、昇ることも、沈むこともありません。時間は、もともと存在しないので、変化がなければ定義することもできません。
そんな非日常を考えるまでもなく、時間が概念だということがわかれば、急いだり、焦ったりしなくてもいいんだということがわかると思います。
眠ったり、瞑想したりすると、自分では、時間の長さは感じられずに、疲れが取れたり、思考が整ったりすることで、時間の経過を知ることがあります。8時間眠っていたとしても、それは、意味のある変化を経験した時間です。8時間を「浪費した。」と考える必要はありません。
テレビを見たり、ゲームをしたり、ぼうっとしたり、そういう時間も意味があると思えば、大切な時間になります。
結局、時間が概念であるなら、今をどう感じるかで、変わってくるということです。
時間は、あります。無限です。
今、ここに書いた文章の「時間」を「お金」に置き換えると、面白いことになると思います。時間もお金も、実体はなく、本質は波動であり、エネルギーだということが腑に落ちるのではないでしょうか。