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時間は、あります。

 時間という存在は、ありません。さまざまな変化を読み取るのに「存在する」ことにした方が都合がよく、便利なので「存在している」ことにしているだけです。ですので、ここで「時間がある。」というのは、あくまで概念上の話です。

 なぜ、こんなややこしい話をしているかというと、人があまりに「時間がない。」と考えることが多いからです。もともと存在しないものですから、ないと考える必要がないのです。

 一日というのは、地球の自転一回分です。それは、同じ場所に留まることで感じられるものであって、もし地球が自転する速さでまったく逆の方向に回り続けたら、どうでしょう。ずっと太陽が同じ位置にあって、昇ることも、沈むこともありません。時間は、もともと存在しないので、変化がなければ定義することもできません。

 そんな非日常を考えるまでもなく、時間が概念だということがわかれば、急いだり、焦ったりしなくてもいいんだということがわかると思います。

 眠ったり、瞑想したりすると、自分では、時間の長さは感じられずに、疲れが取れたり、思考が整ったりすることで、時間の経過を知ることがあります。8時間眠っていたとしても、それは、意味のある変化を経験した時間です。8時間を「浪費した。」と考える必要はありません。

 テレビを見たり、ゲームをしたり、ぼうっとしたり、そういう時間も意味があると思えば、大切な時間になります。

 結局、時間が概念であるなら、今をどう感じるかで、変わってくるということです。

 時間は、あります。無限です。

 今、ここに書いた文章の「時間」を「お金」に置き換えると、面白いことになると思います。時間もお金も、実体はなく、本質は波動であり、エネルギーだということが腑に落ちるのではないでしょうか。

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アクセスバーズ スピリチュアル ブログ 挨拶

体感があることは、伝えやすい。

 というよりも、言葉だけで伝えている、伝わっていると思っていても、実は体感を共有しているから、伝わっているということがあります。

 たとえば「赤いバラが咲いています。」と誰かが話したとします。匂いを知っている人は、匂いを共有できます。その鮮やかな色を知っている人は、その色を共有できます。

 中には、赤いバラを見た記憶がある季節を感じたり、赤いバラから連想される過去の出来事を思い出す方もいるでしょう。

 もし誰かが「北欧で見るオーロラは美しいね。」と言っても、日本人のほとんどの人が写真でしか見たことがありません。「そうなんだろうなぁ。」とは思っていても、体感がないので、伝わってきません。中には「たいしたことないかも。」と思っている人もいるでしょう。「寒いし、待つ時間が長い。」と思えば、実際に見に行こうとも思いません。

 「やっぱり升席で見る相撲は迫力あるね。」と誰かが言ったとしても、やはり見たことがない人には実感がありません。「ベンツ、最高だよね。」って言われても、ただ単に自慢されているようにしか思えません。

 人々が実感をもって感じるのは、体験を通して得た記憶です。人づてに聞いたことや、インターネットや本で見て、読んだものは、記憶や知識には残っていても、実感、体感はありません。

体験してほしいこと

 今、アクセスバーズのことを考えながら、この文章を書いているんですが、伝えようとしている人に「体感の共有」がない場合、どうやって伝えたらいいんだろうと、思っています。

 相撲の升席や、ベンツのことを伝えるみたいに、詳しく実況したらいいんだろうか。どうしたら升席に座れるのか、どうしたらベンツに乗れるのか、アクセスバーズで何が得られるのかとか。

ご予約をお待ちしています

 アクセスバーズって何? とにかく体験をしたい! という方のメニューを、3,000円(通常は6,600円〜)で、ご用意いたしました。

 20〜30分の体験でもアクセスバーズのエッセンスを体感していただけるよう、最初にかんたんなカウンセリングを行います。ご遠慮なくお問い合わせ、ご予約ください。

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アクセスバーズ ブログ

ながらライティング、ダブルポスト

 どうしたら、毎日ブログが書けるかな。毎日どころか、一日に何回でもブログを書いてみたい。

 ああ、そうかって。一休さんみたいに頭の上に電球がついた。これまでは、ブログを書くために時間を作ろうとしていたわけですね。自分で「集中しないと書けないタイプ。」って、自分のことを決めてたみたい。

 でもさ。他のことはけっこう、本読みながら、書き物しながら、計算しながら、YouTube見ながらって、「ながら」をやってるんだわね。

 そうか。ながらライティングでいいんだって、やっと気がついた。推敲もしなくていいし、ダブルポストどころか、トリプルでも、何度でもあちこちに同じようなことを書いてもいい。繰り返し書くことがあってもいい。

 無意識の意識、潜在意識に気がつくようになると、こんなふうに、どんどん変わる気がする。

 アクセスバーズを経験して、自分でもやるようになって、気づくことが増えたようだ。おもしろい。これから、どんどんおもしろくなる。

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トイレ掃除の時間

 ぼくは、これまで長い間朝起きて、家族が起きるまでの時間にトイレ掃除をしていました。そのほうが習慣になるし、朝スッキリするほうが一日を気持ちよく過ごせるからです。

 でも、もたもたしていて家族が起き始めると、たちまちトイレはラッシュを迎えます。そうなると一旦トイレ掃除をあきらめて、あるいは中断して、時間のあるときにまた再開することになります。再開できればいいのですが、ぼくも仕事がありますので、そのまま出かけることもあります。

 そうこうしていると、数日トイレ掃除をしていない日があることもあります。

 なんでかわかりませんが、他の家族がトイレ掃除をするのは、滅多にありません。これは、ぼくが小さい頃からで、ちゃんと柄付きブラシとか置いてあったりするけど、ぼく自身は素手でトイレ用ウェットティッシュや雑巾(着なくなったTシャツとか)を使うので、そういうよぶんな道具は、家族が年に数回掃除する時のためのもので、すっかりホコリをかぶっています。

 ぼくはトイレ掃除をするのは、当たり前だと思っていたんですが、最近YouTubeを見るようになって「トイレ掃除をすると金運が上がるよ。」って言っているのを聞いたりすることが多くなりました。そういえば、ぼく自身たまにお金に困ることはあっても、独身の頃から何度も乗り越えてきました。現在は家族4人。電気代もガス代も水道料金も保険料もぼくが払っています。なんの問題ありません。

トイレ掃除は夜することに

 ふと、夜トイレの便器に座っていると「夜すればいいじゃん。」ってトイレの神様が耳元で言うんです。つい、反射的に「あ。そうですね。」って頭の中で返事をしちゃったんですね。

 そうなると、これは神様との約束ですから、守らないといけません。

 早速、やりました。スッキリと眠れます。

 今日から、トイレ掃除は夜やります。朝やることも、もちろんあると思います。気持ちいいですね。豊かです。

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オカリナ スピリチュアル ブログ 未分類 音楽

昨日の気付きにつながる本を見つけた

 昨日、入口と出口という話を書いて、自分でただ思ったこともマイナスなこともぜんぶ潜在意識に入るから、曖昧にしないで理解することが必要なんだと気づいた、というようなことを書きました。

 今日もいろんな奇跡が起きています。もう、奇跡は常に起きるものになっていますね。

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 アマゾンで買えるこの本は、今キンドル・アンリミテッドで無料で読めます。この本をぼくは既に読み始めています。これも奇跡ですね。この本の内容は、そのまま昨日の気付きにつながる話です。

 この動画は、今朝の海の様子を撮影して、その後録音したものをミックスして映像したものです。鈴木英史さんの編曲した曲を演奏したのは今日が初めてでしたが、なんとついさきほど、この方と友人が並んで写っている写真がその友人のフェイスブックに載っているのを見かけました。

 偶然というには、あまりにもすごいことです。びっくりしました。きっと何かご縁があるのでしょう。

 これからもいろんなご縁をいただくと思います。ひとつひとつ大切にしていきます。

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オカリナ ブログ 音楽

入口も出口も大事

 今日、オカリナの録音をしようと準備をしていて、パソコンとUSB接続のオーディオインターフェイスをつなぐための、USBアダプターを忘れているのに気づいて、ものは試しと、MacBook Air M1の内蔵マイクの入力レベルを調整して、録音したのが今日の動画です。

 パソコンやスマホのスピーカーで聞く分には、たぶんそこまで違和感はないと思います。ヘッドホンで聞くと、いつもより高音も低音も圧縮されたような感じです。

 やってみて、MacBook Air M1のマイクが案外性能がいいことがわかりました。もちろんそのままのレベルだとビビりまくり、割れがひどくて使えません。かなり絞って、アンビエンスをいつもより多めに調整しました。

 別にオカリナの録音に限らず、自分のことを伝えようと思ったら、入口(マイク)も出口(スピーカーまたはヘッドフォン)も大切です。

今日の気づき

 ぼく自身、「人に伝えないんだから。」とその辺のことを曖昧にしていたことに、今日の体験から気づきました。

 たとえばクルマを運転していて、割り込みやあおり、ウインカーの合図なしに目の前で曲がってこられたりと、イライラする場面にはたくさん出会います。あまりに多いので、その都度、「なんだよー。」とか、ひとりごとを言って怒っていたりします。

 そのことばがどこから発して(入口)、どう受け止めた(出口)ということですね。

 そこを曖昧にしていると、結局潜在意識に入ってしまいます。そして、また繰り返し同じような現実が現れます。

 「え?えええええっ!?」

 ですよね。自分がその現実を作っているわけですから。これは、とても大切な話なんじゃないかなと思ってシェアすることにしました。

 ここまで、読んでいただき、ありがとうございます。

明日の入口

 オカリナの録音ですが、明日は入口(マイク)を変えて録音してみようと思います。いつも使っているマイクは、シュアーの58です。

 明日使う予定なのは、AUDIX i5で、シュアーの57/58と同じような感度のマイクですが、カプセルが中でカバーされていて、ウインドスクリーンのメッシュも細かくて、ソフトな音で録れそうな気がします。楽しみです。

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スピリチュアル ブログ

年齢は情報のひとつ

 長いこと使っていても、壊れないモノってありますね。およそ100年前の1920年代のメタルクラリネットが家にあります。ほとんど使っていないので、現役とは言えませんが、数年前にメンテナンスをしていただいて、演奏が可能な状態にはなっています。

メタルクラリネット

 ふだん使っているクラリネットは、1978年フランス製のセルマー10S(テンエス)です。44年前なんですね。これも今年メンテナンスをしていただいて、コンディションはとてもいい状態になっています。

 楽器って20年、30年たっても使えるのは当たり前ですね。コンディションを保って、時折ちゃんとメンテナンスを続けていれば、世代を超えて使うことができます。ネックが折れていて、長い間使っていなかった50年前のクラシック・ギターも再生されて復活しています。

ちょっとむずかしい話をしてみます

 ぼくは、時間を「次元の属性」というふうに考えてみました。実際に、1920年も1978年も、50年前も、こうしてみると、今、ここに確かに存在しています。

 ふだん、この時間という「次元の属性」を、人は記憶の中の「変化の過程」として捉えています。10時を指す時計を見たあと、11時を指す時計を見て、「ああ、1時間経った。」と思うわけです。

 この「次元」というものは、同時にいくつも無限に存在していると言われています。1920年が存在するように10時の時計も「今ここ」に存在しているわけです。

 ただ、ぼくたち三次元の存在は、すべてを認識することができないので、「今」という「属性」が与えられたものだけを物質として認識することが可能なのです。

 だから「こうなりたい。」というアファメーションは次元を否定することになり、「既になっている。」というアファメーションが現実となります。実際に今ある自分の姿というのは、繰り返しそうやって(たぶん)無意識にアファメーションしてきた自分が選んで具現化したものなのです。

40歳になったら体力ががくんと落ちる

 60歳になったら、思うように動かなくなる。そう言われて育ちました。今でもそういう声を聞くことがあります。

 ぼくの認識は、今のカラダにあった運動をすれば、必要な体力は保てるし、もうすぐ62歳になる今も、体調は上がったり下がったりを繰り返しています。それは、10代のときも、20代のときも経験してきたことでした。

 年齢は属性のひとつです。常に変化はあるし、違いはあります。

 この話が腑に落ちれば、なんでもないことなんですね。この世界を満たしたかったら、自分を満たせばいいし、そのままでいいのなら、そのままでいいわけです。この世界を変えたかったら、自分が変わればいい。それが真実です。

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ぼくはもしかしたら本の虫を卒業していたのかも知れない。

 いや、実際とっくの昔に。

 子どもの頃は、割と本の虫でした。というか「活字を見ると全部読まないと気がすまない。」興味のある新聞記事とかあると、全部一言一句書き写していた少年でした。その頃というと昭和40年代です。手書きで、です。人に見られたくない文章は、ぜんぶ鏡文字でした。鏡に映さないと読めない文字をすらすらと「横書き」で書いていました。で、鏡に映すと「縦書き」だとか、ほぼほぼ変態です(笑)。

 保育園に行く前に新聞の記事のどこかにあった「全裸」という文字が読めなくて、親に聞いたことがあったそうです。

 二十代のときには、夏目漱石や太宰治などの古い文学に夢中でした。何を思ったか「徳川家康」全26巻を文庫本で買って読んだのも二十代でした。

 2000年頃、まだぼくの本棚はあふれていたと思います。ところが、ここ10年は本棚の本は増えていません。それどころか減っています。

 ぼくは、電子書籍を読み始めたからだと思っていました。

 でも、最近、koboにしても、kindleにしても、気がついたら充電が切れていたということがありました。

 それでも、koboやkindleではなくて、パソコンやタブレットのアプリで読んでいるからだと思っていましたが、いや、本そのものを読んでいないようだと気づいたのは、実は今日でした。

 ネットのニュースやブログはたくさん読みます。というか、既に「読書」というと、「ニュースやブログを読むこと」と同じになっていたんですね。紙の本はとっくに読まなくなっていたので、自分で気がついていませんでした。koboやkindle、電子書籍も、たまに読みたい本があるときしか読んでいないんです。

 そして、既に自分自身がこうして本を書く以上にネットで発信していることに気がついたんです。

 5年ほど前は、自分自身を常に「足りない」と責めていました。とても苦しく、どうしていいかわからなくて、最初に読んだのは池田晶子さんの哲学書でした。

 そして、その後は「宗教的」とか「スピリチュアル」とか、言われていた本をたくさん読んでいました。今では「カルト(宗教)」と騒がれるように人にも出会い、本を紹介されて読んだりもしました。もちろんぼくが出会った人の中には、悪い人、人を騙そうとする人はいませんでした。そもそもキリスト教だって、仏教だって、実は今でも関係ない人にとっては「カルト」そのものなんです。大切なのは、一人ひとりがどう感じて、何を信じて生きるかなんです。宗教よりも大事なのはそこなんです。そこをすっ飛ばして宗教を批判することは意味がありません。

 もっと書きたいことがありますが、今日は寝ます。おやすみなさい。

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大いなるエネルギーの中の一部としてあるお金というもの

「お金」って、人間が作り出した「価値」を、数字にして見えるようにしたものです。当然、社会や時代が変わればその「価値」は変わります。

その「お金」は、自分の時間やモノを売ることで得られます。そういう仕組みをここ数百年の歴史の中で作ってきたのです。

しかし、もともとは、自然の中には、太陽や空気、水のように、人類にとって無限と感じられるほどの膨大なエネルギーがあります。そのエネルギーは等しく、すべての人やすべての生命に与えられています。

「お金」は、自然とは切り離された、人間だけに通用する経済と呼ばれるシステムの中で使われているだけに過ぎません。

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壊れて再生して、生まれて成長する。

 物質中心の世界、この次元にあるものは、自分自身のカラダを含めて、どんなものでも、すべて、そのサイクルを持っています。

 そのサイクルが長いか、短いかの違いはあります。

 たとえば、さっき、ずいぶん長い間自宅で使っていたお気に入りのグラスが割れました。そういうときって、変化するときです。これまでも、似たようなことが幾度となく、ありました。

 20年以上前、初めて、オカリナを落として、木っ端みじんに割ってしまったときも、出演するコンサートの控室での出来事でした。

 そのとき、オカリナに対して、曖昧だった気持ちが、スッとはっきりしたことを覚えています。まわりにいた人が、「うわ~っ!!」と叫び、青ざめ、息を飲むのがわかりました。一瞬、部屋が静寂に包まれ、声にならない悲鳴も聞こえたと思います。

 それでも、ぼくの心の中は案外晴れやかでした。代わりの楽器に持ち替えて本番では演奏しました。

 どんなことでも、どんな人でも、現実に、まったく支障がなく、すくすくと育つ、成長するということは有りえません。人を見て、羨んだり妬んだり、そう思うことはあっても、それこそが他人軸であって、恵まれているから、お金があるからと、都合よく、人のことを見ているわけです。当然それぞれに見えない部分が、いろいろあって、そこは見ることはないでしょう。

 こうしている今、戸棚の奥に使っていなかった古いグラスでお酒を飲んでいます。これも、これから大切なグラスの一つになるでしょう。これまで楽しませてくれた壊れたグラスを眺めながら、感謝の気持ちも込めて。

 ありがとう。

 今日の夕陽は、とても美しく、きれいでした。