奇跡を味わう

春分の日、今日が宇宙元旦っていうのは、ウソではなかったですね。

要は、自分が選択して、それにふさわしい行動ができたかどうかなんでしょうね。

ぼくは見事な奇跡的な一日を体験しました。

ぼくが選択したということですね。

詳しくは書けません。個人的なことですし、関わる人もいますから。

選択して、たしかに味わうと、毎日が変わります。世界が変わります。

今日一日だけで、いろんな人に出会いました。

感謝しています。

ありがとう。

ただ気持ちを整えていく。

リラックスして、気持ちを整えることが大事だということは、誰にでもわかる。

そう思いながら、その環境を選んでこなかった過去がある。

その思いも後悔も、手放していいんだと、やっとわかった。

さまざまな出来事に悩まされていた自分も、自分自身が選択した結果だった。

リラックスして、気持ちを整えるために、その環境を選ぶ。

そうしていたら、世界が本当に変わってきた。

前に進もう。

愛する人とともに。

夜は寝ることにしよう

3月17日、今日も大切で、楽しい一日でした。

数日、忙しくて?ブログを休んでいました。

どうやら夜、ブログを書くということはムリなことがあるようなので、ネタは上げておいて、朝ブログを書こうかなと思います。

ネタのいくつかを書いておきます。このブログ自身もネタの一つで、次の日には書き換わっていると思います。

梅が咲いていたこと

桜が咲き始めたこと

自分で決めるということ

できるかな?どうだろうね。まあ、やってみましょうね。

では、おやすみなさい。

まず無になること、思考の周波数で考えないこと

ぼくはわからないことがあると、頭で(理屈)で解決しようとするから、ますますわからなくなる。そういう堂々巡りを繰り返し味わってきた。

たとえば「社会は、経験や知識をもとに積み重ねて、人は成長するという考え方を、絶対的なものとして押し付けている。」と、ぼくは感じていた。

そして、それに反発してきたと思う。でもそれは、ぼくが単に黒に対して白を出し続けてただけで、本当のところ、黒は白でもあるし、白は黒でもあって、一体なんだということに気づいたとき、ぼくの頭は、今度は正解を見つけようともがくようになった。

正解がどこか別のところにあって、なかなかたどり着けないものとして捉えていて、難しい方程式を解くように考えを巡らせていた。

ここに全部あるし、全部オッケーだなんて、思えなかった。自分で自分にダメ出しをしてきたから。

自分で自分にすることは、感じること、理解すること、その反応として行動すること。そのために、一度無になる必要がある。

いや「必要」とも思わなくていい。常に無であっていい。

無になることは、怖いことじゃない。

宗教ってなんだろう。

いろんなご縁があって、さまざまな宗教団体・個人の方ともお付き合いさせていただくことがある。若いときにはかなり強引な勧誘にあったこともあるが、ここ最近は、そういったことはない。

話を聞くのは好きなので、声を掛けられれば、都合によれば、その場所にも行くし、話も聞く。なるほど、そういう考え方や生き方もあるのだと、感心もする。本を読めば、誰でも知識として得られることだが、人を通して聞く話の方がおもしろい。

ぼく自身は田舎の旧家で育った。家に仏壇があり、継ぎ足して「増築」された神棚がある。いったいどれくらい前の位牌があり、御札や掛け軸とかも含めると、どれだけたくさんの神様がいるのだろう。今「檀家」としてお付き合いのある寺は浄土宗、つまり仏教のお寺さんだ。身内の葬儀や、仏壇、お墓のことなどは、このお寺さんのお世話になる。

檀家としてお世話になっているお寺さん以外にも、お付き合いしたり、お参りしたりするお寺さんはたくさんあって、仏教だけでもなく、あまり宗派にはこだわりがない。これを世間では「多宗教」とか「無宗教」と言うらしいけど、ぼくはただ面白いなと思って、それぞれにお伺いさせていただく。

お寺さんだけじゃなく、神社にもよく参る。

神社の拝殿で鈴を鳴らして、お賽銭を入れて、願い事をする。という習わしは、ぼくにはピンと来なくて、ここ(神社)は自分と出会うための神々のアトリエだと思っている。鳥居も門も参道も何度も手を加えられてはいるけど、どこに行っても美しい。後背の森も含めて、氣が満ちている場所を繰り返し通ることで、ぼくは少しずつ、自分を取り戻し、自由になれる氣がする。

音楽は、宗教の原点でもあるなぁ。料理だって、なんだって、味わうことから始まる。一生無宗教でぜんぜん構わないけど、味わうことも拒否した無宗教では、もったいないことだとは、最近ちょっと思うかな。

ぼくは、ただ味わうために、神社に行く。もし願うとしたら、この世界のこと、宇宙のことだ。自分のことは、この次元のこの世界で自分で選択して、決めるしかないから。

言葉の周波数

今日は一日、雨だった。深夜近くになって、今度は風が強くなってきた。闇夜の空の高い場所からゴーッという風の音が聞こえる。春の嵐だ。雨は、明日も続きそうだ。

3月11日を境に、流れが大きく変わった気がする。ぼくは、レッスンでも、感じたことをそのまま伝えている。ほとんど、あいまいにすることがなくなってきた。姿勢も、目線も、表情も以前とは違う。自分がはっきりと選択すると、人もはっきりと動き出すように見えてくる。現実にそう流れ始めたと感じる瞬間が多い。確かに伝え合うものがある。

光や音楽が周波数を持っていることは、間違いない。同じように、こうして書く文章や、声に出す言葉も周波数を持っている。単に意味のある語彙の羅列じゃない。意識や無意識が言霊として文章に織り込まれ、伝わる周波数になる。

今、大きな出会いがあり、急速に動いている。そして、昨日より今日が確かなものになってきた。

その出会いのためにも、大切に、しっかりと歩きたいと思う。

まず、思い。それから行動。

誰でもそうなんだと思うけど、行動が「習慣化」してしまって、「思い」がどっかに追いやられてしまうってことがありがちなんだと思う。ぼくは、昨日今日のこのサイトのリセットで、そのことに気付かされた。

ぼくは、「思い」が思考の中で空回りしていた過去があって、この「思い」をアウトプットしたいっていうことがあった。

2021年になって、お正月からブログを書き始めたら、毎日続けられた。3ヶ月と10日続いたわけね。

最近、大きな出会いがあって、その矢先に、ブログのシステムエラーが出てきて、それ自体はこれまでもあったから、修復できると思ったんだけど、結局自分の操作ミスでぜんぶ削除されて、このブログもリセットすることになった。

そのときに気づいたのは、このところのブログが、「思いなき行動」になりつつあったなってこと。

つまり、最近「書かなきゃ。」って思うようになっていた。書くことが習慣になっていて、「思い」がうやむやになっていたのかもしれない。

もちろん、続けることに意味はあると思うし、なんとなく書き続けていても、途中から「思い」が形になることもあっただろうと思う。

それでも、リセットすることに意味があったんだなぁと、今は思う。

このことがあって、伝えることにもっと意識を向けるようになったって、思うから。

自分自身だけかもしれないけど、レッスンをやっていても、これまでと違うように思う。伝えること、どんなふうに伝わっているかってことに意識が向けられています。

そしたら、現実が、本当に動いています。めっちゃ、すごいです。

再起動、そしてリニューアル。

2021年3月10日は、いろんな出来事があった。その、どれもが、3月11日に再起動するために起きたことだったと感じている。

まなび・ふれあい交流会

まず、午前中。県民ふれあい会館で来年の3月に開催される「まなび・ふれあい交流会」の運営委員の一員を引き受けることになった。本当なら、今度の日曜日3月14日に開催していたはずの交流会だ。昨年もプログラムまで印刷されたのに、中止となり、できなかった。2年ぶりの開催だ。できる限りのことをしようと思う。

出会い、つながる

先日印象的な出会いをした方とメッセージのやり取りをした。心が通い合うというのは、このことを言うのだろう。強いエネルギーを感じ、波動がシンクロする。タイミングは、波動、周波数が影響していると思う。大きな意味のある出会いだ。大切にしたい。

サイトがリニューアル

このspringbirds.jpは、春を告げる鳥がテーマとなっている。もとはシステムの更新がうまくいかなかったことが原因ではあるが、たまたま、このタイミングでリニューアルすることになった。ものすごくタイムリー。いい兆しだと感じた。伝説の鶏岩が今日鳴いたのだ。

夜は、姫路へ

姫路へ行く道中、一通のメールが目にとまった。これがどう今後展開してくのかは、わからない。

コロナ禍により、中断していたオカリナ・アンサンブル「アクア」のメンバーと久しぶりに姫路の会場で会い、音を合わせた。めっちゃ楽しかった。音楽は確実に心に響く。

あれから10年

奇しくも、3月11日は、2011年の東北の震災から10年の節目の日と重なる。この日に何かが新しく始まるという予感は前からあった。またいつか石巻に行くことになると思う。福島にも行ってみたい。