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田村虎蔵と瀧廉太郎(仮説)

2024年11月26日
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| カテゴリー:エッセイ

田村虎蔵さん(以下虎蔵さん)は、1873年(明治6年)鳥取県岩美郡馬場村(現在の岩美町馬場)で農家の末っ子として生まれました。ぼくが生まれ住んでいるのは岩美町田後(たじり)で、小さい頃から昔の人として、なんとなく知っていたような気がします。はっきり郷土の偉人として意識するようになったのは、大人になってからだったと思います。

その虎蔵さんと瀧廉太郎さん(以下廉太郎さん)との関係が、浅学にして、これまであまり文献に書かれていないように思われるので、少し掘り下げてみたいと思いました。

虎蔵さんというと、「もしもしかめよ」の出だしで歌われる「うさぎとかめ」を作曲された納所辨次郎さんとともに、言文一致唱歌を提唱した人として有名です。生涯を通じて、たくさんの名曲を送り出し、寸暇を惜しんで全国をまわり、学校音楽教育や歌唱指導にも熱心に取り組んでこられた方です。

虎蔵さんの作曲した曲には、符点の弾んだリズムが使われていて、明るい元気な曲調が多いという印象があります。

ところが明治39年に『尋常小学唱歌』に掲載された「敦盛と忠度」(その後「青葉の笛」と改題)は、それまでと違う、ゆったりとした哀愁のある曲調となっています。詞の内容が重みのあるものだったからというのもあるんですが、その後もこれほどゆったりした曲は作られていないのが、ぼくは不思議に思いました。そして、それはたまたま偶然なんだろうぐらいにしか思っていなかったのですが、曲の出だしの音の使い方が廉太郎さんの「荒城の月」によく似ていると思っていました。

  • 田村虎蔵 1873年(明治6年)5月24日生まれ、昭和18年11月7日没
  • 瀧廉太郎 1879年(明治12年)8月24日生まれ、明治36年6月29日没

虎蔵さんと廉太郎さんは、6歳違いです。それぞれが別々の地で紆余曲折を経て音楽に出会っていました。その二人に接点が生まれた場所が東京音楽学校(今の東京芸大)です。

カテゴリー: エッセイ タグ: 滝廉太郎, 田村虎蔵, 青葉の笛 コメントする

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