無意識が一番デカい。

人間の脳みそで考えることは、パソコンで言えば「高速データ処理」です。それは、CPU(情報処理)にハードディスク(記憶)がくっついたようなもの。もちろん近年では「ハードディスク」の代わりとして、SSDなどの大容量メモリが徐々に使われるようになりました(蛇足です)。

とにかく、ニューロンの働きを通じて、過去のデータ(記憶)とアルゴリズム(考え方のようなもの)を組み合わせて常にコマンド(指令)を出しているのが、脳みその役割です。

人類は、長い年月を経て、立って歩き、道具を使うようになりました。だから、他の動物よりも、スーパーコンピューター並の脳の発達が必要でした。細やかで複雑な動作が必要だったからです。

高機能であること

現代の人々は、より高性能なモノ、例えばクルマとか、そういうものを求めます。機能が高度に発達することで、進歩、未来性を感じるんですね。それは、わかります。わくわくすることは、いいことです。

ずっと、そんなことを考えているとね。ぼく自身も含めて、自分自身の感覚が感じていること、それを元に自分が生かされていることを忘れていますね。

無意識でやっているのは、呼吸だけじゃない

呼吸だけじゃない。実は、ほとんどのこと、というか、100%無意識でやっていて、それを脳みそが助けているだけ。

前回のブログ、自分を整えるでも書きたかったのは、そういうことだと思います。自分を整えて、自然に生まれるのが自分自身を取り巻くすべての世界であって、自分自身の感覚を忘れて、無視して、脳みそだけで行動してしまうと、自分自身と他の世界との膜の間でもがいているということになる。

もちろん、それも自分自身の経験なので、もがき苦しむことも、自分の選択になっているわけです。それを、苦しみ、痛みがあると、なかなか自分で認められないだけ。

「ああ、なんだ。そういうことだったのか。」って、腑に落ちたら、もうただ、この世に現れたこの肉体を通じて、自分を整えていくしかない、ということになります。

整え方のひとつが、宗教ということなんでしょうね。

自分を整える

ぼくは以前、「こうじゃないか。」「もしかしたら、そうかも。」というような考えにとらわれてしまい、その思考が頭からなかなか抜けなくて、「こうなったのは、ぼくがこうしたから。」などと考え始める癖があった。

想像は、いつの間にか想像じゃなくなり、「もしかしたら」と思っていたことが実際に起こっていた事実だと思い込んでしまい、いつまでも思い込みだと気づけなかった。

そんな時にぼくがとる行動は、不安を打ち消すための行動でしかなく、それを「対処」「努力」だと信じていたと思う。

「こんなに頑張っているのにうまくいかない。」という状況が続くばかりで、不安がますます心を占めてゆく。

霊が見えるという体験(田後90~水平線の向こうに~)

夏ごろ、上記のブログにも書いたけど、ある日信頼しているスピリチュアルカウンセラーの方に「ハートチャクラに穴があいていますよ。」と言われたことがあった。

その時はめちゃめちゃショックだったけど、後日ああ、そういうことかと、腑に落ちた。

要はその抜け殻のような自分の心が、抜け殻のような現実を作っていたということだった。

ぼく自身、5年先、10年先の自分の姿を想像して、今があるというより、人に助けられて、自然とつながって「こうなった。」という必然的な結果としての自分の姿なんだと思う。

それに気がついたら、感謝しかなくなる。

目標を持って努力することも時には必要だけれど、人から見てそれが努力かどうかは別だ。

まずは自分を整えることなんだって思った。事実ではないこと、思考にとらわれていると気がついたら、まずその思考を手放すこと。

シジルの情報をシジルで書いてみよう

以前も使っていたEpub(イーパブ)電子書籍編集アプリSigil(シジル)について、使い勝手が改善された新しいバージョン1.3.0が公開されているので、使ってみようと思う。

Sigilをダウンロードする

Sigil – Ebookのダウンロードページ

ぼくの環境は、Windows10 64ビットなので、対応したバージョンのセットアップファイルをダウンロードします。

3つめのSigil-1.3.0-Windows_x64_Setup.exeのところをクリックしてダウンロードします。

文書を公開する方法は、今では、Epubに限らずたくさんあって、「そのままを印刷できる文書」としては、PDFという形態が一般的です。

ただ、PDFだと、拡大しようとすると、文章が途中で画面の端からはみ出てしまうので、スクロールしながらじゃないと読めないという問題が起きます。

Webサービスのnoteとか、GoogleドキュメントやDropbox Paperなども、公開すれば、読んでもらえる文書を作ることはできます。

Epubバージョン3

Epubのバージョンは、英文だけなら、バージョン2でいいのですが、いずれ、日本語に対応した縦書き、ルビなどの機能を使う予定なので、あらかじめバージョン3を選んでおきます。

Sigilの設定ダイアログ

霧島と綾鷹

夜寝る前に、ふとコンビニで買ったペットボトルのお茶が残っていたので、グラスに少し焼酎の黒霧島を入れて、残っていたペットボトルのお茶をドバドバドバっとグラスに注いだら、ちょうど8分目くらいでいい感じでした。

味は、微妙(笑)かも。でも、飲めなくもない。

夜七時過ぎくらいに、家の近くの駐車場でクルマを停めて降りると、ドンと音が鳴って、西の空に花火らしい灯りが見えました。花火そのものが見えたわけではないので、少し距離があったのだろうか。感覚としては、鳥取砂丘辺りなのかなぁ。

検索したけど花火の情報は見つかりませんでした。

お金もそうだけど、いろいろなモノを便利だから持つ。そして必要な社会にいるから貯めようとする。より多く持とうとする。

そろそろそこから抜けたほうが居心地が良さそうだなって思う。なんとなくだね。

ちょっと酔ったな。さて、寝よう。

ドメインを整理します

先日新しいドメイン「エフセブン ドットコム」を作成しました。

エフセブン ドットコム始動(当ブログ記事)

「パソコンだけじゃない。」という状態がずっと続いてきましたので、これまでの「パソコン教室のエフセブン.com」は、廃止しようと思います。

また、これまで更新されていなかった「tajiri90.tottori.jp」も合わせて廃止していこうと思います。

tajiri90.tottori.jpが2021年1月末に期限が切れるのに合わせて、同じタイミングでパソコン教室のエフセブン.comも廃止する予定です。

新しいオカリナを購入

いつも使っているヨシツカのソプラノCは、ソロではいいが、アンサンブルだと強烈に響きすぎるので、それよりも音色や音量がマイルドな楽器をさがして、クーロンと蜩の2本に決めて、購入した。

あと、オカリナ七重奏で使うためのバスG管を新たに購入した。バスC管よりもさらに低音の楽器だ。これは、定番のさくら工房に決めた。

詳細はまた後日、個人サイトの田後90~水平線の向こうに~の方に書こうと思う。

朔の月

月をよく見ます。借りている駐車場が家から離れた丘の上にあるので、夜クルマを置いて、空を見上げたら、出ていれば月は目につきます。

晴れていれば、満天の星空。曇っていても、月は雲間に見え隠れする。わずかな隙から月明かりが見えたら、つい、何かぼそって言っているような気がします。

単純に「こんばんは。」かも知れないし、「きれいだ。」って言っているかも知れない。「ありがとう。」と言うときもある。そう言ったことが、たしかにあったと思う。その時に浮かんだ言葉が自然にポロっと口に出る。

昨日と今日は、月を見なかった。見えなかった。

調べたら、昨日が新月でした。そして、朔の月。

三日月は昼間見えることがあります。それも、なんだか、うれしい。

始まりの月。

月が見えるってしあわせだなぁ。

順調満帆

実際に自分でも現在の状況は順調満帆だと思っています。ただ、人から見た感じ方と、自分の感じ方とは、当然ですが、相当なギャップがあるだろうなと思う。

健康そうに見える

健康は健康ですが、年齢相応の不安定さ、体力の衰えは常に抱えています。痛いところもあるし、しんどいときもある。体力は、持続させるのも相当な努力が必要です。

二十代の頃は、ヘビースモーカーでしたし、徹夜、痛飲など、不摂生もあり、かなりやばかったですね。今でも抱えている腰痛は、この頃の無理がたたっています。

疲れたら、昼間でも仮眠をとるようにしているし、疲れてくたくたになったり、風邪をひきそうになっても無理せず、すぐに休むようにしているので、人と会うときはだいたい元気です。

お金持っていそう

困ってはいませんが、あちこちに借金はありますね。額は気にしていないので、正確にはわかりません。クルマのローンも毎月3万円以上払っていますし。借金も財産に違いないので、お金(財産)持ちなんでしょうか。家も、築およそ100年とは言え、相続した持ち家ですし。

お金を払うのって気持ちいいので、払いが滞るということはないですね。それは若い頃から。アパートの家賃もずっと何年もきっちり期限までに払っていて、大家さんに珍しがられました。

ポイントとか、割引とか、あまり気にしない。知らない間に何千円分もポイントが溜まっていて、気がついたときにそれで消耗品を買ったりもしますが、気がつかないと、ポイントがなくなっちゃってたりしますね。期限があるらしくて。

ただ、間違いなく言えるのは、高級車を趣味で買えるようなお金持ちでは、ないです。そう願ったら、なれるんでしょうけど、願っていなんでしょうね。

眼鏡等

うっかりすると、メガネもコンタクトレンズもつけないまま外に出ようとして「おっと・・・。」と、あわてることがある。

視界良好20センチ(Bloogerのブログ)

何か被写体があって、それだけはっきり映っていて、背景がぜんぶぼやけている写真をよく目にすることがある。視力が0.1もない、ふだんのぼくの生活は、ずっと、あんなふうにまわりの景色が見える。

家の中ではまったく支障が無い。パソコンの画面の文字くらいは見えるから、今も裸眼だ。特に困ることもなく、すたすた歩けるし、身の周りの片付けなどもいつも通りにやっている。

外に出ると、そうはいかないのが不便だ。クルマの運転となると、まったく無理だし、免許証に「眼鏡等」って書いてあるから、違反になる。

ふだん見えない分、見えることが楽しいし、うれしい。見える感動を体験できるのは、ふだんが見えないからだとも言えそうだ。

メガネからコンタクトレンズに変えて、最初に行った美術館がめっちゃ良かった。メガネでは見えなかったものが見えた。見え方って、ひとりひとり、状況によって、それぞれ違うんだなということを知った。