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思考を外すと、歌が歌える

 ぼくは、ボーカルのレッスンもやっています。声楽のレッスンのような体の使い方等技術的なことは、ぼく自身わかりませんし、ヨーロッパのオペラのレッスンを求められたら別の先生を紹介すると思います。

 ぼくがやっているのは、捉え方とアプローチの方法です。もちろん、楽典の基本的なところ、ソルフェージュ、聴音などをやることもあります。呼吸法、発声法をやることもあります。

もう少しで自転車に乗れる

 今、レッスンを受けている方も、ひと通りの基本をやりました。すでに歌はじゅうぶんに歌えるし、知識も豊富です。

 音階や跳躍音程も、ひとつひとつやればしっかり感覚として捉えられています。数年前は、音階の中での半音と全音が曖昧だったことを思えば、格段の成果です。

 ところが、曲になると、とたんにメロディが千鳥足のようになります。

 まるで、初めて自転車に乗ろうとして、漕ぎ出した途端にふらついてコケてしまうみたいに。

 本人いわく「すぐに考えてしまう。」ということでした。「声が出ているだろうか。」「今のであっているだろうか。」「高い?低い?」「リズムは?」・・・まさにハンドルのことを考えながらハンドルを握り、ペダルのことを考えながらペダルを漕ぐ、ペダルに意識が行った途端、ハンドルがふらついて、足が止まってしまう、そういう状態です。

 歌も自転車も全体としてバランスが必要で、体で覚えるという点でも同じです。

思考のはたらき

 人間の思考というのは、感覚で捉えられる細やかを持っていません。思考が先に働く人ほど、感覚で感じていることの多くが切り捨てられます。

 これは決して優劣ではありません。あえて優劣を言えば、思考が先に働く人は、とても器用だし、一度に多くのことをこなす能力が高い人です。

 多少「ずぼら」でいいのだと思うことです。生まれたばかりの赤ちゃんは、感覚がすべてです。お腹が空けば、そこに母親がいようがいまいが、泣き叫びます。眠くなっても、泣き叫びます。

麻痺した教育

 本来感覚は、最初にあるものです。そして、感覚と行動とは直接結びついています。思考は、感覚と行動を助けるためにあります。ところが、思考は知識とともに、ときに感覚と行動を抑制してしまいます。

 思考の抑制が行き過ぎると、制御になります。制御が行き過ぎると、感覚と行動が麻痺します。感じない、行動できない、それが思い込みとなります。

 現代の(戦後の)日本の教育は、感覚と行動が麻痺した状態から、思考をより働かせて、制御(コントロール)を強化しようとすることが当然のように行われています。これが高度成長を成し遂げた原動力であり、戦中戦後を生き抜いた人々の信念に刻まれています。

 話が脱線したかも知れませんね。さあ、感覚を解き放ちましょう。セオリーは要りません。自由に歌を歌いましょう。

思考を取り外すと楽になる

 感覚と思考は、脳の別々の働きです。単純に右脳、左脳と切り分けられるものでもありません。

 アクセス・バーズは、ぼく自身の経験として、こうした感覚と思考のオーバーラップを解消して整理してくれます。ぼく自身が努力信仰とでもいうような思考に苦しんだ経験を持っていて、進んで自己啓発の本を読んで徐々に解放されたところに、アクセス・バーズと出会い、一気に本当に楽になった経験があります。

 アクセス・バーズ、思考を外したい方におすすめします。ご予約はこちらから