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アルトリコーダー

 アウロスのアルトリコーダー(プラ管)を買ってきました。なんか、いい音がします。アルトが基本らしいので、練習用として購入しました。

 プラ管としては、最高級の「シンフォニー」です。アーチ型のウインドウェイになっています。

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アウロス アルトリコーダー 509B(E) シンフォニー バロック式 AULOS

価格:2558円
(2023/10/3 22:55時点)
感想(3件)

 さて、どうやら、これからリコーダーにシフトしていきそうな予感があります。サックス、ハーモニカ、ケーナ、パンフルートは、やりましたけど、つながっていません。リコーダーはけっこうきてますね。オカリナのときと同じような感覚があります。

 楽しいです。だんだん良くなる!未来は明るい!!

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やらなきゃいけないこと(そう思っていること)とやりたいことがあって、でも深夜眠い人。

寝ましょう(笑)

 今のぼくが、そうです。2023年10月1日になりました。

 頼まれていることもあるし、いろいろやりたいこともある。

 でも、夜、深夜。眠いとき。

 そういうときは、まず寝ましょう。きっと、起きてて頑張れた記憶がいつまでもあると思います。起きてて頑張ってて、良かったという記憶です。

 でも、その記憶、いつですか?

 ぼくの場合は、30代がギリギリです。

 40代、50代でもがんばれたよ。という方もあるでしょう。

 麻雀ならずっと起きていたなんて栄光のある方とか。

 年齢のことを言ったのは、体力があれば、頑張ったほうがいいということを言いたいわけではないんです。

 若いほうが頑張れるというのは、事実です。それは、単にそれだけのことで、若くても、「やりたいことを優先する。」ことが大切です。

 眠いときは、眠る。

 寝ましょう。おやすみなさい。

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時間を作ったり、探したりしなくていい。

 ここのところ、ぼくは、毎日好きなことをやって、楽しく過ごしています。

 もし、好きなことをやっていなかったとしたら「まだやっていないこと」のリストとにらめっこをして、どこにそのスケジュールを組もうとするのか、四苦八苦していることでしょう。

 好きなことをやっていると超高速で時間が過ぎていきます。それでも、人が後悔するのは、その過ぎた時間ではなく、「好きなことができていない。」ということに尽きます。

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彼岸花が咲きませんね

少々暑くても、寒くても、この時期になると、赤い花をつける彼岸花が、今年はほとんど見られません。これも何かしら大きな異変と言えなくもないかなと思います。

毎日のように「線状降水帯」というワードがニュースや天気予報で読み上げられて、道路が水で溢れている映像が流れます。

この世界の中で、確実に何かが変わったんだと思います。

これは、つまり、もっと何かが変わる可能性が今もこれからもあるということです。

変わらないことを前提に何かをするのではなく、今、起きていることを受け止めて、感じるままに生きていくことだと思います。

プレゼン、YouTubeに生かしましょう。今、そこに視点がひとつ向いています。こうやって、ブログも繋がっていきます。

9月の終わりに

気高(けたか)の方にレッスンに行きました。気高では、たくさん彼岸花が咲いています。向こうに見える山は鷲峰山(じゅうぼうやま)です。(9月21日追記)

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今年は、とても暑い夏でした。9月末でもところにより、30度を超える日があるようです。でも、そう言いつつも、冬がやってきます。こたつ、エアコンもいいですが、風やにおいがなく、じんわり温かくなるオイルヒーター&ヘリテイジヒーターがオススメです。

ユーレックスは、長野県茅野市に本社を置く、日本で唯一の国産オイルヒーター製造メーカーです。デザイン性も高く、火を使わない安心さがあります。

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スピリチュアル・信じる?信じない?

スピリチュアルについて、興味はあるんだけど、まわりに話せる人がいない。なんか変な人って思われそうで言えない。とか、あると思います。

ぼく自身、小さい頃からずっと霊体験をたくさんしてきながら、自分自身で「意味がわからない。」と長いあいだ否定してきました。家族にも友だちにも話すことは、あまりありませんでした。

でも、自分自身が感じていることというのは、もともと目に見えないことで、それって、まさにスピリチュアルな体験なわけです。

不思議なこと、奇妙に思えること、信じられないことだけがスピリチュアルな体験なのではなく、スピリチュアルというのは、誰もがふだん感じていることそのものです。

その自分自身の体験を否定することが、自分そのものを否定していたということに、ぼく自身が気づいたのが、5年前、2018年の10月のことでした。

水晶やヒーリングのお店を初めて訪れました。前日にネットを見ていて、気になる石を見つけて、その石を見に行くためでした。

お店に入ってすぐに、ショップの方が「はい。これ。」と言って、ぼくの手のひらにその石を乗せてくれました。そのあと「実は、この石、ネットで見て、気になっていました。」「はい。お待ちしていました。」という会話がありました。

こうして書いてみると、にわかに信じられないようなことです。びっくりもしたけれど、すぐに「この石はぼくにとって必要だ。」という強い思いが湧き上がり、購入して、今もそばにあります。

その店では、チャクラのリーディングとカウンセリングも受けました。

どこがどうだったのかは、詳しいことは忘れてしまいましたが、やはり「自分を否定している」ということが強く感じられたそうです。

(つづく)

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これから始めます

思ってても、ことばにしないと、本当に始められない氣がするので、ここにことばにします。

郷土史研究家になります

先日岩美町出身の音楽家田村虎蔵先生の講演を行いました。深掘りして調べて、自分なりの考えを発表したところ、ある郷土史研究家の方から「あなたも立派な郷土史研究家だよ。」との言葉をいただきました。ああ、そうか。自分で名乗ればいいんだと納得しました。確かにもっと知りたいし、今後のため、人のためになることです。伝えたいこともあります。

今回調べていく中で、田村虎蔵さんを中心に、村岡範為馳氏、永井幸次氏、石原和三郎氏、納所弁次郎氏、岡野貞一氏、滝廉太郎氏、東くめ氏など、有名な人物だけでも豪華キャスト陣が揃った印象でした。ふと、1冊の本ができそうだと思ったので、たぶん実現すると思います。

リコーダー演奏家になります

クラリネットに始まり、ギター、オカリナと演奏してきました。なぜか、今、リコーダーが来てるって感じています。情報として見るものに縁を感じます。シンクロしています。

まず、10月1日にグループでのプロの講習を受けようと思います。

Udemyで講師となります

まずは、オカリナについて、伝えたいことをまとめて、発表しようと思います。これからは、ここから収入も得られると思っています。

リラクゼーション、スピリチュアルをやります

今やっているのは、アクセスバーズです。もともとスピリチュアルは、特別なことをやっていたわけではなく、今までの人生がスピリチュアルそのものでした。

小さい頃は、霊が見えたし、虫や動物たちと交流がありました。人間が感じる音や光だけではない、違う音や光、感性があることを実感して生きてきました。

そこを隠すことなく、伝えていきたい。もともと「生きることに意味を探さなくていい。」生きていることそのものが意味だということを実感できるなら、社会そのものの在り方が根本から変わるという信念を持って、リラクゼーション、スピリチュアルに取り組んでいきます。

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スピリチュアル ブログ

新しい時代

うまくいかないことがあるとき、落ち込んだり、できていない、自分に価値がないんじゃないかと思ったりすることがあります。

ぼくもたびたびそう思うことがありました。

そういうときは、心を空っぽにしましょう。

今朝ぼくは、自分が空き地の草っ原の一本の雑草だというイメージを頭に描いてみました。

実際に俯瞰して見れば、人間も一人ひとりがただ生きている小さな存在でしかありません。

どんなにお金持ちでも、有名でも、地位が高いとみられる人でも、それは社会的な価値でしかありません。

一人ひとりの価値は、生きていることそのものであり、感じていることがすべて価値のあるものであるはずです。

深く息を吸い込み、酸素がじんわりと染み込む。太陽は輝き、雲が流れて一瞬たりとも同じ形に止まることがありません。風が吹き、肌を撫でて通ります。心地よかったり、寒かったり、暑かったりします。

すべてただ生きているだけで感じることであり、今ここにある世界は、その感性から作り出されたものです。

ぼくは小さな漁村で生まれました。幼い頃、海岸にある岩のてっぺんによじ登り、周囲を眺めたとき、今ここにある、自分が見ている世界は、目を閉じると消えて、目を開くと閉じる前と同じように見えました。

ふと、ずっと変わらないように見えるこの世界は、見ている人がいなければ存在しないんだと強く感じたとき、なんだか怖くなりました。世界とぼくは一対の存在で、ぼくはぼくだけの世界を見ているんだと思いました。

実際に、この世界は自分が感じられるようにしか作られていませんでした。虫のようにミクロの世界は見えないし、鳥のように遠くの山のカタチは見えません。

学校では、集団という社会の中での価値を教えられます。まるで価値ということばが社会のためにあるかのようでした。ただ感じたこと、ただ言ったこと、ただやったことは、何も評価されませんでした。

今は、もうその社会の価値から離れてもいいんじゃないかと思います。何もなくていいし、何もしなくても構いません。

ただ一人ひとりが感じることから生まれる何かを大切にしていけたら、新しい時代が始まるような気がします。

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スピリチュアル ブログ

感じるを見る

いつも通り慣れている緑あふれる坂道を、コンタクトレンズもメガネもつけないで歩いてみた。世界が360度広がる感覚が心地いい。そのうち、細かいディテールが見えないことは、まったく気にならなくなる。

そして、ふだんいかに「識別して判断する」ということに神経を使っていたのかが、よくわかる。

こうして文字が見えれば、文字を読む。内容を理解する。それはそれでごく自然なことなんだけど、何気なく風景を見ていても、その脳の働きのまま風景を見ていたということなんだろう。

識別して、判断するということを絶えず続けていると、気が付かないうちに他の感覚は薄れていく。その薄れた感覚のまま日常を過ごして、流されていく。

現代は情報にあふれている。行ったことがない、たぶんこれからも行くこともないような、遠い田舎の出来事でも身近なことのようにテレビから流れてくる。ふと、何かを感じた時に、メガネを外すように、そういった外側のあふれて流れる情報から、少し距離を置くことも必要なんじゃないだろうか。

いつも聞き逃している風の音や小鳥のさえずりを、感じるままに聞いたとき、自分が描いていた世界が変わるんだと思う。そして、そういった繊細な感性を、私たちは生まれながらにして持っていることを忘れないでおこう。

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see feel

As usual, I walked along the familiar green slope without wearing contact lenses or glasses. It feels great to feel like the world expands 360 degrees. Eventually, not being able to see fine details will no longer bother you at all.

And it’s clear to see how nervous he was about “identifying and making decisions.”

If you can see the letters in this way, read them. Understand the content. That’s completely natural, but even when you’re casually looking at a landscape, it probably means that you’re looking at it with the same way your brain is working.

If you constantly identify and judge, your other senses will fade without you noticing. I go about my daily life with that faded feeling and get swept away.

Today’s world is full of information. Events in faraway countryside, places I’ve never been to, and probably never will, are broadcast on TV as if they were familiar to me. Just like taking off your glasses when you suddenly feel something, isn’t it necessary to distance yourself a little from the overflowing information from the outside?

When I listen to the sounds of the wind and the chirping of birds, which I always miss, as I feel them, I think that the world I imagined changes. And let’s not forget that we are born with such delicate sensibilities.

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PC ブログ

ブログの続け方

 ぼく自身のこれまでがそうだったんですが「ブログを書かなきゃ。」って、義務に感じた途端にパタって書けなくなっちゃうんですよね。

 今もそうですけど、思ったときに思ったことを書くから、書けるんです。

 それで、長さがーとか、写真がーとか、広告がーとか、考えないでいいんです。

 その辺は、あとでいくらでも修正できますし。

 ということで、おやすみなさい。

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虎蔵さんのこと

 ぼくは、二十代の終わりに東京から鳥取に帰ってきて、10年ほど経った頃、音色の美しさに惹かれて、オカリナを吹き始めました。

 時折訪れる公民館の高いところに、掲げられていた、いくつかの肖像の中に虎蔵さんの肖像もありました。

 虎蔵さんのことは、「金太郎」「だいこくさま」「花咲か爺」「一寸法師」などの作曲をし、言文一致唱歌を提唱した先生だというのは、岩美町民はよく知っています。

* * *

 新型コロナ騒動の渦中に満60歳を迎え、シニアバンクに登録するとまもなく、虎蔵さんのことを皆さんの前で話してください。という依頼がありました。何度か延期となり、この度ようやく実現することになりました。新たな機会をいただいたことに感謝しています。

 僭越ながら、末っ子で生まれて、18か19くらいで上京したこと、明治・大正・昭和という時代の変化を経験したことなど、音楽家としても共通点があり、親しみがありました。(ぼくは、昭和・平成・令和を経験した世代と後々言われます。)

 虎蔵さんが納所弁次郎さんらと言文一致唱歌を提唱した頃、滝廉太郎さんが幼稚園唱歌の中で、今でも歌われている「お正月」「鳩ぽっぽ」などを作曲されています。その数年後に滝廉太郎さんは亡くなってしまわれます。

 ちょうどその頃、虎蔵さんは、それまでとまったく曲調の異なる「青葉の笛」を作曲されていて、出だしの音が「荒城の月」に似ているのは、もしかしたら若くして亡くなった滝廉太郎さんを偲んで作られたのではと思ったりもしましたが、そういう記録は見つかりませんでした。

 音楽に限らず、芸術は、今でも格調高く、歴史があり、権威があるものにこそ価値があるとされる傾向があります。そのため、敷居が高く、敬遠されている面があります。

 虎蔵さんは、音楽はもっと身近なものであってほしい、子どもたちこそ音楽の楽しさを伝えたいと願いました。それは、音楽が心を豊かにする人類共通の言語だからです。その願いを、ぼくも引き継いでいきたいと思っています。

(広告)緑の花がある暮らし。