カテゴリー
スピリチュアル ブログ

毎日誰もが生まれ変わっている

 楽しいか、どうかですね。

 毎日というか、この瞬間にもぼくのカラダの中で新しい細胞が生まれているわけです。それは過去を知らない細胞です。良くも悪くもその細胞は、記憶を持っていません。

 その細胞をゼロから育てるのは、自分自身です。

 ぼくは、そう考えると、ワクワクします。

 カラダを持って生きています。この体験をどうせなら楽しみたいと思います。また明日のためにこのカラダを休めます。

 おやすみなさい。

カテゴリー
オカリナ ブログ 音楽

野口雨情が現代に生きていたら、SNSを賑わしていただろう

 ぼくから見ると、野口雨情という人は、破天荒な人生を歩んでいたように見える。

 Wikipediaに掲載されている、有名なこの写真がいつ頃のものかわからないけれど、詰め襟を着ているところを見ると、今の早稲田大学、当時の東京専門学校に入学した20歳前くらいだと思う。

 黒目がちの瞳に、太い眉、色白の肌に学者っぽい鼻ひげ。

 当時の明治時代の軍人や政治家の肖像画を見ると、立派な長いあごひげが見られるのに対して、文化人は短く切りそろえられた鼻ひげが特徴で、いかにも好青年と感じられる。

 きっとモテただろうなぁというのが、ぼくの印象です。

 ほとんどの代表作は1919(大正8)年から数年の間に『金の船』ほかで掲載されたものがほとんどです。今で言えば「バズった。」時期です。

 それ以外は、事業をやっては失敗したり、結婚や離婚をくり返したりしたのち、昭和18年に脳出血で倒れて、そのまま2年後に62歳で亡くなります。

 当時もしSNSがあったら、いろいろ話題にのぼったことが想像できます。ファンも多かったと思いますが、その分、批判もされただろうと思います。

 野口雨情に限らず、当時もしSNSがあったら、違う展開になっていただろうという人物はたくさんいたんじゃないのかなって思います。

 東條英機がもしツイッターをしていたら、田中角栄がユーチューバーだったら・・・。そんなことを考えると、逆に現代はいったいどんな時代なんだろうかって思ってしまいますね。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ

ぼくはもしかしたら本の虫を卒業していたのかも知れない。

 いや、実際とっくの昔に。

 子どもの頃は、割と本の虫でした。というか「活字を見ると全部読まないと気がすまない。」興味のある新聞記事とかあると、全部一言一句書き写していた少年でした。その頃というと昭和40年代です。手書きで、です。人に見られたくない文章は、ぜんぶ鏡文字でした。鏡に映さないと読めない文字をすらすらと「横書き」で書いていました。で、鏡に映すと「縦書き」だとか、ほぼほぼ変態です(笑)。

 保育園に行く前に新聞の記事のどこかにあった「全裸」という文字が読めなくて、親に聞いたことがあったそうです。

 二十代のときには、夏目漱石や太宰治などの古い文学に夢中でした。何を思ったか「徳川家康」全26巻を文庫本で買って読んだのも二十代でした。

 2000年頃、まだぼくの本棚はあふれていたと思います。ところが、ここ10年は本棚の本は増えていません。それどころか減っています。

 ぼくは、電子書籍を読み始めたからだと思っていました。

 でも、最近、koboにしても、kindleにしても、気がついたら充電が切れていたということがありました。

 それでも、koboやkindleではなくて、パソコンやタブレットのアプリで読んでいるからだと思っていましたが、いや、本そのものを読んでいないようだと気づいたのは、実は今日でした。

 ネットのニュースやブログはたくさん読みます。というか、既に「読書」というと、「ニュースやブログを読むこと」と同じになっていたんですね。紙の本はとっくに読まなくなっていたので、自分で気がついていませんでした。koboやkindle、電子書籍も、たまに読みたい本があるときしか読んでいないんです。

 そして、既に自分自身がこうして本を書く以上にネットで発信していることに気がついたんです。

 5年ほど前は、自分自身を常に「足りない」と責めていました。とても苦しく、どうしていいかわからなくて、最初に読んだのは池田晶子さんの哲学書でした。

 そして、その後は「宗教的」とか「スピリチュアル」とか、言われていた本をたくさん読んでいました。今では「カルト(宗教)」と騒がれるように人にも出会い、本を紹介されて読んだりもしました。もちろんぼくが出会った人の中には、悪い人、人を騙そうとする人はいませんでした。そもそもキリスト教だって、仏教だって、実は今でも関係ない人にとっては「カルト」そのものなんです。大切なのは、一人ひとりがどう感じて、何を信じて生きるかなんです。宗教よりも大事なのはそこなんです。そこをすっ飛ばして宗教を批判することは意味がありません。

 もっと書きたいことがありますが、今日は寝ます。おやすみなさい。

カテゴリー
オカリナ ギター クラリネット ブログ 音楽

年内にどこかでライブをやりませんか。

テケト(teket)に登録

 「アーティストの応援もできる電子チケットサービス」teket(テケト)に登録をしました。

 登録したのは団体名ではなく、個人名で、このサイトのメールアドレスです。実際にイベントをする際には団体の名前とメールアドレス(メーリングリスト)で登録をしようと思います。

teketのホーム画面

開催時期

 開催時期については、冒頭に「年内に」と書きましたが、参加される方のご都合が重要です。年末年始は何かとお忙しいかと思いますので、その時期を外すと、2022年内は難しいかも知れません。

 時期にこだわりはありません。今は、「もし年内に何かできたら楽しいだろうな。」ぐらいの感覚です。

開催場所(候補)

 ぼくが代表をしている岩美オカリーナ・クラブで開催するとすれば、場所は岩美町中央公民館いわみんホールになると思います。

 また、鳥取県東部地域のオカリーナ教室の皆さんが共同して何かやりたいということであれば、いわみんホールの他に鳥取市のわらべ館イベントホール、鳥取県立生涯学習センター県民ふれあい会館ホール、とりぎん文化会館なども開催場所として候補に挙げられると思います。

 いわみんホールは、340席と適度な大きさで音響も設備も良く、岩美オカリーナ・クラブが主催ということになれば、代表者であるぼくが岩美町在住なので、費用負担がほとんど(たぶんゼロ)ありません。

費用について

 最初に紹介したteketは、ネットで集客PRやチケット販売もでき、無料で開催するイベントについては、利用料もかかりません。もちろん、無料にこだわっているわけではありません。チケットを有料で販売してとしても、これまでよりも費用は抑えられると思います。

 それに開催するなら、できれば同時に(あるいは録画で)YouTube配信をしたいと思います。

 テケト(teket)について、わかりやすい動画が見つかりました。

teketで演奏家が自分でコンサートをつくる時代に|ヴァイオリニスト 石上真由子

引き続き更新します

 このページは、随時更新していこうと思いますので、下記にQRコードを置いておきます。ブックマークあるいは、QRコードを保存してまた見ていただければ幸いです。

今見ているページのQRコードです
カテゴリー
ブログ

まだまだ暑いけれども

今朝の鳥取砂丘遠景

 夏の間、あれほど咲き誇っていたサルスベリも、ほんの少し花を残すだけになりました。日中は相変わらず汗ばむ30度を超えて30度半ば近くにもなるほどの陽気ですが、朝夕は、湿度は高いものの、まあまあ冷房がなくても過ごせるくらいにはなってきました。

 日中の芝生の上というと、この間までは地表からの放射熱で暑かっただろうと思いますが、今日は裸足で歩けました。

裾をまくりあげて芝生の上を歩く
入り口の梨の形のドームを見ながらスケッチをする、無心になる楽しい時間

 見出しのスケッチは、鳥取市の出会いの森でのスケッチで、芝生の上にあぐらをかいて座って描いたものです。

 土の心地よさ、日差しの心地よさ、芝生の心地よさ・・・。なんとも言えない幸せな気分でした。

 空の高さや広さ、雲の流れなど、色合いも含めて、秋を感じます。もうかなり変わってきました。毎日が奇跡です。いつも“出会い”に感謝しています。ありがとうございます。

これは昨日の動画です。曲は『Stand Alone』「坂の上の雲」の主題曲です。
カテゴリー
オカリナ 音楽

音楽で心の煙突掃除

 メリー・ポピンズの『チム・チム・チェリー』を録音して、YouTubeで配信しました。

 オカリナ三重奏です。SF、AC、AFの3つの音域の違うオカリナを別々に録音して重ねています。

 テンポが変わるところでは、別々の録音で合わせるために、まず声と手拍子を録音しておきます。そのベースとなる録音に合わせて、それぞれのパートを録音します。そのため、メトロノームやシーケンサーでは、できない微妙にテンポが揺れる表現が可能になります。

 この曲を録音してみて、ぼくがやりたかったことが見えてきたような気がします。ぼくのオカリナを聴いて、ホッとしてほしい。ホッとしてもらうために録音しているんだと思いました。

 最初は、とにかく速いテンポで録音しました。何度か練習してみて、速い動きもできてはいましたが、録音を聞いてみて、逆につまらなかったので、もっとメロディが歌えるテンポにしてみようと、最初よりも80%くらいのテンポで演奏して録音しました。

 合わせる風景もストックを使わず、なるべくその日の鳥取の風景をあわせます。曇りの日は曇りのままで。今日は雨でした。砂丘から見える水平線はかすんで溶けたようにぼやけています。

 録音を重ねるごとに伝えたい演奏ができています。その実感があります。オカリナの演奏は、年内に200曲を目標に焦らず少しずつ重ねていこうと思います。

 ぜひ、チャンネル登録、好評価をお願いします。

カテゴリー
ギター 音楽

初サバは美味かった!!

 サバレスのギター弦で、3弦だけアリアンスを使ったセットがあって、試してみました。

 ぼく自身はクラシック・ギターの演奏家ではないので、クラシックでの評価は出来ないんですが、これは「あり」だなと思いました。

 ギターは、マーティンのエレガット、000C Nylonです。

 クラシックギターの場合、低音は巻弦で、高音は、ガット(ナイロン)弦です。そのため、3弦ってどっちつかずになっていて、「鳴らない弦」という印象を持つことが多いんですが(ぼくの主観です)、このセットの3弦のみアリアンス弦は、とてもクリアに鳴ってくれます。ナイロン弦とのつながりも良くて、弾きやすい。

 カンティガの低音弦も芯があっていい感じです。もこもことぼやけない感じ。ダダリオにも似たようなセット弦があったような気がします。しばらくはサバ食を進めようと思います。

 録音が出来たら、ここにアップしようと思います。

カテゴリー
未分類

いきなり変わるわけじゃない

赤ちゃんがいきなり大人にはならないように、小さな変化をちゃんと受け取ることが成長です。

ぼく自身、日々たくさんの出来事を経験しています。

ひとつひとつは小さな変化かも知れないけど、それまで見えなかったものが見えたり、感じなかったことを感じるというのは、とても意味のあるものです。

ぼくもそうですが、人は、記憶にあるものを、目の前の出来事に照らし合わせるくせがあります。

「あのときはそうだった。」

そのあとで「だから・・・。」と続く。

でももう、「だから」はないと思う。

どんな意味があるんだろうと考え、ただそのまま受け止めたい。

ただ受け止めたとき、記憶にないものにも意識が向けられるようになっていることに気づくことがあります。

ぼくは今、毎日、奇跡を感じています。

今日は、岡野貞一作曲の「故郷」を録音して、YouTubeにアップロードしました。

カテゴリー
スピリチュアル ブログ

時間

時間の密度

時間には、あきらかに密度の違いが存在します。

速く感じられる時間は、実際に速く過ぎ、遅く感じられる時間は、実際に遅く過ぎています。そんなことはないと否定される方も多いと思いますが、数値の上でも時間の速度には違いがあることが証明されています。地上に於ける高度の違い、位置の違いによって時間に伸び縮みがあるのです。

もちろん、感覚的な問題を位置の問題にすり替えるつもりはありません。ただ、その違いは証明されているか否かの違いでしかありません。

未来

近年(この表現も奇妙ですが)、未来が今ここにあるということが、わかってきました。

どういうことかというと、未来は、単に選択されるのを順番に待っている、無限にある次元空間の重なりです。

その証拠に「不安」というものがあります。どの次元を選ぶかで、世界が変わります。潜在意識は、未来が今ここに存在することを知っていて、その選択が重要だと知っているので、不安を感じるのです。

今が安心であれば、不安は手放していいし、手放すことができます。

望む未来があるとすれば、その未来は掴み取るのではなく、自然に訪れます。

過去

過去は記憶としてのデータです。データは常に頻繁に書き換えられ、上書きされています。120分の映画を見たあとで、内容を鮮明に記憶して、その映画を見ていない誰かに正確に話せる人がどれくらいいるでしょうか。今、60歳の人が60年分の記憶を持つことが、もし可能だとしても、その記憶は、何度も書き換えられて、上書きされています。その記憶のデータは、今ここにあるだけです。「過ぎ去った時間」という意味での過去は幻想です。

未来の不安を手放すことが可能なように、過去の記憶に結びつけされた感情は、手放すことができます。もちろん、今の安心や喜びにつながるものであれば、何もしなくても記憶がそのように上書きしてくれるでしょう。

現在

こうした考え方を楽天主義と言う人もいることでしょう。それも選択です。そういう人にとっては、過去の重みも、未来への不安も、今まさに、ここにあるということは事実だということをお伝えしたいと思います。

この世界には、人類の現在の科学では証明できないことが無限に存在します。証明できないから「ない」ということは、科学そのものを否定していることにならないでしょうか。なぜなら、現在科学で証明されていることのほとんどすべてが、証明されていない次元(過去)を経ているからです。

最後に

ここに書いたのは、あくまで、個人の考え方だと捉えられると思います。そのように読んでいただければと思います。何か感じる方がいれば、その方の世界が変わる可能性があるものと思います。それを信じて書きました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

カテゴリー
ブログ

海に沈む月を見たことがありますか

 太陽は、まだ多くの人が活動している夕方の時間帯に沈みますし、夕焼けに赤く染まったりして見る人も多くいます。

 月が沈むのは、だいたい夜中で、丸い月は夜が明けてもまだ沈みません。

 その滅多に見られない月が海に沈むところを見ることは、日本海側の海岸沿いに住んでいるぼくでも、なかなかありません。

 今日の月は、ほんとうに奇跡のようにキレイでした。もちろん、肉眼で見たほうがキレイです。それでも、この写真でも美しさは伝わるんじゃないかと思います。

港に沈む月(夜9時過ぎ)=鳥取県岩美町田後港にて

 見たまんまの「三日月」です。これ以降は、どんどん月が沈む時刻が深夜に近づきます。8月12日の満月は、お昼の10時すぎにまん丸になったのち、ようやく19時半に昇り、沈むのは、翌13日の午前6時過ぎ。とっくに太陽が出ています。

 本当にこんな月はなかなか見られないのです。ありがたいことです。

 とある道路沿いのお庭で彼岸花の仲間のピンクのリコリスが咲いていました。暑い暑いといいつつ(今日の鳥取は、37~38度あったそうです!!)、季節は移ろいでいきます。

道路沿いの歩道から見える場所でした

 毎日が奇跡です。感謝しています!!