全体があっての詳細なんだと思う。

何の話やねんって思う。このタイトルだけじゃ。

ぼやけてても、見えればなんともない。(当ブログ記事)に書いたように、日常生活は、メガネやコンタクトレンズがなくても生活できるし、外に出る用事がなければ一日中裸眼で支障がない。不便でもなんでもない。今、見ているパソコンの画面も「しっかり」ぼやけている。文字は、自分の打った文章なら、なんとなく、ぼんやりでだいたい読める。他の人の文章を読むときは、顔を近づければいいし、むしろ20センチくらいの距離なら、裸眼のほうがよく見える。

今日気が付いたのは、全体を見るときは、そもそも詳細(ディテール)は見ていないということだ。そして、必要なのは全体、つまり大枠の理解であって、詳細は必要に応じて知っていればいいということだ。なんだ。当たり前じゃないか。これは、すべてに当てはまるんじゃないか。

そしてぼくの音楽やパソコンのレッスンって、もしかしたら、一般的なレッスンではないかも知れないなって思った。理論やテクニックは必要に応じてで構わないし、必要なければ、なくてもいい。感じたこと、全体的なことをまず伝えるようにしている。これが基本という理論を最初に徹底的に叩き込まれると、そこから抜け出せないタイプの人もいて、ぼく自身それで行き詰った経験があるからなんだと思う。

この人には何が必要なんだろうというところは、見ていれば伝わってくるし、応えることができる。理論は、理解することに役立つけど、伝え方は人さまざまだ。

聴覚に障碍がある方のパソコンクラスを受け持ったとき、マウスのクリックというのが伝わらない。中途失聴の方以外は、これまで「カチカチ」という音を聞いたことがないわけで、ホワイトボードに絵を描いて伝え、ジェスチャーで伝えた。「入力」という言葉も、「どこに力を入れるんだ?」ということになる。補助に来てくれていた手話通訳の方も決してパソコンが得意というわけではなくて、一緒に伝わる方法を探っていった思い出がある。そこで、パソコンとは何か、オーエスとは何か、ウインドウの開き方・閉じ方・移動の仕方、なんてことは後回しでいいし、まったく必要ではなかった(書いたものを渡して、その部分は端折った)。

ぼくが絵を見るときも、あまりディテールは見ていないかも知れない。全体から受ける迫力や熱量が伝わってきて、刺激になる。あともうひとつ思ったことがあったけど、忘れた(笑)。

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