まず無になること、思考の周波数で考えないこと

ぼくはわからないことがあると、頭で(理屈)で解決しようとするから、ますますわからなくなる。そういう堂々巡りを繰り返し味わってきた。

たとえば「社会は、経験や知識をもとに積み重ねて、人は成長するという考え方を、絶対的なものとして押し付けている。」と、ぼくは感じていた。

そして、それに反発してきたと思う。でもそれは、ぼくが単に黒に対して白を出し続けてただけで、本当のところ、黒は白でもあるし、白は黒でもあって、一体なんだということに気づいたとき、ぼくの頭は、今度は正解を見つけようともがくようになった。

正解がどこか別のところにあって、なかなかたどり着けないものとして捉えていて、難しい方程式を解くように考えを巡らせていた。

ここに全部あるし、全部オッケーだなんて、思えなかった。自分で自分にダメ出しをしてきたから。

自分で自分にすることは、感じること、理解すること、その反応として行動すること。そのために、一度無になる必要がある。

いや「必要」とも思わなくていい。常に無であっていい。

無になることは、怖いことじゃない。

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