今がすべて、完成形

今朝はよく晴れました。鳥取県東部の東の端、岩美町から国道9号線を西にクルマを走らせると、らっきょう畑をくぐる新砂丘トンネルを抜けたところで、はるか遠くに、でも鮮明に、伯耆富士と呼ばれる大山の勇姿が見えました。年に何回あるでしょう。今日もいい日です。

オカリーナ教室のレッスンでは、伴奏にギターを弾きます。1日じゅう座ってギターを弾いていると、やはり、腰には負担になるようです。帰ったら入念にストレッチをしておこうと思います。

輪廻転生

「輪廻転生」というのは、ぼくは事実として知っている、というか、体感としてわかるような気はします。

人は現実に生まれ変わると思います。もちろん断言はできません。たぶん消滅する魂もあるのだろうと思います。

ぼく自身の体験は、詳しいことは言えませんが、死んだはずの人に過去に2度、現実に会っているんです。それぞれ、別の人なので、二人です。ぼくは、その二人の波動を今も感じて生きています。またどこかで会えるのかなぁ、という漠然とした淡い期待はありますが、確信はありません。会えるのなら、会いたいし、既に会っているのかも知れません。

二人との関係は、友人であり、肉親ではありませんし、テレビドラマで描かれそうな恋人とか、ドラマティックな出会いがあった人ではありません(ぼく自身にとっては十分にドラマティックな出会いではあるのですが)。

こうした経験をしてしまうと、一人の肉体に、ひとつの魂という概念が持てなくなります。たとえば、1本の木に、葉っぱそれぞれに魂があると、思えるでしょうか。もちろん、これをそのまま人間に当てはめることは出来ません。人間は、ひとつひとつの、一人ひとりの肉体を持ち、別々の意識を持っているからです。ただ、意識は、意識であり、魂とは別なのです。

この文章を書き始めた時「今が、100%であって、完成形なんだ。」ということを書こうとしたつもりでした。実際そのとおりだと思ったからです。ぼく自身、常に足りない、出来ていないを言い聞かせて生きてきた人間です。その足りない、出来ていないを埋める努力をしてきた。それも、今のすべてを認めないと、埋まらなかった。たまたま「今が100%」ということを気付かされたから、楽に生きていられるし、目の前にある困難も意味があるんだろうなと思います。

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