ぼくにとって、長い間親しんできた「紙」。

でも、だんだんと紙ではなくて、ディスプレイに変わりつつあった。

そんなある日、和紙の紙すき体験をした。

丸い紙、というのが新鮮だった。

その時の様子は、えくぼさんがレポートを書いてくれているので、読んでみてほしい。

今日の出会いに感謝

小さい頃、紙にいたずら書きをしていて、まだ余白のある白い紙を捨てようとすると、父に叱られた。「白いところがなくなるまで、書いてから捨てるんだ。」と。

紙に文字を書くことで、そんな昔のことを思い出した。

ペンだこは、ほとんど文字を書くことがない、61歳の今でも中指に残っている。

それくらい、いつも力いっぱい握りしめて鉛筆を持っていたんだと思う。

父とは、ずっと折り合いが合わなかった。

だから、自分で、それほど悪くない、印象に残っていたエピソードを記憶から消していたのだと思う。

父は、酒を飲んでは暴れていた。

父の母、ぼくの祖母とは、常にケンカをしていた。

ぼくが父に叱られて、雪の降りしきる夜に追い出されて玄関の戸を閉められた。

そんな記憶ばかりを増幅させて、自分から距離をとっていた。

ぼくは、高校を卒業してからすぐに上京したし、父が2度めの脳梗塞で倒れて、やっと半年後の28歳で鳥取に帰ってきた。

記憶って、自分で作っていたんだと、この歳になって気づく。

幼い頃、父の運転するバイクの荷台に乗せられて、ホタルを見に行ったことも忘れていた記憶だ。

ぼくの意識が今と違えば、もしかしたら、もっと楽しい記憶、エピソードが残っていたのかもしれない。

長い寝たきりの父を見ていて、暗いエピソードばかりを増幅させていたのかもしれない。13回忌を去年終えて、やっとそんなふうに述懐できるとは、驚きだ。

去年までは、どっちかっていうと、父とはわだかまりがあるままで別れたという思いしかなかった。週末医療のパイプにつながれた白濁した瞳の足の細い父を見て、人生とはなんだろうと考えることがあった。

今から、ぼくの新しいステージが始まる気がする。

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